懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

山本作兵衛氏に学ぶ定年後の生き方

2018年07月28日 | 日記
昭和49年撮影 福岡県田川市 辛うじてボタ山が残っていた

山本作兵衛氏(炭鉱画)に学ぶ定年後の生き方

山本作兵衛(1892年(明治25年)-1984年(昭和59年)92歳没)福岡県飯塚市生まれ
7歳から父や兄と一緒に炭坑に入る。尋常小学を卒業して50年間 炭鉱夫をする。
65歳頃から子供や孫のために消えていく炭鉱の生活や人情を残したいと絵筆をもつ。
絵画585点と日記や雑記帳36点が日本で初めて世界記憶遺産に登録される。2011年5月 当初は炭鉱跡を世界遺産に登録しようとしたがノミネートされずその資料にあった山本作兵衛の絵がユネスコの担当者の眼にとまり記憶遺産登録を推され登録となった。
世界記憶遺産はアンネの日記やグリム童話の原稿、ベートーベンの第9の楽譜の原本が登録されている。日本であれば鳥獣戯画や源氏物語絵巻の国宝級を差し置いて初めて選ばれたのが素晴らしい。
NHKではクローズアップ現代、NHK特集 日曜美術館でも放送され世の中にすごい人がいるものだと思った。
定年後に何か子供や孫に伝承しようと始めたもの。当初は文章で残そうとおもっていたが奥さんに反対される。炭鉱で働く人の中には家庭の事情や犯罪者、朝鮮人もいた。
露骨に書かれたくない人も大勢いる。絵にして炭鉱の暗部を露骨に出さないほうがよいのではと奥さんにアドバイスされる。
私は福岡県田川市の石炭歴史博物館で山本作兵衛の作品展を6年前に見に行った。
田川市に行くのは40年ぶりだった。ポタ山も消え薄汚い炭鉱の風景はなくなっていた。
作兵衛の絵は坑道内の作業の他にロープやワイヤーの結束方法や滑車の使い方、作業マニュアルになりそうな絵まであった。これは実際坑内で働いた人でないと描けない絵もあった。
ショッキングな絵は坑内では女性も働いている上半身は裸で下は腰巻だけで中には乳飲み子を背負って働く姿もあった。山口県の石炭博物館で女性が上半身裸で下は腰巻だけの写真を見た事があった。
作兵衛の日記も展示してあった。雑記帳には難しい漢字がノート一冊に書き込まれていた。尋常小学校しか出ていないので常に勉強して知識を身に付けていたのが伺える。人間は学歴や家柄や職業や役職ではない。人生は気迫であろう、自分がどう生きて来て何を考えやってきたかを問われているように思う。

山本作兵衛に定年後の生き方について凄みを見せられた。
黄金の定年後と言いながら散歩と家庭菜園で日が暮れて一日が終る。75歳過ぎたら外へも行くのも面倒でどんどん歳をとる人が多い。定年前は夢を語ったが実行する人は割とすくない。その反面テーマを持ち長年探求している人の話は面白いし話題も多い。
ネットや本に書いてある誰でも知っている話は面白くない。