懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

懐かしい物 辻堂のある風景

2013年02月19日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県賀陽町(現在は吉備中央町)

賀陽町の田舎道に辻堂があった。旧国名の備中や備後に多く存在するそうだ。
以前図書館で見た本に備中、備後の辻堂を500カ所以上調べた本を見たことがある。
民俗学会員の方が自分の足で各地を巡り調査されていた。
信仰の対象としてまた歩行者旅人の休憩の場として存在したのであろうが、移動手段が車になり必要とされなくなった。また高齢化や信仰心の薄れで茅を刈り維持するのが難しくなった。以前あった辻堂が撤去されるところが多くなった。

私の住んでいる地域では辻堂というが各地では休堂、茶堂、大師堂、阿弥陀堂と呼ばれている。
四国は八十八カ所巡りで残っている。坂本龍馬の脱藩の道で有名な梼原町や愛媛の野村町の辻堂は屋根の天井の部分に大きな甕を乗せて雨漏れ防止にしている。

長野県の飯山市に茅葺民家を撮影に行った時、「阿弥陀堂だより」と言う映画が飯山市で撮影された。寺尾聡と樋口可南子の共演した映画だった。お堂を撮影したくて場所を地元の人に聞いたら、あんなもの撮影しても値打ちがない映画用のセットで裏に回ったらべニアのバラックだと聞かされ行くのをやめた。
映画のセットといえば長野の安曇野の大王わさび園の水車小屋は黒沢明氏の映画のセットだったが今は観光資源になっていて大勢がつめかける。






茅葺民家  岡山県勝山町星山の民家

2013年02月18日 | 茅葺き民家
撮影場所 岡山県勝山町星山(現在は真庭市)

勝山市星山地区は岡山で一番落差のある滝、神庭(かんば)の滝の上の集落です。
滝への遊歩道の手前から星山に登る道路がある。滝を見ながら登る道は二メートル少ししかなく対向車が来ると対向できる位置までどちらかがバックしないといけない。(実際に退避所はない)
しかし、この道は滝が真横から見えるので滝を撮影する人にとっては好都合
余りにも狭い道なのでお勧めできない。
遠回りながら星山地区に行く広い道がある。
牧場の横を走り星山(1030メートル)を見ながら登っていく。
冬場に行った時に雪を除雪してなくてタイヤの跡があるのでついて行ったら車の腹をこすり動かなくなった経験がある。乗用車の隙間は17センチしかなく隙間の広い軽トラか4WDのタイヤ跡であったのだろう。

人里離れたところに何十戸かの集落がある。わずかばかりの田や畑と酪農で暮らしている、なぜこんなところに集落があるのか地元の人にそれとなく聞いてみたらろ、かっての出雲街道はここを通り美甘に抜けていたと聞いた。
美甘へは車では抜けられないが徒歩ならば抜ける道はあるそうだ。

星山に7軒ほど茅葺民家があった。その茅葺民家も10年前には全くなくなっていた。
今、この集落に何軒くらい人が住んでいるのだろう。
この集落の田畑の脇を流れる小川が神庭の滝から落ちる。
この 小川に沿って下っていると突然、川が無くなり視界が広がる。神庭の滝の上に出てきたのだ。一瞬川も無くなる道も無くなると思う、あれを初めて車を運転しながら見たときは感動ものであった。(道路は無くならず岩に鋼材を張り出した道が付いている)

このあたりの岩は積層になった堆積岩で脆い部分が浸食や水流で一気に崩落したのではないかと思う。


蒸気機関車  山陽線倉敷駅

2013年02月17日 | 蒸気機関車
撮影場所  岡山県山陽線倉敷駅

時間があればカメラを持ち倉敷駅に行き通勤列車などを撮影した。
発車前の蒸気機関車の手前でたたずむむ三人の男性は何をしているのか
ホームへ行きたいのだが蒸気機関車が発車しかけたので線路上で待機しているのであろう。
線路を進入してくる電車がないか心細く待っているところであろう。
(これを撮影した本人も線路のなかの中州のようなところで列車を待つマナーの悪い行動ではあるが)


現在の倉敷駅は橋上駅で南北に出入り口があるが、この当時は玄関は南口だけで北側の住民は遠回りして南口に行くしかなかった。これが面倒なため柵の間から侵入し線路を渡りプラットホームに近道していた。定期券の人はこんな事をやっていたのではないか
プラットホームの連絡橋の建物も板張りである、板張りは昭和の風景である。今ならば新建材であろう。

よく撮影にきたが、蒸気機関車が主体でモノクロで撮影していたので電車や電気機関車は余り撮っていない。今思えば電気機関車もEF15からEF58は主力機でEF60.EF61、新鋭のEF65の1000番台やEF66もいた。電車では九州行きの485系、583系車のつばめ、はとも頻繁に走っていた。普通電車も80系ばかりで余りにも一般的でほとんど撮影していない。

本当の鉄道好きになるには一日ホームにいて行き交う列車をすべて撮影、記録して客車、貨物列車の記号を確認する。駅の放送や駅員の仕事、乗客の行動を観察する。各列車の汽笛音や列車のエンジン音の違いを観察しておくと興味がもっと広がったと思う。



日本茅葺紀行 その35 茨城県八郷町

2013年02月16日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 茨城県八郷町(現在は石岡市) 2004.10.11

八郷(やさと)町には立派な茅葺民家が残る。
八郷町は150メートルから200メートルの高台の平地に民家がある。筑波山が近く裏側側から全容が見える。
のどかな田園地帯である。そんな中の民家はどの家も大きいように思う。
昔から豊かな土地で生活は裕福と書いてある。
茅葺民家の中には広角でも納まりきれない大きい民家がある。
民家の大きさは所得とは必ずも一致しないところがある。
能登半島の民家も大きいし津軽地方の民家も大きい。

八郷に訪れたのは茅葺民家の所在を書き込んだ地図を町役場が発行したからである。早速役場に送っていただき訪れた。もう一度行きたいがなかなか実現しない。
茅葺民家の持ち主の氏名、住所が35軒ほど書かれてある。個人情報の管理の厳しい現在ならばこんなのは発行されないであろう。

古い町並み 岡山県長船町福岡

2013年02月15日 | 古い町並み
撮影場所 岡山県長船町福岡(現在は瀬戸内市)

長船町福岡は吉井川の堤防から一キロ程東にある。国道や県道から離れたところに昔ながらの町並みが残る。
かって山陽道一番の宿場と福岡市と呼ばれる市場で栄えたといわれている。吉井川の水運にも恵まれて栄えた時期が長く続いた。現在は交通機関から外れ田舎の集落の暮らしとなった。今も本瓦葺民家や寺院がその面影を残している。
「一遍上人絵伝」にも福岡の町のにぎわいが描かれているそうである。

Wikipediaによると備前長船に代表される刀鍛冶が福岡にいたが宇喜多直家の岡山城下建設で職人が岡山に移住させられた。吉井川の氾濫もありしだいに衰退していった。
吉井川の中州に福岡城が築かれ後に近江の国から黒田高政が居住する。黒田家の子孫、黒田長政が筑前国に封じられる際の本拠地を黒田氏ゆかりの備前福岡の名をとって福岡城としたとある。それが後の福岡県の由来になったと書いてある。

人々の生きてきた土地にはどんなところにも戦いの歴史や土木建築の歴史、人々の生活の歴史が残されているものだ。現代の私どもは何も過去になかったように暮らしているが










茅葺民家 鳥取県智頭町の茅葺民家

2013年02月14日 | 茅葺き民家
撮影場所 鳥取県智頭町奥新田


私は茅葺民家を探すりに中国山地の峠をすべて越え手前と越した先の市町村を回る事とした。
中国山地は兵庫県から山口県まで長い山地でむある。
峠越えには先人の苦労の道でもあった。しかし、道路整備のされた現在では峠越えはトンネルで一気に抜ける事が多くなった。
それに伴い周辺の市町村も昔の面影が残すところは少なくなった。
鳥取県智頭町は横に長く岡山県から何本も峠がある。岡山県に接している町村も平成の大合併以前では西粟倉村、勝田町、奈義町、勝北町、加茂町に接していた。
国道は53号線黒尾峠、373号線は志戸坂峠がある。県道は加茂町物見の物見峠、勝田町右手峠は狭い曲がりくねった昔ながらの道だ。

智頭町奥新田には勝田町木地山から右手峠を越えて入った。
奥新田の名の通り山奥まで新田開発がすすんだのであろうか
車一台通れるほどの狭い右手峠を越えたら、あたりの風景は開け四月というのにまだ雪が残っていた。
そこに立派な茅葺民家が建っていた。峠を越えた甲斐があった。
現在はこの茅葺民家はトタンを覆い民家に人の住む気配のない家が増えていた。


蒸気機関車 南稚内駅

2013年02月13日 | 蒸気機関車
撮影場所 北海道宗谷本線南稚内駅

旭川から夜行列車で宗谷本線を北上しを稚内駅まで移動した。
夜行列車での移動は昼間の貴重な撮影時間を移動に使いたくなかった。それと宿代を倹約するケチケチ旅行であった。食べ物も駅のホームの立ち食いソバやパンが多かった。おにぎりなんかはコンビニがあるわけでもなく売っていなかった。外気の店先に置いてあってら凍ってしまって美味しくないであろう。
北海道の冬場のミカンは冷凍ミカンの味で美味しくなかった。

SL撮影で土地のグルメなど食べた記憶がない。もちろん観光地などには行かない線路の上だけが旅行のコースであった。宿にも泊まらず旅行を続けると疲労が溜り気力もヤル気も失せてくる。そんな時は旅館に泊まり米のご飯をたっぷり食べ爆睡するのである。

宗谷本線の夜行列車は暖房は効いているが深夜になると一向に暖まるらない。持参した寝袋に入りやっと寝る事ができた。
南稚内の機関区立ち寄ったが機関庫の扉は閉められ機関車も収納されていた。
凍結防止のために蒸気機関車には石炭を加温程度に燃やしていた。ディゼル気動車はアイドリング運転されていた。ディゼルエンジンは点火プラグがないので起動時の圧縮で発火温度まで上昇しないと燃焼しないので北海道の寒さは厳しい。

南稚内駅での通勤列車の到着模様




日本茅葺紀行 その34 埼玉県の茅葺民家

2013年02月12日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 埼玉県川本町(現在は深谷市)

私にとっては関東はなかなか行けない場所だった。
東北道にも常磐道に入るにも東京都心を通らなくなくてはならずカーナビも付けない私には嫌であった。それと車と人、民家の多さに尻込みしてします。
それでも中央道から一般道で大渋滞に遭いながら東北道に抜けた。
現在は中央道から圏央道経由で行きやすくなった。
埼玉、茨城、栃木の茅葺民家を探しに行く。

しっかりした情報があったわけでもなく過去の情報を元に茅葺民家を探す。
時代が21世紀に入り茅葺民家が探すのに苦労した。
それでも人に聞きながら雰囲気的にありそうな町村を走り5軒撮影した。嵐山町、鳩山町などを走った。
写真の民家は養蚕農家であろうかまだ健全に維持されていた。





懐かしい物 安来市木の半鐘

2013年02月11日 | 懐かしい物
撮影場所 島根県安来市郊外

安来市郊外の田園地帯にあった木の半鐘
あたりを見渡しても民家はほとんどないのに木の半鐘がある。見通しが良いのに半鐘にミラーがついている。安来市の郊外の茅葺民家を探していた時に見つけたので車を止めて撮影した。安来市は「やすぎ」が正式な名前のようだ、どうも「やすき」といってしまう。それと安来市は鳥取県か島根県がよくわからない我々の感覚である。鳥取と島根の区別の付かない人もいて山陰ので片付ける人もいる。うちの息子は東京の埼玉に住んでいるというのと同じ感覚であるう。

冬になるとこの田園地帯にも中海のコハクチョウが飛んでくる。
カモの類は食べ物が違うのか田園地帯にはいない。カモは水草やまこもの茎などを食べるのではないか、それでも人がエサをやっているところでは白鳥もカモもなんでも食べる。
パンや穀類、野菜の刻んだなど、嘴の平たいのは草食というが魚もとらえれば食べる。
合鴨を水路で飼っている人がいて見ていたらフナもオタマジャクシも食べていた。

NHKの日曜日の朝に15分間だけ「さわやか自然百景」という番組がある。
今の私は訪れられない場所で根気よく撮影された自然の営みが見られて有難い番組だ。
2月10日の朝は石川県金沢市の北の河北湖の鳥が放送されていた。
中海や宍道湖周辺の風景とよく似ていた。コハクチョウもいて昼間は周辺の田で落ち穂などを食べている。



茅葺民家 津山市北部の民家

2013年02月10日 | 茅葺き民家
撮影場所 岡山県加茂町(現在は津山市)

岡山北部には冬は「100日雪の下」という言葉があるそうだ。
12月中旬から3月中旬までは雪が残っていると言う意味だろう。
暖冬が多くなり降雪量もすくなくなったが今年などはこんな状態であろう。
冬場の県北の茅葺民家を撮るために足げく通った。

茅葺民家を撮っていたら後ろから竹を担いだ男性が通って行った。
ラッキーとそのまま撮影する。声を掛けて止ってもらってじっくり撮影する手もあったがそのまま撮影した。声を掛けて止ってもらうと動きがなくなり、やらせっぽくなる。
声を掛け止まってもらうと人間は足がそろう。歩いていないのがよくわかる。

写真の質は量で決まるとよく言われている。数多く行っていると竹を担いだ人に出合うこともあるろ、これは御褒美なんだろう。風景を撮る人は早朝から数多く撮影に行った人でないと撮れない写真があるという。風景を撮影する人は根性が入っている。
わたしなどコンテストなど出した事もないし人と競う事から逃げてきた。
向上心がまるでない。世の中には一位にならないと気が済まない負けず嫌いな人がどこの世界にもいる。そんな人は何倍も努力をしている。

それでも向上心のない人間でも何か目標なり情熱がないと続けられない。
あるとすれば何かを追い求めている時が楽しくてたまらない。茅葺民家を発見した時の感動がわすれらない。昼飯を食べなくても無我夢中になれる事であろうか。夢中になれる事に出合うことであろうか
夢中になれるのは外国へ行かなくても近くでひとりでも楽しめる。ドラえもんの「お楽しみ袋」を持つことであろうか
そうでないと私のような歩けない身体障害者は生きていけない。