懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

蒸気機関車  新見機関区

2013年02月09日 | 蒸気機関車
撮影場所 岡山県新見機関区

新見機関区には伯備線と姫新線、芸備線の機関車が立ち寄った。D51形蒸気機関車とC58形蒸気機関車が所属していた。
蒸気機関車時代には機関区が必要であった。
80km程度毎に置かれていた。機関区では給炭、給水、機関車の燃焼室の掃除、灰だしや砂の補給が行われる。
その他の機関車に比べて手間のかかる機関である。
新見には何度も訪れたが機関区に立ち寄ったのは一回きりだった。
蒸気機関車は走行している写真ばかりに、こだわりきらいがある。
訪れたのも夕方だった。一日機関区にいてじっくり機関車の出入りや担当者の作業を刻銘に記録しておくべったと思っている。
今見て客車も古く味がある。機関士が始業前の打音による機関のチェックをしている。









日本茅葺紀行 その33 広島県呉市の民家

2013年02月08日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 広島県呉市

広島市のり周辺に沢山茅葺民家が残っているのを知らなかった。
広島県で茅葺民家の絵を描かれる方が茅葺民家の写真展が広島県上下町の公民館で行われるとの連絡をいただいた。
楽しみで写真展に出かけた。公民館を借りて写真展をやっているのかと思ったら役場から公民館が空いているので二週間催しをやってほしいと依頼があったそうだ。
もちろん使用料金はタダで二週間も使える。
地方の町村の公民館のギャラリーはあるものの使用頻度は少ないそうだ。
我々のところは大違い羨ましい限りだ。倉敷市も岡山市も公共施設は個人のには貸してくれない。二人以上の団体が条件である。
一日7000円出せば個人でも貸してくれるところはある、それも抽選である。

その写真展で広島市の周辺の市町村に茅葺民家が存在しているのを知った。いい情報と刺激をいただいた写真展だった。
それから東広島市、熊野町、黒瀬町、呉市を訪れ茅葺民家を撮影した。
写真は呉市の民家、呉市というと海のイメージがあるが賀茂高原の一角もある。
山間地域の平野部に茅葺民家が点在していた。
この茅葺民家は下屋がなく屋根が大きく見える、西日本では下屋のない家に出合うとうれしい。箱棟の寄棟造りだ。




古い町並み 岡山県寄島町大浦

2013年02月07日 | 古い町並み
撮影場所 岡山県寄島町大浦(現在は浅口市)

寄島町の旧道沿いには古い町並みが残る。
かって寄島町は土地が狭く海岸沿いに集落があった。昭和53年に沖の三郎島まで埋め立てられ広くなった。牡蠣の直売所のあたりは海で合わせて埋め立てられ拡幅された。

大浦地区は牡蠣の直売所より1km程西で大浦神社が有名だ。
競馬神事が行われる事で有名だそうだ。
大浦神社の境内は馬を走らせるためにアスファルトにはせず土のままだ。
鎌倉の鶴岡八幡宮は流鏑馬で有名だ。馬が走る境内の道には石畳やアスファルトのため土を30センチ程入れて馬が脚を痛めないようにしている。小型ダンプで土を入れ地ならしをしていた。行事が終わればその土を片付けるのであろう。

その大浦神社の前を東西に走る細い道沿いが旧道であろう、そこに古い日本民家か残っている。古い家もあるが昭和期の日本家屋が残っている。
この旧道の数十メートル先は海であったのだろう。








茅葺民家 岡山県哲多町の民家

2013年02月06日 | 茅葺き民家
撮影場所 岡山県哲多町(現在 新見市)

茅葺民家を探しにあっちうろうろ、こっちうろうろ。
脇道、細道、怖い道、道があって電柱が立っていれば民家はある。
アバウトな人間でないとできない茅葺民家探し、観光を兼ねてのドライブで茅葺民家があれば儲けもの。

哲多町田淵に岡山県では唯一のスズランの自生地があるので見に行った。
自生地と書く盗採されるので書いていない。何度か地元の人に聞いてやっと探しあてた。
農家の畑の片隅に何坪かの自生地があった。柵でもして近づけないないようにしたらとも思った。
ちかくに「おもつぼ湿原」というのがあってスズランを実生から育ててハイキングコースにずっと植えてある。今も実生で苗を育ててイベントで販売している。
すずらんとカタクリは氷河時代の残存植物として九州でも自生地が残っている。
「おもつぼ湿原」に晩秋に行くとスズランが実は赤いなっている。スズランには毒があるので鳥も食べない。その赤い実をもらって帰り果肉を砂と一緒にゴシゴシ落し植えた事がある。春になっても芽はでない夏にもでない。種を潰したらまだ生きている。やっと秋に発芽した。それから花が咲くのに三年かかった。気の長い話である。

スズランや湿原、荒戸山を散策も兼ねてドライブしていたら茅葺民家を発見する。キャベツ畑の横をお婆さんが歩いて登っていたので撮影させてもらう。家は大分痛んでいたが生活感の滲み出ている家で好きだ。




蒸気機関車 機関区は近道だ

2013年02月05日 | 蒸気機関車
撮影場所 福岡県田川市後藤寺

「買い物さげたおばちゃんが通る。
小遣い握って子供が通る。
学校帰りの学生も通る。
親から遅れて幼児も通る。
機関車、機関車すり抜けて
線路も跨いで通ります。
この道、地域の近道だ。
皆で通れば怖くない。
石炭煙の臭う町、田川炭鉱懐かしき」


後藤寺機関区へ行ったのは一度きりだった。それも二時間程度いただけで別の場所に移動した。一日ここに滞在して機関車や人間模様を撮りたかった。機関区は機関車の出入りが多く危険なところ機関車の陰に子供が遊んでいては確認もできない。おおらかな時代であった。










日本茅葺紀行 その32 限界集落

2013年02月04日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 鳥取県東部

鳥取県東部のある町の山間部の20戸ばかりの集落には人の気配が消えている。なぜ20戸も故郷を捨てたのであろうか
集落の中心部には公会堂もあった。みんなで助け合い生きてきたのであろう。近くの集落の人に聞いたら鳥取市などの都市部に移り住んだ人が多いといっていた。雪掻きも農業もできなくなり病院も近いところに移り住んだという。その中に茅葺民家も二軒あった。そのうち一軒は時々、家に帰っていると言っていた。子供と同居している人、施設に入っている人さまざまだという。

限界集落の言葉を聞いて久しい。62,273集落を調査し限界集落が7,878カ所、消滅集落が2,200カ所といわれている。
今後、山間部、過疎地域はどのように生き残るのかこのまま消滅し山野に戻るのか、若い外部の力を入れて過疎地の資源を生かして立てなおすのかを注視する必要がある。

都市部に住んでいても家内や子供が世話をやいてくれるうちはいいが身体が動かなくなり歩けなければ故郷や住み家を捨てざるを得ない。先週のNHKスペシャル老人漂流ではないが身体の不自由な私も人ごとでない。




茅葺民家 岡山県大雪の茅葺民家

2013年02月02日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 岡山県津山市

大雪のあと津山市の北部へ茅葺民家を撮りに行く。岡山県でも雪の多い地域でもある。
母屋も小屋も茅葺民家の民家を撮りに行く。股の下までの積雪で歩くのがしんどい、かんじきも持っていない。登り坂と雪の多さにハァハァ言いながら登って行った。
今度は林の中を撮影ポイントを探す、何度も転ぶ。
撮影のある風景と集落を一時眺めていた。
地元で住む人は大変だ。、






蒸気機関車 室蘭本線追分駅

2013年02月01日 | 蒸気機関車
撮影場所 北海道室蘭本線追分駅


室蘭本線の追分駅でD51重連の石炭列車の発車を撮影した。
廃坑に追われていたところもあるが、まだ石炭の採掘はおこなわれていた。
いまでは見る事も無くなった石炭専用の貨車セキである。
セは石炭貨車、キは積載荷重25トン以上でむ一番大きな貨車である。

この当時、蒸気機関車ばかり無くなるのを意識して撮影していたが貨車も客車も姿を消してしまった。
いつの時代に生きても、これからどう社会が変化するのか、何が消えて、何が生まれるのかニュースやテレビ、新聞を見ていても意識していなくてはならないと思う。
時代は少しづつ変化しているが20年、30年経過すると大きく変っている。

追分駅、広いヤードを持っている。
追分とは街道が二方、三方に分かれるところを指しそこに旅館や茶屋があった。昔の街道にも追分のつく地名は多い。
JRの駅でも追分駅は八カ所ある。
室蘭本線の追分は室蘭線と石勝線の分岐点でもある。

話は余談だがYou Tubeを見ていたら「高原の駅よさようなら」という映画(歌)は
信濃追分駅で撮影されている。信濃追分駅は軽井沢町で標高が955メートルある。
D50蒸気機関車の普通列車に乗る好きになった男に最後の別れを惜しむために香川京子演じる看護婦がモンペ姿で馬の後ろに乗って追いかけてくるシーンがある印象的だ。

民謡で追分というと江差追分が有名だが追分はそもそも信濃追分で唄われていた馬子唄が広まった言われている。