懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本茅葺紀行 NO,154 奈良市の民家

2014年08月23日 | 日本茅葺紀行
奈良市から山に入った集落にある大和棟の民家、メイン道路から見えない地元の人との会話で教えてもらった。現在でもまだ健在だ。桜が撮れるかと思ったが遅かった四月7日頃がよかったか
昔の旧家であろう昔は簡易郵便局をやっていた。木製の郵便局の窓口を残してある。
建物マニアならば撮り残したい一品である。
この家はもう5回は撮った。同じ場所から同じような写真が沢山残っている。
フィルムカメラからデジタルカメラへカメラが換わる都度撮っている。
デジタルカメラも性能が良くなり4年もすると陳腐化して新しい機種で撮っておきたいと思う。

今年の正月には死にかけていたのにいい加減やめればいいのに生きている間は撮り続けたいとおもう。日頃何もせず家に籠っているので写真を撮影に外に出ないと益々独居老人になる。


懐かしい風景 屋根を撮る

2014年08月22日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県倉敷市下津井

四国へお盆の墓参りに帰省していた。家内が運転をするので私は外の風景を眺めていた。帰り道の下津井大橋から見た下津井の風景には昔の屋根の風景は残っていなかった。
これは日本のどの町でも同じであるが
「甍の波の」と唄われた日本の風景がすくなくなった。
町並みも人の目につくところは改装して古い町並みを演出できるが高いところから見るとそのアンバランスが目に付く。もう昔の日本瓦の屋根を見つけるのは難しい。
町並みも男の頭と同じだと思った。上から見られると毛のないのが丸わかり。

今になって思うのは町並みも必ず高い場所から撮影しておくべきだった。屋根などどうでも良いと思ったが時代が経過するとこれほど変化するとは思わなかった。

宮本常一氏の父から教わった10カ条は余りにも有名だが二番目に高い場所から町を眺めて町並みの造りを田畑の造りを見よとある。二ヶ条だけコピペして貼り付け

「民俗学の旅」宮本常一 旅立ちの日に父から授けられた “旅の10か条”

1.汽 車に乗ったら窓から外をよく見よ、田や畑に何が植えられているか、育ちがよいかわるいか、村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か草葺きか、そういうこともよ く見ることだ。駅へ着いたら人の乗り降りに注意せよ、そしてどういう服装をしているかに気をつけよ。また、駅の荷置き場にどういう荷がおかれているのかを よく見よ。そういうことでその土地が富んでいるのか貧しいか、よく働くところかそうでないところかよくわかる。

2.村でも町でも新しくたず ねていったところはかならず高いところへ上ってみよ、そして方向を知り、目立つものを見よ。峠の上で村を見下ろすような事があったら、お宮の森や目につく ものをまず見、家のあり方や田畑のあり方を見、周囲の山々を見ておけ、そして山の上で目を引いたものがあったら、そこへは必ず行って見ることだ。高いとこ ろでよく見ておいたら道にまようようなことはほとんどない。





茅葺き民家 米沢市の民家

2014年08月21日 | 茅葺き民家
撮影場所 山形県米沢市入田沢

国道121号線沿いに茅葺き民家が何棟かあった。、民家もすくなく茅葺き民家はすぐに目に付く。これから川西町へ向かう途中に撮影した。ちょっとした峠を越えたら玉庭である。
曲がり屋の民家が多い、西日本の人間には曲がり屋を見ると感動する。牛小屋や物置と母屋が一緒になった民家に東北を感じる。しかし、牛を飼っている家はすくない。
住人の奥さんと話ながら撮影させてもらう。池が二つある冬場は雪捨て場になるのであろうか。
最近は民家での地域性は少なくなった。北国は瓦でなくトタンや鉄板を使い雪が滑りやすくしてあるくらいか
農家と言ってもサラリーマンと兼業の人も多く家での作業もすくないので作業用には倉庫を建てる母屋の構造は地域により大きく変わらないのであろう。

国道121号線は峠を越えれば会津若松に至る。今はトンネルが出来て峠越えは楽だ。
若松に向かう途中、喜多方に立ち寄りラーメンを食べた。








岡山の茅葺民家写真展 - 36  水のある風景 田の水

2014年08月20日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県大佐町君山、岡山市白石

田の水張り風景や農業用水の風景をお送りします。
アジアモンスーン気候は雨季になればインド洋や東南アジアで大量の水蒸気が発生し20,000mmを超す雨を降らせる。それが遠く日本全土や北朝鮮まで運ばれる。
米も麦も同じ時期に日本に運ばれたが主食は米となった。
従来は冬に雪のないところは二毛作だった。
米が作れたのもこの雨のおかげである。
しかし、今年はインド洋や東南アジアの雨雲の発生が八月下旬になっても活発で太平洋高気圧が弱いので一度押し上げられた梅雨前線がまた日本の上に掛かりっぱなしである。
局部的に大雨を降らせて広島市の安佐南区、北区に甚大な被害をもたらした。
適度な雨ならば良いが積乱雲を伴う雨雲は集中豪雨になる。

田の周りにはり巡らされた農業用水や田に張られた水の風景は日本の田園風景で子供の頃の記憶がいつまでも残る。



日本茅葺紀行 NO,153 岩手県牛のいる民家

2014年08月19日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 岩手県岩手町

青森に住む茅葺き民家を撮っている人から岩手の民家の情報を教えてもらっていた。
しかし、私が岩手にいったのはそれから5年以上経過していた。
定年になってやっと重い腰をあげた。
姫神山の周辺に茅葺き民家が残っているとの事だった。
盛岡に泊まり一時4号線を北上し山中に入る。雪の降る所にしては道が狭い。
雪国は除雪した雪を押し寄せるスペースがいるので山道でも広くとっているが
この道は狭い。我々の地域と変わらない。
酪農をやっている民家が続くが廃業した離散した民家も多い。
日本の何処の農村でも言える事だが住んでいる人が無くなると空き家になり放置か解体される。
これは田舎に限らず都市部でも起きている。
茅葺き民家を撮りながら衰退する田舎の風景を見てきた。
東京ばかり肥大化して都市機能が一元化しているは問題だ。
都市機能を分散化するのが政治力だが掛け声だけで何も地方は活性化していない。
東京が肥大化するのは地震災害には余りにも脆弱である。地震の巣のようなところに巨大都市があるだけに心配だ。

岩手の酪農も民家や地域の活気を見ていると厳しいものがある。
そんな中、草棟の牛小屋があった。牛は寝そべっていたが大声で呼んだら立ちあがりこちらに歩いてきた。飼い主に見つかったら叱られるところだ。いつも余計な事をするジジィである。

蒸気機関車  C50144号機

2014年08月18日 | 蒸気機関車
撮影場所 福岡県行橋市 行橋機関区


行橋機関区の片隅に置かれたC50蒸気機関車、現役を引退し廃車を待つだけの機関車だった。それでも有難いことにプレートは付けたままだった。
プレートを外しペンキで番号を書かれた蒸気機関車は撮る気がしない。
この頃は蒸気機関車ブームのはしりであったのでプレートを装着していても被害にあう事はなかった。
ブームになってからは鉄道マニアの蛮行は恥ずかしいばかりである。
運行中の機関車のプレートを盗んだりサボと呼ばれている行き先表示板が盗まれ最後には厚紙にマジック書いたのを貼っていた。公園の保存機関車の部品も盗まれスクラップのような機関車もあった。
鉄道部品が高く売れる事に問題がある。解体した機関車はすべて溶鉱炉で溶かすのが良かったと思う。そうしても国鉄の一部の人が手に入れて今よりもっと価格が騰がる可能性もある。
琺瑯の看板をカメラで撮っている人がいるプレートも写真で撮影して楽しむようにすべきだった。プレートも何十万もすれば鋳造しても十分採算があう。模造品が沢山出回っているという。

C50形蒸気機関車は1929年(昭和3年)から154台製造された。8620形と同じような使われ方をした。これとC12形蒸気機関車は梅小路で保存されていない。
C50144号機を検索すると行橋機関区で役目を終えている。
各機番を調査してホームページにしてくれている人がいる。大変ありがたい。






オヤジギャグ その5

2014年08月17日 | オヤジギャグ

オヤジギャグはオヤジの老化防止の言葉遊び、アポらしいとはいわないで


「グルメ編 」

1.久留米ラーメンはトンコツラーメンの発祥の地、やっぱり旨い
 まあB級 久留米(グルメ)というからな。


2.岡山県美咲町の玉子かけごはんは人気らしいね。
 人気のある玉子かけか、そんなのを人玉 卵太郎(忍たま乱太郎)いうのかな

岡山の茅葺民家写真展 - 35  水のある風景 川

2014年08月17日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県新見市豊永

川の近くの茅葺き民家、春の初めミツマタの花が咲いている。
栽培しているのであろう、御札の原料として栽培されていた。
先人も生きていくために木の皮から繊維を取り衣類や紙の原料にしてきた。
現在は金さえ出せば何でも手に入る。自分で何も造れなくても生活が出来る。
野菜の作り方や米はどうして作るか魚の名前も知らない熟年では恥ずかしいとおもう。

新見はカルスト台地で浸みこんだ雨が下流でどことなく湧きだしやがて川になる。
こんなのどかな風景も少なくなった。

茅葺き民家 島根県仁多町の民家

2014年08月16日 | 茅葺き民家
撮影場所 島根県仁多町佐白

茅葺き民家を撮るのに下調べを十分やって探す人と適当に見知らぬ土地を当ても無く走る人がいる。私は下調べもせず適当に走るほうである。茅葺民家を撮っている人の地図を見せてもらったら走った道と茅葺きの所在をプロットしている人がいた。
自分は随分適当だなあと思った。ほとんど記録をしていない。

私が茅葺き民家の撮影を始めた頃はまだ国道沿線からも茅葺き民家が見えた。
これが走っても走っても無かったらこんな趣味はやっていなかったであろう。
テーマに巡り会うか会わないかは紙一重である。
何かのテーマに一生懸命になるのは何かのきっかけがあり継続するには新しい刺激や感動が必要である。
昔は茅葺き民家の探訪もひたすら走るのが中心だったが今は航空写真やストリートビューやネット情報を駆使する人がいる。

島根県仁多町、細い道を一本一本走った。大東町に向かう県道にメガネの三城の店があった。こんな人口の少ないところで商売になるのかと思った。その先にこの茅葺き民家はあった。


追記 アトムさんから佐白のメガネの三城の由来についてブログあり ここが故郷だそうだ。

ブログをコピペすると

「なぜこんなところにメガネの三城があるかというと、ここ奥出雲町佐白は、メガネの三城の創業者、故多根良尾氏ゆかりの地だからです。

「メガネの三城 仁多店」の近くにある多根良尾氏の家のあったところには、メガネの三城厚生寮が建っており、研修施設として使われています。

さらにその近くには「奥出雲多根自然博物館」と「志學荒神社」が。

どちらも多根家によって建てられたものです。」




日本茅葺紀行 NO,152 由利本荘市の民家

2014年08月15日 | 日本茅葺紀行
秋田県由利本荘市の民家、母屋と小屋が四棟並ぶ民家、家は大きくないが味わいのある民家だ。東北の茅葺き民家のホームページにはどこかにでている。
映画のセットにでも使いそうな民家だ。
薪を割ってあるので生活をしているのだが住人の方に会った事はない。
会えばいろいろと聞きたい事も一杯あった。
お婆さんが一人で住んでいるともかかれている。
地元の人が通らないかとしばらく待ったが誰もこず
この民家、私の好きな民家のひとつでもある。