懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

懐かしい物 高松駅急行あしずり

2014年08月05日 | 懐かしい物
撮影場所 香川県 高松駅

高松駅のホームに急行効列車が二台停車している。
まだ宇高連絡船で人も貨物も運ばれていた。
高松駅が四国の玄関であった。
四国からは高松経由ではなく瀬戸大橋線から岡山に乗りこむ列車が増えた。
今は予讃線も電化され高松駅の駅舎も新設され風景が変わったであろう。

あしずりは1990年に特急列車に昇格しているようだ。
この気動車はキハ58系だと思う。
私は気動車の顔を見て何系紙かわからない。
しかし、鉄道ファンはその細かい事にこだわるのである。専門用語と詳しい知識が鉄道ファンの資格のようなところがある。
私は気動車など似たような顔でひとくくりにし気動車でよいとおもっている。

なんのために高松駅で撮ったのか解らない。カメラを持っていたので撮ったのであろう。
写真は断片的に撮るのではなく一貫してひとつのテーマにして撮らないと自分の取り組や思想が残らない。

岡山の茅葺民家写真展 - 32  動物のいる風景 猫

2014年08月04日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県旭町

旭町は現在、美咲町になっている。
平地はダムが出来てほとんどが山間地である。
棚田地域につながる細い道沿いにこの民家はあった。
住んでいる人は高齢化が進んでいる。
撮影した時にすでに集落が消滅する危機が訪れていた。

めわらの棟飾りを乗せたこんな民家は姿を消した。
屋根で猫が遊んでいた。屋根を棲みかにしているのであろうか私が近づいたら屋根裏に隠れた。民家の裏山に登り猫が出てくるのを岩になってじっと待った。
20分して2匹が姿をみせた。
猫は警戒心が強く縁側で寝ている写真など難しい。
猫と民家を一緒に撮るのは大きさが違うので難しい。双方を入れると何を撮ろうとしたのかしまりのない写真になる。

先週の土曜日のNHK西日本の旅は大分県佐伯市の沖、深島だった。
住人18人猫100匹の島、車もないので安心して生活している。丁度、動物写真家の岩合光昭さんが撮影にきていた。
岩合さんの写真はいつ見ても素晴らしいと思う。動物の中に溶け込んでいる。
茅葺き民家を撮るにも住人の方とも打ち解け合い民家の良さをよく観察して撮らないといけないと思う。

茅葺き民家 農村景観日本一

2014年08月03日 | 茅葺き民家
撮影場所 岐阜県岩村町冨田(現在は恵那市)

岩村町冨田に農村景観日本一の看板が掛かっている。農村景観を一望できる展望台もある。
ここの景観が日本一かどうかは異論がある。
どこでここが日本一になったか根拠が書いてない。
岩村町出身の京都の大学の教授が岩村町冨田の景観は日本一と唱えたとか

農村景観は個人によって好みや考えもあるので自分で旅をして判定基準も決めて作ればよい。それをブログなりで公表すればよいとおもう。
私は日本茅葺き民家集落百選なるものを作った。
日本の故郷百選も作りたいとおもう。
岐阜県の恵那地方の茅葺き民家を探しに走った。
岩村町冨田だけ茅葺き民家の所在情報があった。
岩村町は明智鉄道沿線である。蒸気機関車を撮っていた頃に訪れなかった悔しさもあり訪れる。






日本茅葺紀行 NO,149 埴生の宿

2014年08月02日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 岩手県葛巻町

盛岡から北上山地に入り茅葺民家を探す。
北上山地というモノクロの写真集を図書館でみた。
厳しい生活で写真集はまとめられている。
北上山地には被写体が満載の地域に見えた。
人は写真集でも歌でも北国の寂しさや厳しさを題材にするが人と話をすると極めて明るくできあがったイメージと随分違う。
岩手の人の顔立ちは原敬氏のようなしっかりした品のある顔立ちのある人が多い。

そんな中にも茅葺民家は残る。草棟の民家が多い。
私が訪れた時は綺麗な民家は少なく10年、15年遅かった気がする。

中学校の唱歌に埴生の宿という歌がある。
埴生とは木と赤土の壁で出来た粗末な家とある。床がなく土間住まいの家とある。
最近は土壁のままの写真のような民家も見かけなくなった。
箱木千年家をみたら土間住まいではなかったが床には板ではなく竹を並べ簾の子のようにしてあった。
板は贅沢品のため近くにある竹を使い筵を敷いて生活していたのが伺える。

蒸気機関車 C581号機

2014年08月01日 | 蒸気機関車
撮影場所 北海道北見市 北見機関区

北見に泊まった夜の北見機関区に立ち寄る。C581号機に出合わないかと思い立ち寄る。
C581号機が丁度停車していた。三脚にカメラをセットして撮影する。
地面には降った雪が凍結していて滑らないか注意して歩く。
夜の撮影はライトの光で照らされていないと撮影はできないので機関庫などは撮れなかった。
C58形は釧網線を走行していたようだ。

国鉄の蒸気機関車が全廃になる時に一号機が四形式残っていた。
C55形、C57形、C58形、D51形
どれも梅小路で保存されている。一号機、二号機やラストナンバーが優先的に保存機になった。