懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

リメンバー茅の里

2015年04月10日 | 茅葺き民家
茅葺きの里がその後、どうなっているか再び訪れるた。

広島県の東広島市から熊野町まで茅葺き民家を撮りにいきました。高速道路が呉まで東西二本つながり大変便利になった。熊野町まで二時間もかからず行けるようになった。
訪れるのは8年ぶりでしょうか、今回の目的は二つ、一つは茅葺き民家がどれほど残っているか、無くなった理由は何かを確認するため。二つ目は新しく買ったカメラで新規に撮り直す。
昨年、歩けない身体で心筋梗塞を患い生きる希望も失っていましたが生きながられたので三台目のカメラを買いもう一度撮影したいと思いました。生きている以上はいい写真が撮れなくてもカメラを持って出掛けるようにしたい。カメラも日進月歩性能がよくなっています。
最初のデジカメに比べて5倍の画素数、あの当時はコンパクトフラッシュが高かった256MBの容量で1万1千円もした時代、最初はそれを二枚買った。今はSDカードで16Gが1600円、隔世の感があります。

茅葺き民家は撮影できる程度残っていました。かって茅葺きがあったところをざっと回り 1.現存、2.トタン掛け.3.解体更地、4.廃屋放置、5.建て替えでチェックしました。
結果は現存18軒、トタン掛け6軒、解体更地6軒、廃屋放置3軒、建替え1軒でした。

今後も茅の里を訪れてどう変化していくのか注視したいと思います。
広島に行くとお好み焼きに立ち寄ります。八本松駅の北側の店で以前食べたが無くなっていた。東に100メートル「さかい」というお好み焼き屋で持ち帰りで買った
大きなお好み焼で容器にはいていたので半分食べ夕食にまた食べた。私がスペシャル700円、家内が普通で500円
国道486号線沿いにもお好み焼の店は何軒かあるが二階にあったり階段があったりで私には厳しい店だ。





岡山の茅葺民家  ススキのある風景 モノクロ

2015年04月09日 | 茅葺き民家
岡山県加茂町(現在は津山市)

刈り取ったススキが干されている。このススキも刈り取り材料に使うのであろうか

ススキは茅葺きの原料、昔から屋根は近くにある材料で葺いていた。
ススキや葦、麦藁、杉皮、檜の皮、こっぱ、なんでも使える物は材料にした。
茅葺きは手間が掛かるし耐久性がない。毎年茅は刈らないといけないし定期的に葺替えないといけないし金と手間がかかる。
何ひとつ茅葺き民家が残る要因がないのにまだ残っているのが不思議である。
残さないといけないと頑張っている人がいるから残るのであろう。
わたしなど何もできなく傍観しているだけだ。
ブログで茅葺きのある落ち着いた風景をPRするしかないと思う。


茅葺き民家 島根県吉田村の民家 モノクロ

2015年04月08日 | 茅葺き民家
吉田村は我々の住んでいるところからいささか遠い。一般道方道五時間コースだ。
行き帰りだけで10時間を要する。
四時に起きて帰りつくのが21時か22時のスケジュール
吉田村は中国山地を背に持つ、現在は雲南市になっている。
奥まった地域なので昭和が遅くまで残っていた。
民家も景観も私好みの懐かしく落ち着いた風景だった。
しかし、茅葺き民家が消えると周りの風景も懐かしさを失う。
今は高速道路が縦断した。随分近くなったが懐かしい風景は遠くなっているのではないか

下屋のない葺き下ろし民家が山間に現れた。
おもわずいい風景だと思った。挨拶に行ったが誰もいない。
玄関も窓もすべて開放である。田舎では都会のマンションのように鍵もかけない。
某国では窓はすべて鉄格子を入れないと泥棒が入る。日本の民家はガラス窓で簡単に泥棒が出来るという。

日本茅葺紀行 NO,207  岩手県一関市の民家

2015年04月07日 | 日本茅葺紀行
岩手県南部に煙だしのすばらしい民家があるのを茅葺き民家の写真集で知った。
具体的にどこにあるのか東北で茅葺き民家を撮っている人に教えてもらった。
現在は役場では個人情報に抵触するので個人の茅葺き民家は教えてくれない。
しかし、ネットがあるので場所を書いてあれば拾い上げられる。
自分の投稿して写真も筒抜けである。
岩手だと遠野付近に茅葺き民家がありそうだが観光用か保存家屋しかない。
茅葺き民家も人が生活している民家が一番である。
観光客がうろうろしている民家は撮りたくない。
岩手県では南部か北部しか茅葺きはのこっていないようだ。
旧の藤沢町にはこんな茅葺き民家がまとまって21世紀の現代まで残ってくれたのは奇跡である。
皆が遠野に眼が向いている時に茅葺きを観光資源にせず昔のままの田舎の風景を守ってくれた藤沢町の人々に感謝である。


蒸気機関車 昭和の鉄道写真

2015年04月06日 | 蒸気機関車
昭和の鉄道写真と言っても昭和40年代の三年余りしか熱を入れた写真は撮っていない。
SLブームに乗って蒸気機関車を追いかけた時代があった。
今考えて見ると昭和40年以降の国鉄の写真は民営化がテーマであったと思う。
蒸気機関車の廃止もその序曲に過ぎなかったように思う。
その当時の国鉄は巨額の債務を抱えていた。28兆円に及ぶ債務、金利だけが年間1兆円づつ増えて行った。企業ならばとっくに解体整理されていた経営状態、国鉄を民営化して債務を返済するのが国家の一大事であった。

国鉄が巨額の債務に陥った原因は
1.戦後復興期に大量採用した過剰人員
2.モータリゼーション、トラック輸送で旅客、荷物輸送の激減
3.旅客輸送が落ち込むのがわかっていながら新線開業
4.蒸気機関車のような燃費の悪さ人手を食う機関車を使っていた。
5.駅の切符改札の自動化、信号システムの自動化の遅れにより人員削減ができなかった。
6.長いあいだ運賃の値上げの抑制があった。
7.労使関係の悪化で人員削減、合理化ができなかった。
国鉄自体では改革は断行出来ず政治的な解決が図られた。
改革はいつも血の出る闘争を伴う。
国鉄の解体で労使双方に100名を超す自殺者がでたといわれている。

私は早々と鉄道撮影から足を洗ったが、今は廃線となった路線や見掛けなくなった旧型の旅客列車、貨物列車、木造駅舎、無人化される駅などを刻銘に記録している人がいる。

人はさよなら列車のようにマスコミとりあげられたらどっと押し掛けるが日頃から何で撮っておかないのかとおもう。大学の入学でスマホを捨てるか大学を捨てるかという挨拶が話題になっている。自分で考える力を養う事が求められる。
趣味の世界もブームになったものをやるのではなく自分で考え他人の目など気にせずコツコツやる事であろう。、

写真はSL3重連さよなら運転に来ていた鉄道ファン、私もマスコミの情報に踊らされてきた一人だった。

山陽線金光駅は花盛り

2015年04月05日 | 日記
岡山県浅口市金光町の里見川沿いに断続的に桜並木が一キロほど続く
田舎の桜のため桜見物人はそう多くない、場所とりの必要はない。
土手の上は道路、中段に散歩道がありベンチや空き地があり花見ができる。下を山陽線が走り金光駅がある。
電車や駅から桜並木が見えるのであろう。
岡山県にも伯備線の木野山駅の桜は美しい。特急電車もEF64電気機関車も走っていて鉄道ファンが休みには撮影している。







岡山の茅葺民家  落合町の民家 モノクロ

2015年04月05日 | 茅葺き民家
岡山県落合町田原山上(現在は真庭市)

地名の通り山の上の集落である。
行っていない地域を走ってみた。二度行ったが二回くらいで回りきれ地域ではない。
山の中を脇道があっちこっちと走っている。
茅葺き民家だけではなく地域の暮らしも撮っておくへきだった。
これを撮った頃は山の斜面を駆け上り撮影できていたのだ。
高いところに登り集落全体を撮っておくと後々参考になる。
高いところなので水田も少ないどんな物を育てて収入源にしているのだろう。
今の時代は車を持ち世間並みの暮らしをしないといけないのである程度の収入が必要であろう。農業収入だけでは暮らしていけない。
これからこんな山間の集落はどのようになるのだろう。



茅葺き民家 兵庫県三田市の民家 モノクロ

2015年04月04日 | 茅葺き民家
三田市木器の茅葺き民家、人の顔のような明かり窓が面白い。
神戸市の周辺の倉の明かり窓は人の目のような丸い窓が二つ、眉のついたのもある。
神戸市に六つ明かり窓の付い倉がある
倉ばかり撮っている人は記録に残しているのであろう。
この民家は現在探すがないようだ。フィルムをケチって余りとっていないのがいけなかった。
こんな写真が2枚残っているだけだ。
三田市は落ち着いた田舎の風景と茅葺き民家が残っていて好きな場所のひとつだった。


日本茅葺紀行 NO,206  秋田県由利町の民家

2015年04月03日 | 日本茅葺紀行
東北の春は一斉に花が咲き春爛漫である。
爛漫とは陽光がふりそそぎ花が咲き乱れる様子とある。
夏や秋には爛漫とはいわない。
特に雪国では雪も解け陽光が暖かくなり一斉に花が咲き誇る。
寒い地方の花は美しいように思う。
桜もチューリップ、水仙、芝桜は美しい。球根類は東北や北海道が栽培に適している。
菜の花や桜を一緒に撮れる民家を探す。
春にこないと東北の花の美しさは見られない。
山道むを走っていたら山野草を普通に見られるのも東北である。
山菜も豊富である。私は「こごみ」を県北まで採りに行くが東北は水気の多いところにはいたるところに生えている。



懐かしい物  ふごを持つ女性

2015年04月02日 | 懐かしい物
竹や縄、藁で編んだ運搬用具を「ふご」とよぶのだそうだ。
字はこのように書く「畚」

まだ大切に使い現在も使っている人もいる。
どちらかというとアンティーク好みの人がインテリアに使う事が多い。
ネットオークションを見るとよく売りにだされている。
観光地に行くと民芸品として中国や東南アジアで作られたのがうられている。
実用品とは本質的にちがう。

広島県熊野町で茅葺き民家を撮らせてもらっていたら奥さんが草刈りを終え還るところを撮らせてもらう。

合成樹脂のない時代は天然にある材料を編んだり織ったして紐状、布状、袋状にして道具を作った。容器も木や陶器、ガラスで作った。
戦後、合成樹脂が大量生産され紐でも布、シート、パイプ、バケツ、タンクなどの容器、板、食器も安価で容易に作る事ができる。