懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

茅葺き民家 峠越え

2018年06月20日 | 茅葺き民家
撮影場所 島根県旧吉田村

春の夕暮れ まだ田植えの準備は始まっていない。

中国山地の峠を島根から広島に抜けようとしていた。
峠道から眼下を見ると茅葺き民家が見えた。
またいつ来るか分からない。何枚が撮影する。
その後もここを訪れる事は無かった。
もう夕方の五時だここから岡山県の南部まで一般道で五時間掛けて帰る。
帰り着いたら22時だ。
太陽が落ち暗い道路は物思いに耽るのにいい時間だ、音楽を聞くより考え事をするのがすきだった。


今は吉田村には高速が出来て便利になった。二時間半でいける。


定年後は3000万円必要か?

2018年06月19日 | 日記
定年後は3000万円必要?

定年後は3000万円必要という記事をみる。いろいろな計算例があるが一例をあげると。
年金の平均支給が19万円で生活費は27万円必要なために毎月8万円の赤字
月8万円X30年間で約3000万必要というものだ。
定年後の本を売るために提案したのか銀行や証券会社が投資をさせるために企画したのか定かではない。
名のある出版社が出版した物なら説得力がありと信じてしまう。
ブログもこんな本の請け売りの記事が多い。
ブログは自分の日記だから自分が歩き見聞きして調べたものが基本である。
他人の書いた物を書き写しても軽薄な人生のレッテルを貼っているようなものだ。
本に書いてあるものを鵜呑みにせず身近にいる先輩方の暮らしを見聞きしてみるのが一番よい。

私は介護施設に通いデイサービスを受けている。
80代、90代の人ばかりでヒアリングには事欠かない。質問が金銭に関わる事で家庭の暮らしに立ち入るので聞かれたくない部分も多々ある。
年金はどれくらいで生活しているか家族構成(一人か夫婦だけか子供孫の生活か)
本には定年後3000万円必要というが3000万円いりましたかと質問をしてみた。
さりげなく根掘り葉掘り聞いてみた。

結論としては夫の定年後30年間少ない年金でも工夫をして生活してきた。
人間3000万円持っていればそれに見合った生活するし200万円しかなければそれに合う生活をできるものだ。因みにデイケアーに来ている人は3000万も掛かった人はいなかった。掛かっても生活費は500万くらいのものだ。夫婦が分れて長く老人ホームに入った人は金も掛かる。

年金暮らしの工夫
1.二世帯三世帯家族はコストが掛らない。自宅は老人が造ったもの光熱費(オール電化で電力代のみ)水道代 通信費NHK,NTT)5万円は老人の年金で支払い。食費や日用品は子供夫婦が出費し食事も嫁が作ってくれる。嫁姑のわずらわしさもあるが仲良く協力するよう努力している。孫の子守や送迎もやって協力してきた。老人の遺族年金でも貯金を取り崩すことはない月々僅かながら貯金している。年に一.二度の家族旅行の宿泊や会食は老人が負担する。農家の息子は会社勤めしながら休日は農業もやる三世代四世代家族、サラリーマンの家庭でも二世代三世代家族でコストの掛からない工夫をしている。田舎なので子供夫婦と同居している家庭が多いものだ。

2.上場会社勤務の人 コンビナートがあり一部上場の会社で定年を迎えた人は退職金もあるし企業年金や持ち株会での持ち株もあり資産は3000万以上持っている。70歳までは再雇用で働いて収入もあり企業年金があり貯金は定年後より増加した。企業年金が終ってからも年金額に見合った生活をしているので貯金の切り崩しはない。

3.一人暮らしの老女 老人ホームに入らず自宅暮らし。食事は給食の配達 スーパーの宅配利用、歩行は障害があるが自宅暮らししている。老人の生活費などそんなに金が掛らない10万から12万もあれば暮らせる。娘が近所に住んでいる 娘や近所.デイサービスが見回りしている。動けるうちは自宅暮らしが安くつく。老女の人が送迎バスで言った。自宅の周りの土地はみんな自分の土地(五反はある)だって資産をもっているのだ。

4.年寄りは裕福な人がいるものだ、先入観でこんなジィサン バアサンは金を持っていないと思ったら大間違い。年金よりはるかに多い副収入がある。

Aさん 89歳のおばあちゃん 大手スーパーの配送センターの駐車場に土地を貸している。毎月40万円で貸しているが息子が他府県で町長をしていて嫁が交際費に金が掛るのでその金を回してほしいという。金があるから大事にしてくれる。渡したら絶対アカンデといらぬお節介

Bさん  98歳のオバアチャン 旦那は38歳で急死した。実家に戻ろうと思ったが子供のために義父母とともに農作業パートをして子育てした。
田と畑があったので成人した息子と共にアパートを造った。12室所有している。息子孫と同居
若い頃は苦労したが今は裕福な生活をしているのだ

Cさん 85歳の男性 ガソリンスタンドをやっていたが法改正でタンクの更新に1500万掛かるので廃業した。ガソリンスタンドは駐車場に貸し出し、別に土地と建物を葬儀会社に貸している。月々いくら入るのですかと聞いたらそんな事は聞くものでないとまだしっかりしている。

Dさん 78歳男性 酒好きで体調不良 県道沿いの土地をコンビニのローソンに貸している。聞きもしないのに月々40万円で貸していると教えてくれた。その金でアパートを建設中だそうだ。
田舎のコンビニはどれくらいの売り上げがあるのか聞いたら年間2億円はないと厳しい。

Eさん 83歳男性 マスカットスタジアム(野球場)の予定地に田圃を持っていた。当時の金で6000万円 県の事業で税務署は税金を免除してくれた。他に畑や山林を持っている。
奥さんと娘さんを亡くした。金はあるし死ぬ前にひと花に咲かす愛人を囲いと余計な一言

Fさん  88歳女性 通っている介護施設の建物の土地二区間は自分が貸しているという。
昔は田圃だった商業用地はならないが介護施設ならできる。かなり広いので大金だろうと聞いたが貸している事も言わないでと釘をさされた。ブログで言うとるが

何人か紹介しました。老人は金を持っていないと見下していたが金を持っているものだ。



日本茅葺紀行 NO,453 スケボーの少女

2018年06月19日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 京都府南丹市美山町北地区

茅葺き保存地域の北地区で少女が斜面を利用してスケートボードに乗って遊んでいる。
オートバイや軽四も通るので危険だ。
下ると傾斜がきつくなり別の道と出合い頭になる。
親が近くにいたので余計な事はいわなかた。
こんなのをやった子供はスノーボードもすぐに覚えるのだろう。


蒸気機関車  勇払平原

2018年06月18日 | 蒸気機関車
勇払平原は苫小牧の郊外で低湿地で湖もある。渡り鳥の中継地でラムサール条約の渡り鳥り保護地域だ。
春には水芭蕉も見られる。
小高い丘もあり山菜もありそう。タラの芽だけは歩くのにトゲが邪魔で記憶に残っている。
小高いところから見たらアフリカのサバンナのようにも見える。
D51のナメクジが荷物を引き走る。
ここは室蘭線と千歳線の列車が撮れるのでここで撮影が多かった。
もっと行った事のない場所に行くべきだった。

懐かしい物 個人商店

2018年06月17日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県倉敷市下津井


地方都市では個人の商店が少なくなった。
大型スーパーやコンビニ、ホームセンター、全国チェーンのファミリーレストランの進出で個人の商店は廃業に追い込まれた。
こんな看板もないような昔ながらの店を見ている時代の波に飲み込まれたのがわかる。

世の中の流れに興味をも持って持っていればセブンイレブンの株を買うなりファーストリテーリングの株を買っておけば億の資産家になっていたのだが

主婦が二人でエプロン姿で店にきている。
この当時の人は女性では車の免許も車も持っていない人が多かった。
徒歩や自転車で買い物にいける範囲で買っていた。

今の車を運転する人は高齢者であろうと大型スーパーに出向く。
車社会になり人の行動範囲も大きく変わった。


茅葺き民家 広島県北広島町の民家

2018年06月16日 | 茅葺き民家
北広島町は島根県に隣接する。標高も高く冬は雪が多くスキー場もある。
八幡高原と呼ばれ平坦な盆地になっている。

そんな中に茅葺き民家が残る。向こうにももう一軒茅葺き民家が残る。
私は地元の人の暮しはほとんど撮影できなかった。
茅葺き民家だけフィルムに残しておわったようなものだ.

あれから15年から20年したら茅葺き民家は姿を消したのが多い。
まだ住む家はトタンを掛け住まない家は朽ちるにまかせている。

田舎の不動産家屋は相続を嫌がる。建物を撤去して更地にして売れない。

北広島町新庄に新庄学園高校というのがある。
巨人の田口投手ここの出身だ。こんな田舎でも野球の強豪校ができるものだ。
高速道があるので広島市から一時間で行けるそうだ。



日本茅葺紀行 NO,452 角屋造り

2018年06月15日 | 日本茅葺紀行
この民家は兵庫県三田市 猪名川町の角屋造り
角屋造りは母屋に直角に棟が付いている。
中門造りや曲り屋とも似たところがある。
役割や構造には違いがある。

角屋造りは京都、大阪、兵庫県で見られる。
格式の高い家が多い。
これも次第に減っている。

残っている間にデジカメで撮っておきたい。
個人の住む茅葺き民家は貴重な文化財だと思い撮影している。








自慢話

2018年06月14日 | 日記
自慢話


デイサービスでいつも自慢話をする96歳の男性がいる。
戦時中は天皇陛下の警護にあたっていたので戦地にも行かず終戦を迎えられたという。連隊で一人その任務に推挙されたという。確かに優秀な者が選抜されたのだ。もう一つの自慢話は孫が優秀である事をだれかれ構わず話をする。
孫子、曾孫まで入れるとかなりの数がいるはずだが並みの子供の話は聞いた事がない。
大きな声で話すので何十回と聞こえる。

ある時、私に自慢話をしようと話しかけてきた。天皇の警護に当たった話を始めたので私は.ディサービスに来ている人の中には太平洋戦争で父親や兄弟を戦争で亡くした人がいる。
私は軍幹部と天皇も戦犯とおもっている。戦争で親兄弟を亡くした人は一生天皇を憎んでいる。
天皇の警護をしたとか特高だったとかは一生隠す事ではないかと言った。自慢すべき事ではないであろう。
私より25歳も年上の大先輩に対して大人げない事をいったものだ。
利口な人ならばまた同じ話かと聞いたふりして聞き流すのであるがついつい言ってしまった。
大人げない事を言ったと思ったが次回も人を捕まえては天皇を警護した話を始めたので安心した。それ以来、私には口もきかなくなった。


私の昭和鉄道遺産 その73 8620型

2018年06月14日 | 私の昭和鉄道遺産
撮影場所 宮崎県 日豊線南延岡機関区

8620型蒸気機関車の正面から撮った平凡な写真
現在も8620型は観光列車として肥薩線でも走っている。
大正時代の機関車で100年近く走っている。

鉄道マニアの人に言わせるとナンバープレートの形式が入っていて旧字体のローマン字体のプレートはオークションに出ると100万円以上するそうだ。
普通のナンバープレートでも30万円はするそうだ。
これだけ高いとレプリカも出回る。
私が鉄道ファンをしていた時のナンバープレートは5万円位で即売会で売られていた。
私の一か月の給料くらいであった。

本物のプレートは鋳物なので角は鋭利ではない。機関車に装着されたものは長年雨風にさらされるので時代がつくという。しかし骨董でも時代を付けるエージングもほどこされ素人は騙される精巧なものもある。

私は鉄道部品の収集はした事がない。寮や借家暮らしではこんなものは保管できない。
先日も読売新聞に載っていたが盗鉄と呼ばれる鉄道部品を盗む輩がいる事を書いてあった。

我々が現役の頃も盗り鉄は沢山いた。サボ(行き先表示板)やナンバープレートは何度も被害にあった。機関車が停車中に操作コックを盗んだ者がいて発車が遅れたこともあった。

マニアが増えると不届きな者も増える。

今思えば全部の機関車のナンバープレートを撮影しておくべきだった。

懐かしい物 港の風景

2018年06月12日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県倉敷市下津井

昭和の港の風景には懐かしさが漂う。
船は木造船だ。
階段状の岸壁の雁木が残る。
現在は船の乗り降りは梯を使う。雁木がなく船は岸壁に接岸する。
港の洗濯物干しエプロン姿の女性。
民家も本瓦葺きで時代を感じる

港の際まで民家が並ぶ今は港は埋め立てられてこの風景はない。