懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

朝顔の種には毒がある

2020年07月04日 | 日記
介護施設の脳トレで何問か設問があった、朝顔の種の用途はと言う三択だった。
薬になるが正解だった。
麻酔を使って初めて手術をした、華岡青洲が朝鮮朝顔の種を使った麻酔薬を思い浮かべ薬に丸を付けた。
帰ってパソコンで調べると普通の朝顔の種も毒があり9個食べると命を落とす。
少し食べても下痢や幻覚がでるそうだ。
子供の頃に花を取り蜜を吸ったりした。幼児が種を口に入れなかったものだ。
私はもう一つ勘違いをしていた。オーシャンブルーの鮮やかな野朝顔(琉球朝顔)を朝鮮朝顔と思い込んでいた。野朝顔は大変強靭な多年草で沢山花をつける。

朝鮮朝顔は朝顔と言いながらナス科だそうだ。朝顔はヒルガオ科で朝鮮朝顔、琉球朝顔とも命を落とす毒がある。朝顔は花を見るためでなく薬とし日本に渡ってきた。

華岡青洲の妻は有吉佐和子の書いた昭和40年代、大ベストセラーになる。麻酔薬を作るため朝鮮朝顔の種やトリカブトを混ぜて作った。動物実験を経て人体実験をする。それを妻と母親が買って出る。女の確執が描写されている。妻は後遺症で失明する。母も寿命を縮め亡くなる。麻酔が効いたか確認するのに女性器の敏感な所を触るシーンが描かれている。そこしか覚えていないのも情けない。

毒のある植物は沢山ある、気を付けないといけない。
毒のある植物
スズラン、水仙、曼殊沙華、ジジキタリス、毒ぜり、トリカブト、ハシリドコロ、マムシグサ、あせび、しきび、アジサイ。




二人の天才を産んだ愛知県

2020年07月02日 | 日記
愛知県が産んだ天才は鈴木一朗と藤井聡太であろうか。
鈴木一朗は現役を引退し一流選手の倍の安打を打った。盗塁数、守備の華麗さ、レーザービーム、走攻守どれも超一流である。天才と言われるのを嫌う。敵もプロてある、常に研究して厳しく攻めてくる。日々、進化しないと結果は残せない。
長い活躍しても怪我、故障がない。

今もyou tubeで年間安打記録の全ヒットや守備の華麗さも見られる。

高校野球の愛知県大会の予選の映像がある。通算打率7割5分、ホームラン3本、盗塁13、しかも投手で走りまくる。中京高校戦で負けていたが雨天再試合で勝ち残った。
ここで負けていたらイチローは生まれていなかったと本人が言っていた。
高校野球のイチローを見ると細い60キロ。あれではプロでは通用しないと誰でも思う。
どうしても筋肉の付き具合を見る。余計な筋肉は故障の元を証明してくれた。

それとオリックスが4位でもドラフトで取ってくれた事。オリックスで仰木さんが監督になり重用してくれた事であろう。
イチローの父親が言っていた。学業も優秀だったのに野球の道に進ませた。プロになれなければイチローの人生を父親が潰した。

藤井七段の活躍は暗い時世を明るくしてくれる。
タイトルを獲るにはあと数年掛かると思っていたが最年少で獲るかもしれない。
棋士になる人、自体が天才だが、そのなかでも群を抜いている。
棋士は年間4人で40年で160人、東大へ行く人は10万人はいただろう。
羽生さんのような天才に追い付くには30年は掛かる。
 
将棋の事は分からないが応援したくなる。
年寄は楽しい事や感動するで嬉しくなれればいい。藤井七段を応援しても何の御利益もないがミハになり楽しむことだ。

余り偉そうに言わないし謙虚だし両親も出しゃばらないので好感が持てる。
14歳の中学生に望外とか僥倖と言われてもジジイは分からなかった。思い出すたび恥ずかしい。

イチローの故郷、豊山町にも藤井七段の瀬戸市にも別の日に車で行った。
瀬戸市は六古窯を訪ね歩くために常滑、織部とともに焼き物見学に行った。
豊山町と瀬戸市は直線で20キロくらいのものだ0.

懐かしい物 牛飼い農家

2020年07月02日 | 懐かしい物
撮影場所 島根県安来市
旧伯太町の牛を飼う農家、雌牛を2頭か3頭飼い子牛を生産する。
零細な農家であるが、和牛の生産を支えてきた。6ヶ月飼育して一頭が30万から50万円で肉牛生産牧場に引き取られていく。
副業だが手間が掛かる割には実入りが少ない。
どんな餌をやっているのかちょっと見た。草や稲わらを切ったものやヌカなどもやっていた。
こんなのはブログの、ネタにするために農家の人に根堀り葉ほり聞いて見るものだ。
話し始めると30分、40分は掛かるので沢山回りたかったので手短に済ませた。
乳牛を生産している農家や和牛を生産しているところは濃厚飼料をやっている。
牛乳は草だけだと25リットルしか生産できない40リットル生産するには穀物の濃厚飼料が必要。高級和牛も霜降りには濃厚飼料が必要。

この農家には飼料いれる、サイロが無いので草や藁だけで育てているのか。
山裾に上ると綺麗に草は刈り取られている。伸びると飼料に切っているのか。

昔はアジサイが嫌い

2020年07月01日 | 日記
私が子供の頃のアジサイを、美しいと思った事はなかった。
アジサイは好きな花でなかった。
その思いが強く家を建てても植える事はなかった。
ある時、家内が友達から、アジサイの花をもらってきた。
家内はアジサイが好きだった。
花が終わったのを水挿しにして、毎日水を替えるとカルスができ発根した。
それから柏葉アジサイも貰ってきて挿した。
昔、見たアジサイと違い花が端正になったなと思った。色々な花や品種もある。
日々、品種改良をしていたのでは思う。

昔のアジサイと現在のアジサイの違いを調べたがわからない。
有名なアジサイの名所やお寺のアジサイは植えて40年くらいのところが多い。
秋田の男鹿半島のブルーの花で有名なお寺は植えて15年という。
アジサイは花が終われば刈り込むので挿し木の挿し穂はいくらでも採れる。
15年でこの寺は1500本植えたそうだ。
アジサイを好んで植え始めたのは40年から50年前からでないかと思う。

私の記憶も確かではないが、昔のアジサイと現在のアジサイは明らかに違うように思う。
アジサイは梅雨といえども、10日も雨の降らない年がある。こんな時は花も生気がない。今年のように雨が降れば美しいと思う。
我が家のネコは花瓶に花を入れると、引っ張りだすが毒のあるアジサイは触ろうともしない。