梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

酒の話

2024-09-17 09:24:41 | お酒
酒を飲む、かれこれ60年近く飲んできた、
此れも遺伝か?
親父もお袋も飲んだ、がまあ極貧に近かった終戦後の話だからそれ程景気よく飲んだわけではないだろうが決して嫌いではなかった、
親父は毎日飲んでいたが安酒だったろう、大体合同酒精と言う今でいう甲類の焼酎を飲んでいた
正月に東京で働いている三番目の兄が帰省するときに必ずサントリーの角瓶を持ってきていた、茶色掛かった黄色の箱に帆船の画が掛かれていた気がする
帰省したその夜に親子で空にしてたがその時にお袋も少し飲んでいたのだが
親父は「酒の味は特に好きではないが酔うのが好きだ」と言っていたがお袋は逆で「酒の味は好きだけど酔うのが嫌でね」と言っていた、
自分はお袋の同じで味が好きだがあまり酔うのは好きではない、
別段泣き上戸とか喧嘩上戸とか言うのではなく多少ぼんやりとするくらいだがやはり感覚が覚束無くなる感じがあまり好きではないのだ
若い頃は友人と色んな所に行ったがこれは酒と言うより女の子と遊ぶため
純粋に酒をとなるとやはり一人で飲むのが良い
糖尿になって醸造酒を止められたの、しジャンルが減ったが其れなりに色んな酒を楽しんでいる、摘みも器も又楽しい
赤い漆の木彫りは会津塗、白っぽく見えるのは志野焼の茶碗だがこれで飲む焼酎は紅芋の名品「一刻者」(はいっこもんと呼ぶらしい)
チリ産のワインは安くてうまかった、ソービニヨンのミディアムボディ
紹興酒は醸造酒だからダメだが時々のむ、上善如水も悪くない、
今はジンとラムで楽しんでいるが何時まで飲めるかね

酒は~呑め ヾ 見出しは清水焼の猪口

2024-08-23 13:17:55 | お酒
恐らく昭和45~46年ころ、池上線の千鳥町駅から北に一方通行の道を逆にたどると一方通行が始まる小さな交差点を西側に折れた所に小料理屋風の小さな店が有った
間口2間ばかり、全面曇りガラスの引戸をあけると10人は少し狭いかと言うカウンターが有って40代くらいの女性が一人で切り盛りをしていた
尤も当時22歳位だったから年上の女性の年齢はあまり良く解らなかったので違うかもしれないが30代の前半ではなかったことは確かだ
未だこの時分店の前は畑で家庭菜園かなんかか、なにかへばりつくように植わっていたが野菜の姿は見なかったきがする、
そのすぐ先は環状八号線だが当時かの有名な「久が原の島住宅」が有って道路として機能はしていなかった、
店の名前は「筑波」と言う名前で白地の暖簾に薄く青色を佩いて特に気取った字ではなく明朝体で大きく2文字が書いてあった、
カウンターの右端に色紙の入った額が角を上下にして下がっていて「白玉の、歯に沁みとおる秋の夜の、酒は静かに飲むべかりけり」と書かれていた
確かにこの辺りは工場地帯で職工や運送会社の運転手が多いので飲み屋だと結構騒がしい店が多いのだが飲み屋でこの句は中々のものである
「若山牧水だよね」と聞いたら「故郷が同じなので好きなんですよ」と言っていた、
最近改めて調べてみたら牧水の生まれは九州の宮崎県日向市だった、筑波に住んだことでもと年賦を見たがあの辺はまったく出て来なかった
若しかしたら女将が日向の生まれだったのかもしれないが、店の名前が「筑波」だったのでそう思ったのだがどうも関係なさそうだ
まあ、店の名前は特に出身地とは限らないから勝手な思い込みだったろうが50年も経って初めて知った、
「酒は静かに飲むべかりけり」は大賛成だが実際は大半が正反対で大言方語、放歌高吟、辺り構わず傍若無人てな事が殆どだった。
尤も一人でこんな店で魚や野菜を抓みながら酒を啜るのでは「静かに呑む」のじゃあなきゃあ危ない人になってしまう
これは袋井の森田焼の赤ぐい飲み
この歳頃からほぼ毎日酒は切らさず、親しい連中と飲めば先のごとく、それが無ければこんな所でちびちびと、給料前になったら布団の中で乾物でとアルコール浸しでもう76歳,多分死んだらよく燃える、
糖尿で醸造酒は止められたが今の医学は有難い、蒸留酒ならOKだと言う、
しかしそれも量の問題だ、25度の焼酎1.8Lパックを月2本と口替えにジンだのラムダのウィスキーだの、ばれたら絶対に止められる
そう言えば3ヶ月に一回やっている血液検査結果はすべて順調だが必ず「脱水症状のきらいが有りますね、水を飲んでくださいね、高齢者は特に」と言われる
毎日600mlのお茶を3本は平らげ、牛乳だの、飲むヨーグルトなの、朝シリアルに豆乳だのと充分取っている、
はい、飲み過ぎです、わかっちゃいるけどやめられね~んだよな

ブラッディマリー

2024-08-22 09:33:59 | お酒
天竜浜名湖線が未だ国鉄二俣線と呼ばれていた頃、二俣駅の近くで我が不肖の姉が「ボヘミアン」と言う酒場をやっていた
行燈は「バー」となっていたがどう見ても田舎町の「酒場」と言う風情でそれがまた味が有った
その姉に小遣いをせびる更に不肖な弟が未だ二十歳を少し過ぎた頃の話
当時は天竜地方の杉は評判が良く多くの樵がこの町で暮らし、羽振りが良かったので店は中々繁盛していた
樵は伐採のある街を転々とする生活が多いので単身住み込みである、従って夜は大抵こういう店か焼鳥屋などで夜を過ごす
ちょっと小洒落た洋風酒場でその頃流行っていたのが「血まみれマリー」と言う飲み方だった
カクテルと言うには大雑把なこの飲み方はウィスキーとトマトジュースを好みの割合で混ぜて当時はやり始めていたタバスコを入れると言うやつだった
トマトジュースにタバスコと言うのは酒ではなく飲み物として一般的で喫茶店でも塩かタバスコを入れていた
本名「ブラッディ・マリー」は飲みやすいので飲み過ぎてしまうが中々美味しかった、
しかしどうやらこのやり方は日本式(場末の?)アレンジで本物はベースに使うのはロシアのウヲッカ・ペレツオフカを使いトマトジュースもデルモンテ100%を使うのが正式らしい

当時の浜松北部山間部ではこんな洒落た酒は手に入らないのでこんな飲み方になったんだろうが何でこんな山奥で流行したんだろう
試しにやってみたがそれ程感激する事もなく、当時の薄暗い天竜二俣の酒場がほんの少し思い出した位だった、
不祥の姉は一昨年83歳まで生きて施設で息を引き取った、更に不祥の弟は何とか未だ元気に酒を毎日飲んでいる、
久しぶりに又「血まみれマリー」でも飲んでみようか
※血まみれと言うワードがどうやら禁止ワードらしかったので表題変更

なりふり構わず、断末魔、そろそろ諦めたらどうだ?

2022-12-02 09:31:46 | お酒

政府は酒類及びたばこの購入にマイナンバーカードの提示を義務付ける検討に入ったと言う、
年齢確認を容易に且つ確実に進めるためと言う名目の様だがだとするとアルコール類の提供をレストラン等で提供するにもマイナンバーカードの提示が必要とならないと整合性が無い、
更に言えばアルコールの販売を主とする店舗においては入店時に提示が必要と言う事となる、
だとしたら日本国籍の無い人達にはアルコール飲料は買えないし、夜の街で遊ぶ事も出来ないと言う事になる、
「それは当然救済方法を考える」と言うだろうが店側にとって大変な労力となるだろうし客側となれば日本観光の魅力は激減する、政府の推進する「観光立国」インバウンド拡大とは相反する大きなマイナス要因となる、
政府はマイナンバーカードの普及になりふり構わずと言う体だがこうなると支離滅裂である、
昨日も「2万円の助成金」の付いた申込書が着いた、夫婦で4万円だがすぐにシュレッターにかけた
全国民1億2千万強に2万円を給付をすると1兆2千億だ、そこまで費用をかけても減税府にはメリットがあると言うおとだろう、
それが「国民のメリット」ではないのはこれだけ脅したりすかしたりしても半分程度の取得であることを見れば一目瞭然だろう、
やっと5割を超えたと言っても超えた動機は「健康保険をマイナンバーカード替える」と言う脅しに驚いた善良な国民が脅迫に屈したと言うひどい話だがそれでも多くの国民は動かない、
脅迫を繰り返すようなやり方を目の当りにしたら更に国民の不安は増大するだけだ
「人の話を丁寧に聞く」総理だった筈だが、聞くだけで説明はしないで国民の言葉は歯牙にもかけず脅迫を繰り返している政府を信用しすべての情報を権利を任せるとなどするわけはない、
一旦「全国民番号管理」を白紙に戻してその是非を国会ではなく世論の審判を仰いだ方が良い、そうすればもう少し発行に前向きになる人間も増える可能性もあるだろう
マイナンカードをアルコールに義務付けるなら丁度いい機会だ、老体の為に断酒してやるさ。