この頃船橋サーキットと言うレース場が有った、短いコースだったが東京近郊のジムカーナのメッカと言った所だった。車は余り改造は無くタイヤとサス回り、エンジンは簡単なチューニング位で後はロールバーを入れたり転倒に対応してガラスにガムテープを貼る程度だった、その分比較的簡単に参加できた、レースはクラス分けされていて1000cc以下の常連はホンダS800とトヨタスポーツS800、此れはパブリカの空冷800ccをスポーツチューンしてスポーティのボディを架装しただけだったが見た目は非常にそれらしいので人気があった、1000ccから2000cc未満はブルーバードのSSS(スリーエスと呼ぶ、510と言うモデルだがスーパースポーツセダンがSSSなのだが此れにクーペは少し言語的に矛盾すると思うが)の2ドアクーペが主で他にトヨタのコロナハードトップS、イスズのべレット1800GT、ベレGと言われて人気が有った車だ、それと未だ日産に吸収される前のプリンス自動車のスカイラインGT、此れは最初セダンの乗用車として発売されたが1500のエンジンを2000ccにしてシャーシのフロント部分だけ長くし押し込んだ車で此れは今でも延々と作られているが、やはりこの時代のスカGが懐かしい、若者はこの手の車に憧れて(何時か買ってやる)と思った物だった、思えばこの頃は夢が有ったな、車で言えば未だ多くのメーカーが個性的な車を作っていて夢中になれたな、今ではトヨタに成ったダイハツ、プリンス自動車、イスズがトラックから参入して面白い車を出していた、時代はやや下がるが「カルマンギヤクーペ117S]と言う車は乗ってみたかった、振るフラットになる「フローリアン」と言う車は主婦連から「風紀が乱れる」とクレームが付いたが・・そっちに考える方がどうかと思うけど。東洋工業が世界に先駆けて「ロータリーエンジン」を開発し前衛的デザインのコスモを出す、富士重工はレオーネのワゴンで4輪駆動車を売り出す、と言った按配で2大メーカーも日産がフェアレディを出していた、トヨタが何か面白い車を出していたかちょっと思い出せないが、一方で軽四輪が出始めてスバル360、マツダR360と言った名車が世に出て来る、前項のダイハツは軽3輪で出したミゼットが大ブレークしている、ダイハツと言えばその前は3輪トラックで大きなシェアを持っていた、その頃有った「くろがね」と言うメーカーはこの頃は見えなかったな、確か元は大型バイクやで「めぐろ」と2大メーカーだったと思うが戦争が終えて民需に切替えられなかった事で消えてしまった様だ。外車も含めて乗りたかった車は随分有るが今では面白い車はなくなってしまったな
この時期に買った車は取り合えず買える物だったので印象は薄い、私は知らない道を一人で走るのが好きで一度通った所だと取り合えず何処かを曲がってみるとか、地図を見てひたすら回遊して来るとかしていたので走れば良いと言う面が多い、しかし機械物が好きなので構造やスペックを見て楽しんでも居た、大体方向を決めて(南向きに走り出したから此処を右に曲がれば西に行くだろう、)と言った様な感覚で走るので行ったら行き止まりだとか、大きな農家の私道だったりとか段々狭くなってUターンも出来なくてずっとドアを開けてバックしたりとか随分遊んだ、(此れが後に四輪駆動車になって行くのだが)2台目はブルの2代目だったような気がするがその前にべレットの1500だったかもしれない、ブルの2代目は全体のラインが弓形に中央が反り返った感じのデザインで余り好きでは無かったが程度は良かった、買った時に中古車店が「元の持ち主は岩下志麻だぞ」と言われたようなきがする、もう一台何か入っていたかもしれないが記憶に残っているのはマークⅡのハードトップだった、元々2000ccの車体に1600ccを乗せた物で2tを超えていたのでかなり動きは緩慢だが乗り心地は良かった、この頃から喫茶店で知り合った遊び仲間が出来て大勢で乗る事が多くなりどうしても大きな車になってしまう、ある時仲間5人で旅行に行こうと言う話しが纏まって、私の車で房総半島の白浜に泊り込みで飲みに行ったのだが、帰りは半島中央を縦断しようと言う事に成った、未だ未舗装の道が多く、数日来雨が降っていてその日は晴れていたのだが、かなりぬかるんでいる、上り下りの多いぬかるんだ道を行くと轍が深く道の中央がかなりの高さで膨らんだ格好になっている、(腹をこするな)と思ったが此処で止めるとおそらく抜け出せないと判断してそのまま進む事にした、右車輪を中央の山に掛けて左が脱輪しないぎりぎりを進んだのだが案の定半分も行かないうちにスリップして車輪は轍に落ちた、明らかに車体の下部が道路をこすってしまったがそのまま此処は通り抜けた、しかし暫らくしてシフトを変えようとしたらクラッチが全く反応しない、(やった!)と思ったが仕方ないのでエンジンブレーキを掛けていた為に入っていたセカンドギヤのまま暫らく走り続けてやっと見つけたガソリンスタンドに入る、エンジンの回転を速度にあわせてエイヤッとギヤを抜いて停止して調べたらマスターシリンダーのオイルが全く無い、どうやらパイプを損傷したらしい、今考えると何処が当ったらあんな事になるのか解らないのだで若しかしたら基本的な故障だったかもしれないな、ガソリンスタンドでブレーキオイル(昔はスタンドで売っていた)を買ってなるべく信号で止まらないように速度を調整しながら時間を掛けて帰宅、翌日修理煮出しが終えたら急いで買い換えてしまった、本当に今思うと車は面白い物だった
そんな訳で1台目は2ヶ月乗った訳だがその後あまり間を置かずに中古車を買う、しかしこの間の数台は前後が良く解らない、イスズのべレット1500、2代目のブルーバード、三菱コルト1500、シビック2代目、この辺りがどうもこの順番か覚えて居ないがおそらく4~5年の間で乗換えていた、もう少し空いているな、この中で印象に残っているのは三菱のコルト1500SSと言う奴、完璧な3BOXスタイルで色は暗緑色、コラムシプルタイプと言ったと思うが、ダッシュパネルに張り付くようにまっ平のハンドルが付いている、ハンドルスポークも鋼板を打抜いたレーシング風の物で通常ハンドルに着いているウィンカースイッチもホーンも付いて居ない、全てダッシュボウドに長めのレバースイッチになっている、フロアシフトは4段でクロスレシオ、しかし三菱自動車のエンジンはトルク重視で余り回転は上がらない、高速は今一だがスタートから70km/hまでは実に快適だ、御蔭で覆面パトカーが隣に居るのを気づかずシグナルダッシュで捕まってしまったのは買った当日だった。結構気に入っていたのだが田舎の海辺を走っていたら突然車の後部がジャンプして着地したら排気音が尋常でなくなった、急いで車を止めてみたらマフラードラムの直ぐ前で折れてしまい、それが路面に突き刺さり棒高跳びよろしく後部を跳ね上げたらしい、そのまま引きずるわけにも行かず取り外したのだがとても公道を走る事の出来る状態では無く、直近のガソリンスタンドに預かってもらい後から修理屋に引き取ってもらったまでは覚えているが手放したのは何時頃だったか?実はこの頃憧れていた車はホンダのスポーツS800、Sは500がスタートで此れは非常に短く直ぐに600に成った、かなりの人気車種で中古でも出回らず当然安くは無い、知り合いが乗っていて数回廻させてもらったがロードクリアランスは15Cm程度でまるで路上に座って運転する様な感覚だった、シートは硬く薄い、シフトは手首でチェンジできるようなショートストロークで実に気持ちの良い車だった、ハンドルの遊びも無く低重心でゴーカートの様な車だからスピード感が全く違う、欲しかったな、その後800ccになり馬力が88PHだったと思うがリッター100PHはこの頃は珍しかった、バイク屋の作ったエンジンなので高回転でレッドゾーンが7000回転くらいからだったと思う、確かウェイバーの2連を2個付けていたので実質1気筒1キャブだったと思う、今のS2000も魅力的だが程度の良いS800があれば乗って見たいのは変らない、子供を乗せる必要も無いので夫婦だけで乗るには良いのだが、余り女房殿は気に入らないみたいだな、
暫らく昔の事でも書いておこうかと思っていたが先日の事業仕分けで余りに人を馬鹿にしたコメントを見て言っておきたくなった。宝くじの件である、確か元鹿児島県知事だったようだが「何でそんなに報酬が高いんですか?」との問に「簡単です、人が少ないから」と言った、事業仕分けの目的を理解しているとはとても思えない、税金が無駄に使われてる所をあぶりだして徹底的に省くと言う目的である、この回答は”もらえる金額は総額で決まっているから人が少なければ分け前は多くなるのは当たり前」”と言う理論だ、歳出を減らす為に人員を必要最小限に(必要ならだが)するのが目的だから人が少なければ歳出は減る筈である、あれだけ堂々と答えた所を見ると本当にそう思っているんだろうな、一般常識が欠如しているとしか言いようが無いが、官僚と言うのはああ言う人種だとしたら官僚を解体する事が急務になるな、何しろ全て税金で賄っているのだ、公僕と言う言葉は何を指すのか、公務員手当はその時の民間国民所得にあわせて決められるのが決まりのはずだな、確か一般公務員は何年かに一度だがそうした監査がある筈だ、だとしたら特殊法人であるかどうかに関わらず税金で賄われている所得は民間平均所得に順ずるのが筋であろう、取り合えず法人解体が難しいなら税金の投入されている団体の所得平均はその時の平均所得以下に抑えるべきだろう、なぜ以下か、民間平均所得の財源は民間人が努力に努力を重ねて自ら稼ぎ出している金なのだ、そこから強制的に持っていかれる税金で賄われている人件費は当然その事を理解して貰わなければならない、民間は先の保証は無いのだ、例えば会社が単年度で大きな利益を上げたとする、その2年先に事故に有って大きな赤字に転落したとしても税金は戻っては来ない、大きな赤字をだして借入で凌ぎ数年掛けて借入を返すと返した分は黒字として計上され税金が掛かる、ぎりぎりでやっている弱小企業は残った利益を全て借入返済に廻すと翌年の税金を払えない、それでも借金を抱えて仕事を続けないと破産しかない、此れが日本経済の安全弁と言われる中小零細企業の実態だ、そうして残した所得が民間平均所得なのだ、しかも今の平均所得は実態を正確に表しているとはいえない、300万以下が7割で残りの3割が300万を500万近くに押し上げている、しかも300万以下にはかなりの100万台の所得者が居る、だから貧困層が多くなるのだ、平均所得の半分以下と言われるが此れには「無職者」は含まれない、今現実にはワーキングプアと言われる者、完全失業者が1割近く居る、此れは完全に貧困層だ、まあ逆に押し上げている3割をブルジョアジーとして分離して計算すれば貧困層はかなり減るがね、経済は国に幾ら有るかより「如何に回るか」になるが今預貯金を使い切ったら国は見殺しにするとしか思えないなら必死で節約するしかない、それが消費を減速させ生産の足を引っ張り、流通を下げその分コストを下げるからその分の所得が下がり税収が落ち、消費が更に下がると言ういわゆる「負のスパイラル」が進行してゆく、子供を育ててもらう為の子供手当亜kも知れないがこの国の有り方では我が子の行く末に夢を育んで貰う子育てなどできるわけが無い、今の若者の白けきった感覚はこんな所から出ている、しかし国の停滞と言うのは後退に等しい、思い切った処置が必要だ、
何時の頃からか無くなってしまったが私達が免許を取る頃は「構造」と言う試験が有った、此れが役に立った。オンボロブルーバードはそれでもちゃんと走る、12月の休みに入ると早速田舎に向けて走り出す、東名は東京と厚木、沼津と富士だったかな?部分開通しかしていない、東名で何とか時速100kmが出た、感激物である、小田原から1号線を上るのだが東名を降りた時点でオイルプレッシャーランプが点いた、出かける前に点検して補充しておいたのだから漏れているかピストンリングが減っていて燃えてしまったのだろう、排気ガスは見えていなかったからおそらく漏れだな、ガスケットも古そうだった、箱根の坂でオイルが切れたら大事だと予備を買っておく、ドロップの缶のような1L缶が有ったので此れを念の為2本買う。案の定箱根峠を越える前にランプが点く、トルクが無くなっているのでセカンドで上がって来たので回転が高かったせいだろう、この頃は殆どがコラムシフトで3段だ、お玉が池先のピークで外灯を頼りに1Lのオイルを入れる、箱根峠をエンジンブレーキで降りていったら今度は突然ヘッドライトが消えてしまった、インジケータランプは点いている、ヒューズを見たら案の定15Aのメインが切れている、おそらくボルトレギュレーターが駄目でエンジンブレーキで高回転が続いたせいだろう、友人の整備士に聞いていた知識が生きた、車に使われているコードの銅線をばらすと1本が大体10Aで切れる、但し縒っては駄目、と聞いていた、ガラス管と爪の間に2本の銅線を渡してスイッチを入れる、無事点灯、これからはゆっくりと慎重にエンジンを廻す。田舎の友人宅に着いたのは明け方の3時過ぎ、神社に車を止めてヒーターを掛けたが静かな山の中では音が響く、おまけにガスが無さそうだ、キャンプの要領で新聞紙をガラス面に貼って仮眠を取る、明るくなったら友人に起された、「窓中に新聞紙を貼った怪しい車が止まっている」と祖母から聞いて見に来たらしい、出かける前に電話を入れていたのでピンと来たそうだ、燃費は悪いし音も凄いがエンストだけは無く生まれて始めてのマイカー(半分だが)には充分満足をした、その後友人は車検切れまで乗って錦糸公園の脇に車体番号とエンジン番号を鏨で潰しておいて来たらしい、此れからずっと車を所有して商売に行き詰って手放すまで40年間、中古から新車と乗り継いだ数は20台近くになる、国産メーカーで所有しなかったのはスバルだけだろう、此れから1台づつ思い出を書いてゆこうと思っている