梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

東電・関電・野田政権は一旦解体だ

2012-07-31 15:19:17 | 雑記
今日で2012年7月が終わる、明日からもう8月だがうだる暑さは気象だけでは無い、
東電の実質国有化が決定し枝野経産相は「今までの国有化とは全く違ったタイムスパンで考えなければならない」と言ったのだが「国有化」されても現在の経営陣はそのままで国有化された筈の経営陣の所得はそのままで支出削減の努力は皆無、その分を電気料金値上げだと言う、
情報は隔し続け、真実を歪めたままでは「今までと違う国有化」は別の意味を持っているのか、
今まで半官半民の有利な所を集めて傍若無人な経営をしてきていた東京電力は「半民」が取れて官営の会社になったと言う訳だが国の管理下におかれるという事ではなく「庇護の下」に潜りこんで全てのツケを国民に押し付け自らは今までの既得権益を更に上積みしかねない、
国営なら投下する税金は国民の総意に従って行ってもらわなければ納得は出来ない、「それでは倒産する」と言うならさっさと倒産して貰い新たな組織として再構築して貰う方がどれだけましだろうか、
実際に働いている技術者や社員はそのまま継続雇用して管理者は新たに民間の充電メーカーから、経理運営は銀行からと商社からでも投入すればよい、いや是非そうするべきだろう、
自己保身に凝り固まって欺瞞と隠蔽を繰り返している連中は現場に出ても何の役にも立たない、官僚とのパイプと金融機関との交渉に長けて政治的な判断と言うより目先が利くだけの連中は電気の安定供給とは何の関係も無いだろう、
此れだけ国を挙げ、報道機関を総動員して喧伝しているオリンピックと言う国家イベントが動いているにも関わらず、交通規制をせざるをいえないと言う規模の「原発再開反対」のデモが続き、その運動はドイツやフランスにも広がっている、この状況を無視して再開した大飯原発を止めるどころか更に再開原発を増やそうとしている政府をどう評価すればよいのか、
すでに国民の大多数は「評価にも値しない」と言う結論を出しているのだと思う、穿った考えをすれば原発再開の強行は消費税上程のカモフラージュなのか、兎に角現政府の政策は「此れと此れは駄目だが此れと此れは勘弁して欲しい」と言うレベルでは無い、あらゆることが「否」なのだ
此れでも民主政治だと言えるのか、重ねて言うが絶対に「民主」の党では無い、
江戸期なら一揆が起きて明治期なら暗殺も起きかねない位国民は怒っているのだ

劣等感とプライドの関係

2012-07-30 13:48:44 | 雑記
プライド(pride)を英和辞典で引いてみると→ うぬぼれ, 思い上がり;優越感, 高慢, 横柄, 自負, 自慢と出て「誇り」や「自尊心」は出て来ない様だ
逆に「誇り」で引くと(pride)と出る、(但し「誇り高い」と言う原文になっている。誇りそのものでは無い様だ)
「自尊心」もやはりprideと出る、もっとも此方はpride; self-respectと二つ書かれているのでは有るが辞書と言うのは逆に引いたら同じ文言が出るかと思ったがそうでもない様だ、
日本語の「誇り」と「自尊心」には思い上がりや優越感は含まれて居ない、因みに優越感で引いてみると独立した単語としては出て来ない様だ
最近見たブログで「プライドは劣等感の成せる物だ」と言う意味合いの物が多く出ていた、
確かに劣等感を刺激されて”プライドを傷つられた”と言うような表現をとる事は多々有るだろうが
だからといって「プライド=劣等感の裏返し」と言うのは明らかに間違いだ、
劣等感の対語は当然優越感でこの両言語は「他と比較する」事にあって誇りや自尊心とは全く逆の意味合いになる、
人生に於ける誇りや自尊心は「他から独立した自己」であって「他人がどう思うか」とが「他人より自分がどう」と言うものでは無い、
どちらかと言うと「ポリシー」に近いだろう、英和辞典では「何かを行うときの手段」と出ているが一般的には「あいつの行動にはポリシーが無い」と言う様に「行動する原則」と言う様なニュアンスで使われている、
生きる為の手段に一定の規範を自ら課して其れに従って生きる事が「誇り」であり、この規範を守って行動する事が「自尊心」では無いか?
政治を司る人間にはこの「行動規範」を「全ての人民の為に、こうあるべきだ」と言う物を持って政務に当たるのが「誇り」であり、其れこそ「プライド」でなければなるまい、確かに今の民主党が自らを評する「プライド」は辞書のとおり「思い上がり・優越感・高慢・横柄」に相応しいが日本語で言う「誇り」は国民の為のみに行う政務であり「自尊心」も国民の意に恥じない事であろう、
もし誇りや自尊心が英和で言う「うぬぼれ, 思い上がり;優越感, 高慢, 横柄, 自負, 自慢」だと言うなら武士道や騎士道は成り立たない、決して「武士は喰わねど高楊枝」は見栄を張ると言う事ではないし、「渇して盗泉をのまず」はやせ我慢と言う事では無い、
政治屋でなくとも再度日本人である事を「誇り」に思える様な生き方を見直して貰いたい

蚊燻と蚊帳

2012-07-29 14:57:12 | 雑記
2~3日気温が下がったと思ったら一昨日から又暑い日が続く、、
子供の頃は田舎の山奥だったので此れほど暑くは無かった気がするが田舎では家の構造がシンプルで障子を外すと殆ど東屋に畳敷きの様な状態になる、
その分蚊が半端では無いので寝る前は囲炉裏に火を焚いて生のススキや蓬などを乗せて猛烈な煙を出す、「蚊燻し」と言っていたが田舎だけなんだろうか?誰にも聞いたことも無いので分らないが当時は不思議でも何でもなく殆どの家は「蚊燻し」をやっていた、
寝る時は蚊帳を釣って寝るのだが上手く釣らないと蚊が中に入る事があるので蚊帳を釣る前には特に派手に燻して置いて蚊帳を釣る、8畳間だったが蚊帳は6畳用の物だった、
蚊帳に入るには畳に引き摺った部分を両手で持って勢い良く左右上下にパタパタと煽ってからすばやく入る、蚊が入らないくらい細かな簾で出来ているから風通しはそれ程良くないので結構暑く、寝るまではお袋が団扇で煽ってくれていた記憶が有る、
何時頃からかあの渦巻きの蚊取り線香が出始めると蚊帳は使わなくなった気がする、
日立時代は夏の記憶があまり無い、どちらかと言えば毎年数回雪が積もるのでそちらの記憶が多い、
アイスクリーム会社の借り上げアパートに住んでからは夏の暑かった記憶が多くなる、時代のせいではなく住んでいたアパートが西陽が強くそのせいである、特にトイレが2階に上がる狭い階段の中程に有って足元の小さな引き扉と立つと腰の直ぐ上位にある摺りガラスの窓が見事に西向きで2時過ぎから5時前までは地獄の暑さになる、
若気の至りと言うか馬鹿さと言うか寝苦しいからとのみ始めてそのまま明け方までと言う事もちょくちょく有った、胃液が逆流するほどの酷い二日酔でこのトイレに座り込んだ事が有ったが(若しかするとこのまま此処で死ぬんじゃないか)と思うほどの酷い気分だった。
20代の頃伊豆の菖蒲沢と言う小さな入り江に毎年通った、友人夫妻と必ず付いて来た金槌の友人でゴールデンウィークから潜る、友人の奥さんとその金槌が磯で焚き火をしてくれる、ゴールデンウィーク頃だと海に入る時は噛んだシュノーケルが細かくゆれて止まらない位水が冷たいのだがそれでも入る、
その頃はボンベを使わない、ウェットスーツを使わないで入っていると地の漁師も大抵大目に見てくれた、特に4月頃から入っていると「お前らも好きだなあ」と笑っている位だったので其れを1つの目安で潜っていたのだった、
その菖蒲沢で5月の前半だったと思うがスーツなしでシュノーケルも付けないで潜っていたが焚き火で暖を取っていたら入り江の入り口から少し中に入ったあたりから両手に伊勢海老を持って上がってきた、かなり良い形で「凄いですね、どの辺りにいるんですか」と聞いたら「10mで探せば結構居るよ」と言う事だったが手掴みでと言うのも凄いが当時の二人にはとても獲物を探せる棚ではなかった、必死で潜って底に触ったら直ぐ浮き上がるのが精一杯で「少し探せば結構居るよ」と言われても「そりゃ無理だ」と言う話で、「よし!今年は駄目でも来年は」と思って居たのだが結局翌年からは石廊崎の少し手前の「良子浜」と言うところに移動してしまった、
当時の良子浜は今の突堤が無く本当に信じられない位緑の美しい入り江で此処の近くで探した民宿「大和館」の女将さんは海女さんだったので「ヒレだけなら組合に話してあげるから」と言う事で安心して潜れるのと磯が遠浅で子供を遊ばせるのに良いと言う事で此処にその先5~6年通う事になる、
夏休みに行くともう獲物は殆ど居ないが多少アワビと蛸が採れた、姫サザエも取れたが数は余り無かった、とこぶしも居る。
蛸は自分の巣穴の廻りに獲った獲物の殻を撒き散らすので分りやすい、出てくるのを待ってモリで突き刺して獲る、毎回数匹は獲れた獲物は民宿で友人(飲屋の親父)がさばいて食べる、
菖蒲沢とは縁が遠くなったがその後通ってみたら菖蒲沢は観光開発されて入り口に駐車場とドライブイン的な店が出来ていた、

同窓会の連絡

2012-07-27 16:46:59 | 雑記
中学校の同窓会の連絡が来た、来年の3月で50年になると言う、実を言うと此処数ヶ月妙に同窓会の事が頭に浮かんでいた、今まで殆ど出ていなかったのだが今回は出てみようかと考えて居たのだが改めて場所と時間の連絡を見ていたら段々行く気が薄れて来た、
思い返してみて(あいつの顔を見てみたい)と言う奴が全くと言って良いほど居ないのだ、場所も新幹線で行けば2時間も掛からないし駅からバスが仕立てて有ると言うのだからそれ程面倒ではない、しかし自分は昔から日が高いうちに酒を飲むとどうも調子が悪い、最近は酔っ払って電車やバスに乗ると気持ちが悪くなる、そうかと言ってその為にわざわざ泊って来るのも面倒くさい、
まあ、なんだかんだといっても要は同窓会そのものに魅力が感じられないんだろうな、
段々と故郷と疎遠になる、15の時から田舎には何も無くなった事も有るが思い出と言う物が故郷の景色であっても友人と言う者に結びつかないせいかもしれない、そう考えるときっと自分は相当面倒くさい性格なんだろうな、
子供の頃の遊びは恐らく他の人とそれ程変らないとは思う、凧を揚げたりコマを廻したり、かくれんぼだったり或いはちゃんばらだったり、同じ様な遊びをしていたのだが一緒に遊んでいた友達の顔が殆ど浮かばないのだ、名前は確かに覚えている、しかし思い返しても「楽しかったな」と言う形で結びついていないのだ、遊びの記憶は殆ど1人遊びのものだった、
野苺を採りに言ったりイタドリを採ってきたり、山を越えると何が見えるかどんどんと歩いていったりしたのだが殆ど1人だった気がする、川で泳ぐのも誰かと誘い合わせてではなく勝手に1人で行った、其れを考えると恐らくあまり子供同士でも好かれる子供ではなかったんだろうな、まあ本人はそんな事は全く考えても居なかったのだが
結局この性格は今でもさほど変っていないのかもしれない、日立の寮にいる時も遊びに行くのは1人が多かった、同僚の女の子と浅草花やしきや後楽園に行った事も有るがカメラを持って庭園や神社仏閣を巡る方が好きだったので特定の彼女と言う人は居なかった、
労音も自分が面白いと思ったものを見に行くのだが誰かと一緒に行った事は全く無い、若しかしたら何度か誘って断られたからかもしれないがその記憶も無い、
その割りに「レクレーションリーダー」なんて物をやっていてイベントを企画する事は好きだったし進行係りは進んで引き受けたが結局進行係りなんで其処で楽しむ側に行った事が無い
20代の前半に転職して行き付けの喫茶店で知り合った連中と仲良くなってつい最近まで飲みに行ったりしていたが結局今では殆ど音信が無い、家族の縁が薄い自分だが孫が懐いていて少しは人間味が出たのかなと思っているのだが友人と言うのはやはり余り居ないな、
それでも子供が小学生の頃は子供繋がりで海に行ったり山に行ったりはした、しかし子供が成人するとその関係も薄れてしまい結局今どこにいるのかも分らなくなってしまう、
同窓会の連絡に「物故者となられた方も多数云々」とあったがやはり飲み仲間も何人か欠けた
最後は女房とどちらが先かと言う様な年齢もそろそろか、やれやれ

泥鰌が開けたパンドラの箱は

2012-07-26 12:39:46 | 雑記
オスプレイが搬入されて恐らく米軍は飛行を開始するだろう、消費税は難しいが強行に進めるだろうし原発は際がどうし始めた、東電の値上げも結局認めてしまった、圧縮したと言う数字は大阪の店で客と店が見せ掛けの値引き交渉をするのと変らない、見積書を付加して出してあるだけの事だろう。
野田政府は最初から国家と国民を別個の扱いで民意は全く考慮していない、其れが官意だと言う話も彼方此方で出ているが其れが官の意向であろうと野田総理の意向であろうともとより関係ない、国民の総意が真逆だと言う事は紛れも無いことなのだ、
自民党の政治運営が永過ぎて色んな澱が淀んで来た、(何とかしなくては)と言う国民が選んだのが今の民主党だったが総理大臣が次々と変りその度に更に酷くなる、確かにどの候補を選んでも指して換わらないだろうと思うが対立を避けて中庸と思われた野田総理だったが結局最悪の選択だった様だ、無論此れは国民が選ぶのではなく「与党内部」で選んだのだから有権者がどう歯噛みしてもどうにもなら無い事だが政権を取る前に有権者に示したマニフェストと言う契約を全く守らないのでは今回の選挙結果は向こうだと言わざるを得まい、
何故国会に対するリコールが「内閣不信任案」なのだ、国民の大半は「現内閣を信任していない」と言う事は間違いないだろう、多くの国民の信任を受けて成立した民主党内閣は野田佳彦と言う人間を総理にした事で「パンドラの箱」の蓋を開けたが如くあらゆる災いと悪意を撒き散らしてしまった、しかしパンドラの箱はその一番奥から「希望」が出て来るのだがこの箱から出てきたのは国民を甞め切った「官僚」と「経済界」だった、泥鰌は泥の中を動き廻り稲の生育に役立つが「自称泥鰌」は稲の根を喰いちぎってしまう、国民と言う稲は恐らく枯れ腐り、これから米の収穫は望めまい