40歳の時に設立した会社がどうにもならなくなったのはもう何年前になるか
バブル景気のおかげで中卒の自分が女房のへそくりとなけなしの預金を使って当時は未だあまり認知されていなかったCADのデータ入力会社を設立し一時は年商1億を超える会社にしたのだが所詮隙間産業で体制を立て直すことが出来ず20年目の年に破綻した
信用保証協会の保証で借り入れは代返されたが保証協会には「経営者個人保証」として1900万の債務が残った、
女房の名前で作っておいた会社で細々と続け、知合いの紹介で太陽光発電の開発にシフトし
何とか未払いだった税金は本税だけで猶予してもらって済ませたが保証協会の債務はずっと残っていた、
毎月1万程度を支払って来たが延滞金すら届かずその額は延滞金を含め今年の3月で3200万まで膨らんでいた
75歳、これから収入が劇的に増える事は望めない、このままだと負債は女房、子供達に相続されてしまう、
女房と話し合って個人破産をしようかと考えて調べていたら去年の8月頃中小企業庁が
経営者個人保証が新規事業の発展に対して心理的なハードルになっているとして原則「経営者個人保証の廃止」を打ち出していたい、
過去の個人保証も原則猶予としてその条件は「現金・預金を99万まで残す、家は華美贅沢で無い範囲で残す」と言うガイドラインを出していた、
この事を保証協会の債権回収会社「東京保証協会サービサー」と言う会社に電話を入れた
しかし「あくまでガイドラインなので強制力はない」と言う返事だったのだが
「それでは自己破産をした方が良いのではないか」と言うと「幾らなら一括支払えるか」と言う話になり何度か面接をして結局70万円を返済する事で残りを免除すると言う事になった、
実は前項の現金99万云々は自己破産の条件で破産手続きをすればこの条件になるのだが司法書士事務所に問い合わせたら「35万」が最低ラインだったのでそれならばと70万を工面して破産をしない事にしたのだ
保証協会から「70万を受領しました、債務に関して一切存在しない事を確認します」と言う「確認書」をテーブルに置いて女房と小さく乾杯をした
「お疲れさまでした」と言う女房に「ご迷惑をかけました、すみませんでした」と頭を下げた、
毎月の1万弱だった返済が無くなっただけでそれ程生活が楽になったと言うはなしではないのだが兎に角これで名実共に負の資産から解放された、
後何年仕事を続けられるか解らないがこれで堂々と給料が取れる事になったわけだ、稼がなきゃあな
駐車場の脇にプランターでミニトマトを育てている人がいる、誰も採りそうもなくただ熟れて朽ちて行く