梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

家庭、家族、家

2010-10-31 09:55:18 | 雑記
日本は家を重んじて来た、しかし今家族は現在単位で家族は自分達の子供迄と言うような雰囲気が有る、家族が単位なのは親、ひいて言えば祖先と此れから育ってゆく子供や孫も含めている事は日本だけの考え方では無い、今の日本に比べれば外国の「ファミリー」と言う感覚の方がずっと重要視されている。この家族と言う単位が人間文化を此れだけ大きくしたとも言える、本能で子孫を育てるのが野生動物だが一旦育ってしまえば他の個体と野区別はつけない。家族を守り連綿と残して行き更に幸せを願い発展させると言う意識が社会を育てはぐくんで来たのだと思う、しかし其処には家族の文化と言うものが継承されて来たものには事の良し悪しとは別に受け止め方判断の仕方に差異がある、この家族系から別の家族系に入るのは確かに大変な軋轢が有る、しかし此れを拒否して家族系から離れて行く事は今まで築いてきた文化からの逃避になるだろう、それは些細な事から始まる、例えば玉子焼きに砂糖を入れる、入れないの様な話から徐々に鬱積して立ち居振る舞いまで気に入らなくなる、そしてその根源は育った相手の家庭、すなわち家族系に押し付けられる、しかしそれは良し悪しではなく文化習慣の違いからに過ぎない、此れを嫌って核家族化する事が今の日本社会の現状ではないだろうか、自分がいやだと言う事は相手も嫌なのかもしれないという考え、少し長く生きていれば解かる事だが自分は平気でも相手は酷く傷つく事も多くあると言うことを理解し、社会生活をする資格には不特定多数の人間が軋轢をなるべく減らす為に思いやりを持って生きてゆく事が必要だ。法律はこの人間社会の礼節思いやりが理解出来ない云わば最低レベルの人たちの争いを裁く為に作られた物だ、法律なぞ無くて暮せる世界が理想である事は間違いないのだが今やそれ以前の問題まで文章化しなければ無い時代になっている様だ

事業仕訳と官僚の意識

2010-10-30 08:21:16 | 雑記
事業仕訳の結果、かなりの廃止縮小が言い渡された、しかし強制力は無い、「パフォーマンスに過ぎない」と国民が見て居るのは確かだがそれは「強制力をつけろ」と言う方向の意見だ、しかしどうも官僚は同じ。「パフォーマンスに過ぎない」は「無視すれば良い」と言う事の様だ、廃止になった物も有るし要求額を下げた物もある、しかし廃止を言われた物を来期予算で増額して要求していると言うのは明らかに政府、強いて言えば国民を馬鹿にしている、片頬で笑って鼻を上げて「ふんっ」と得意げにしている様子が眼に浮かぶ、目の前に居たら死刑覚悟で刺し殺したい位だ。地方交付税特会で「根本的に無理が有る、680億必要なのに340億しか税収が無いから赤字になるは当たり前」と平然と言って居た官僚が居たが、それではこのままで行ったら日本はどうなる?破滅覚悟で崖に向かって更に加速して行くと言うのか、その事実が有るから何とか膿を出し痛みを承知で改革しなければならないのでは無いか、普通の国民なら小学生でも理解できる話だ、それが国家財産を運用できる立場の人間がそのような認識では未来は無い、公務員制度では無く高級官僚機構を何とかしないければどうにもならない、監視システムにするか任官の方法を変えるか、我々も真剣に考えなければならない、ゼネストも含めてそろそろ国民レベルで考える時代かもしれない

年金の行方

2010-10-29 14:24:41 | 雑記
事業仕分が始まったが聞く度見る度に嫌になる、前回の仕分けで廃止となった物の半数は結局廃止になっていない、名前を変えただけの物も多数ある、強制力が無ければ只のパフォーマンスだ、年金の問題だが需給対象者を現業世代が支えると言う構造だから今は4人で1人を支えているがやがて3人に1人になり、1人で1人を支えなければならない時期が来ると言う、「今払っても結局貰えないだろう、」と言う話が現業世代から出る事がある、マスコミでも随分聞くが此れは少し理論的におかしい、今支える側が少ないから支えるのが大変だと言うのは数字的にその通りだが、支える側の人数が少ないと言う事は次に支えられる側に廻ったとき支えられる側の人数も相対的に少なくなるはずだ、今の現業世代が支えられるのは仮にあと30年先だとすると支える側は今10歳以下の子供達である、更にその後の数十年に関して言えば未だ生まれていない世代と言う事になる、今の年金のシステムのままで行くなら収支バランスが同じなら確かに長命になっているから需給年齢になってからもそれ程人口は下がらないだろうが現在の家族単位を子供2人以上にしていけば3人で1人程度に落ち着くだろう。しかし今の制度の開始時代に計算した様に人口が増えて行き死亡年齢も下がってゆくと言う計算で制度設計をしたなら当然日本の人口は数億になってしまう、つまりこの制度は根本的におかしかったのだ、さらに集めた金を管理もしなかったのだからなるべくして崩壊したと言えるだろう、此れを税金で賄うとしてもその原資は経路が違うだけで結局は現業世代が負担する事になるのだから何としても出生率を上げて行かなければならないだろう、そうしなければ税収自体が上がらない、結局の所少子化問題になるのだが団塊の世代以前は(育てるのが大変そうだから生まない)と言う選択肢はなかった様な気がするのだが、何時から日本人はこんな風になってしまったのか

宇津の谷峠

2010-10-28 09:31:57 | 旅行
初冬のある日、蔦の細道で知られる静岡の宇津の谷峠に行ってみた、静岡から国道1号線を西に向かうととろろ汁で有名な鞠子の宿が有る、此処を過ぎると道は大きくカーブしながら旧道から分かれて左にそれてゆく、未だ新しく広い道路を少し進むと左に道の駅がある、此処に車を停めて1号線の上を越える歩道から旧道に降りて更に進むと道は山に沿って右に曲がりながらゆっくりと登ってゆく、道路に沿って左側を流れていた川に掛かる橋を真っ直ぐ入ると宇津の谷の宿場である、未だかなり面影が残っているが流石に左側は綺麗な現代建築になっている、暫くは石畳の緩やかな坂で右手の宿場宿風の家の前でお土産が並べて有ったりするが誰か居るわけではない、入口から500mも行ったか、坂が石段になるあたりで高齢の女性が3人ほど日向ぼっこをしていた、人が通るのには慣れているのだろう、目が合うと少し笑って会釈をする。石段を登りきると後は細い杣道になり先ほどの旧道にたどり着く、此処から見下ろした宿場は中々良い、更に行くと昭和初期のトンネルが有るのだが実はその下側には最新のトンネルになる前のトンネルが有って車はそちらを通るらしい、お陰でこの道は殆ど車が来ない、更に登ると小さな公園様の広場が有って此処から更に上がると大正時代のトンネルがある、昔は山賊が出たと言う宇津の谷峠が最初に貫通したトンネルらしい、内部は素掘りと煉瓦作りで昔は蝋燭、ランプと言う明かりだったらしいが今は小さな電球が幾つか点いていた、歩いて往復をしてみる、時間はあまりかからないが面白い散歩になった。

蓬莱橋

2010-10-27 07:54:59 | 旅行
もう5~6年前になるのか、日帰りで蓬莱橋を見に出掛けた、静岡で降りて150号を下る、大崩海岸には行き付けの喫茶店が有る、用宗から海上橋を越えてトンネルを抜けると直ぐに見える、崖に張り出した店で昔は民宿をやっていたが今では喫茶だけになっている、窓からの景色は絶品で駿河湾が目の下に広がって東側の窓からは日本平の後方に富士山が綺麗に見える、窓の外は大きな染井吉野が数本有って、花の頃には又違った趣が有る、バスも通らない道なので車で来るしかないのだが、車庫自体少ないので混む事は無いがその分入れないことも有る、此処で軽い食事を済ませると焼津に向かう浜当目から国道1号線に移り島田を目指す、六合を過ぎてから大井川の方に入るのだが当時は何の看板も出ていなかった、カーナビにも蓬莱橋では見当たらない、仕方ないので取りあえず大井川筋を目指して街中を進むと蓬莱橋ではなく「川渡し資料館」と言う看板が有った。取りあえず此処に寄ってみたら蓬莱橋は直ぐ近くだった、「この橋は観光施設ではなく生活道路です」と書いてある、木製では世界で一番長い橋でギネスブックにも乗っているらしい、通行料は50円だが橋守は居ない、箱に投入して歩いてみる、確かに長い、水戸黄門シリーズや時代物には結構使われるらしい、対岸は牧の原台地で家は見えない、川岸から直ぐ鬱蒼とした森で、見上げると100mもしないで平坦な土地が左右にずっと続く、今ではこのあたりに静岡空港がある筈だがもう少し南側かも知れない、対岸まで歩いて戻って来る、風がかなり強かったが気持ちの良い散歩になった、又行ってみようかと思うが中々行けないな