昔の写真、紫陽花は未だだが東海寺の朝
「酒は涙か、ため息か、心の憂さの捨てどころ」
「遠い縁しのあの人に、残る心をなんとしょう」と言う歌詞には
「富島松五郎」のあばれ太鼓が思い出された、
昭和演歌と言う時代の唄だが自分の育った時代より少し前の流行り唄
中学を出て一旦名古屋に就職したがその後新聞の募集で東京に出て来た、
未だ15歳だったが妙に老けていたせいで結構堂々と寮仲間とは酒を飲んでいた
19歳でこの会社を辞めて一人暮らしになると毎晩酒を飲むようになった、
両親とも酒は飲んだが飲み方が逆で父は「酒の味はあまり好きではないが酔う為に飲む」と言い、母は「酒の味は好きなんだが酔うのが嫌だ」と言っていた、
自分は恐らく母の飲み方で酒の味は何でも呑むが酔って意識が浮き上るのが嫌だった
意識して素面で居ようと言う気持ちもあったのだろうが廻りからは「いくら飲んでも変わらない」と言われる事が多かった、
「強いな」と言われもしたが「酒の勢いで」と言うのが嫌で言動は意識して飲んでいた気がする、
最初の頃は限度が解らず飲み過ぎてしまって嘔吐を繰り替えし二日酔いで苦しみ(もう酒ややめだ)とは思うのだが又翌日から、それどころか朝苦しんでいたのに夜になると又飲みだすと言う生活が続く、
そしてある頃から(こいつを飲んだら駄目だ)と解るようになる、がしかし解っても止められないで又酷い事になる、
そんな事を何年か繰り返すと(これが限度だな)と止める事が出来るようになる、女の子にこそっと「これで限度、水かお茶を頼む」とそのまま続けるようになった、
もう60年近く飲み続けているがあの歌の「酒は涙か、ため息か」と言うのは何となくわかるが「心の憂さ」を酒に捨てると言う事は出来無かったな
自分は辛い事や苦しい事が有ると酒を飲むと言うのは苦手で酔えば酔うほど苦しみも悲しみもどんどん深まってしまう気がして嫌な事が有った時は酒を飲まない事が殆どだった、
ディックミネの唄で「飲むほど苦しく、なるんだぜ」と言うのが有った、
まあ当事者じゃないから言える台詞だが自分は憂さを晴らすのに酒を飲むと言うのはやらなかったと思う、
美空ひばりの「酒」と言う歌の歌詞に「飲めば悲しく飲む酒を飲んで泣くのも恋の為」とうのが有ったがそんな色恋沙汰は無かったのは良かったのか悪かったのか
一緒に飲んで送るのが面倒になりアパートにとまっていった女の子も何人かはいたが大抵は何もなかった、
昔使っていたアルバイトの大学生が女子教師と仲良くなって一緒に飲む事になったと言う話をしていて「酔った勢いでやっちまう!」と息巻いていたがあくる日「どうした?」と聞いたら「酔った勢いっで寝ちまった」と言ってたが自分もそんなもんだった
しかしあとになってみると随分失礼な事をしでかしていたのかもしれない、
その娘にしてはある程度覚悟をしていたか、或いは期待をしていたのだろうが「そこに布団があるから」とさっさと大鼾をかいて寝てしまわれては侮辱されたようなもんだろう
それでもあくる日も同じように顔を合わせて「おはよう!」と話していたんでそれほどでは無かったのかもしれない
行き付けの喫茶店の17歳くらいの娘を行きつけの居酒屋に誘って結局泊めてしまった事がある、
流石にそれは言っちゃ拙いだろうと喫茶店に行っても黙っていたらたら遅番で出て来た彼女が「マスター、昨日Iちゃんの所に泊まっちゃた!」と満面の笑みで出勤してきたのは拍子抜けだった
「何にもなかったよ」と言ったら「でしょうね」とママさんに言われたので自分は人畜無害共通安全パイと言う事になっていた様だ、今考えれば随分勿体ない話だがね