梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

酒は涙かため息か

2022-04-30 16:32:03 | 昭和の頃

昔の写真、紫陽花は未だだが東海寺の朝
「酒は涙か、ため息か、心の憂さの捨てどころ」
「遠い縁しのあの人に、残る心をなんとしょう」と言う歌詞には
「富島松五郎」のあばれ太鼓が思い出された、
昭和演歌と言う時代の唄だが自分の育った時代より少し前の流行り唄
中学を出て一旦名古屋に就職したがその後新聞の募集で東京に出て来た、
未だ15歳だったが妙に老けていたせいで結構堂々と寮仲間とは酒を飲んでいた
19歳でこの会社を辞めて一人暮らしになると毎晩酒を飲むようになった、
両親とも酒は飲んだが飲み方が逆で父は「酒の味はあまり好きではないが酔う為に飲む」と言い、母は「酒の味は好きなんだが酔うのが嫌だ」と言っていた、
自分は恐らく母の飲み方で酒の味は何でも呑むが酔って意識が浮き上るのが嫌だった
意識して素面で居ようと言う気持ちもあったのだろうが廻りからは「いくら飲んでも変わらない」と言われる事が多かった、
「強いな」と言われもしたが「酒の勢いで」と言うのが嫌で言動は意識して飲んでいた気がする、
最初の頃は限度が解らず飲み過ぎてしまって嘔吐を繰り替えし二日酔いで苦しみ(もう酒ややめだ)とは思うのだが又翌日から、それどころか朝苦しんでいたのに夜になると又飲みだすと言う生活が続く、
そしてある頃から(こいつを飲んだら駄目だ)と解るようになる、がしかし解っても止められないで又酷い事になる、
そんな事を何年か繰り返すと(これが限度だな)と止める事が出来るようになる、女の子にこそっと「これで限度、水かお茶を頼む」とそのまま続けるようになった、
もう60年近く飲み続けているがあの歌の「酒は涙か、ため息か」と言うのは何となくわかるが「心の憂さ」を酒に捨てると言う事は出来無かったな
自分は辛い事や苦しい事が有ると酒を飲むと言うのは苦手で酔えば酔うほど苦しみも悲しみもどんどん深まってしまう気がして嫌な事が有った時は酒を飲まない事が殆どだった、
ディックミネの唄で「飲むほど苦しく、なるんだぜ」と言うのが有った、
まあ当事者じゃないから言える台詞だが自分は憂さを晴らすのに酒を飲むと言うのはやらなかったと思う、
美空ひばりの「酒」と言う歌の歌詞に「飲めば悲しく飲む酒を飲んで泣くのも恋の為」とうのが有ったがそんな色恋沙汰は無かったのは良かったのか悪かったのか
一緒に飲んで送るのが面倒になりアパートにとまっていった女の子も何人かはいたが大抵は何もなかった、
昔使っていたアルバイトの大学生が女子教師と仲良くなって一緒に飲む事になったと言う話をしていて「酔った勢いでやっちまう!」と息巻いていたがあくる日「どうした?」と聞いたら「酔った勢いっで寝ちまった」と言ってたが自分もそんなもんだった
しかしあとになってみると随分失礼な事をしでかしていたのかもしれない、
その娘にしてはある程度覚悟をしていたか、或いは期待をしていたのだろうが「そこに布団があるから」とさっさと大鼾をかいて寝てしまわれては侮辱されたようなもんだろう
それでもあくる日も同じように顔を合わせて「おはよう!」と話していたんでそれほどでは無かったのかもしれない
行き付けの喫茶店の17歳くらいの娘を行きつけの居酒屋に誘って結局泊めてしまった事がある、
流石にそれは言っちゃ拙いだろうと喫茶店に行っても黙っていたらたら遅番で出て来た彼女が「マスター、昨日Iちゃんの所に泊まっちゃた!」と満面の笑みで出勤してきたのは拍子抜けだった
「何にもなかったよ」と言ったら「でしょうね」とママさんに言われたので自分は人畜無害共通安全パイと言う事になっていた様だ、今考えれば随分勿体ない話だがね

ソロキャンプってか

2022-04-28 16:38:42 | 雑記

桑の実
最近と言うより、少し前から「ヒロシ」と言うタレントがUpしている「ソロキャンプ」と言う奴が静かなブームらしい
仕事で山を扱うのでキャンプ場他個人で間を買いたいと言うニーズが起きた事が有るが直ぐ下火なってしまった。
ひとりでテントを張って焚火を眺めたり酒を飲んだりするのが良いらしい、
しかしテントを張って山に寝る、と言うのは本来ひとりが基本だと思っていた、
大勢でキャンプファイアを囲んで盛り上がると言うは学生の林間学校かバンガロー村でテントを張って寝るのはやらない、
私は本当に若い頃から野宿を楽しんでいた、基本は歩きなんだが自分は最初から自転車だった、
昭和の時代、若者はテントと寝具調理道具等生活道具一式を担いで歩いて日本中を廻っていた、
元々はアメリカ大陸から始まってバックパックだけ担いで世界中を廻る若者が居て「バックパッカー」と呼ばれていたが日本国内でも学生が夏休みに北海道を旅すると言う事が流行っていてそのシルエットから「カニ族」と言われていた、
自分は自転車が好きだったので一式をパックした自転で出掛けたが学生ではないので一泊範囲で出掛けるのでテントを張る事は少なく寝袋で砂浜とか駐車場の隅に寝る事が多かった、
同じ様な連中も会うがつるんで行動する事はなくいつも一人だったがそれが楽しかったのだ,「埴生の宿は我が宿、花は主、鳥は友」の気分である
だから「ソロキャンプ」と言われても(なんだかな~)と言うのが正直な感想である、自分にとってキャンプは「ソロ」であって大勢でするキャンプは「デイキャンプ」である、
免許を取るとそれが車になって椅子を倒して一晩過ごすなんてのも好きでやっていた、
食事はまだコンビニなんぞ無い時代でもパン屋で牛乳とパンを買い、魚肉ソーセージをかじりビールやサントリーレッドを飲んで寝る、
体が伸ばせない椅子だら未だ未明に目が覚める、それでも充分満足をして頻々と出掛けていた、

一時はかみさんも付き合う事も有ったが流石に「上げ全据え膳、露天風呂付」出ないと付き合ってはくれない、
体力が有る内にもう一度やってみるか、かみさんを置いてまた一人の夜明けを楽しむのもいいかも知れない

そろそろ後期高齢者のコロナ騒動記

2022-04-26 09:39:38 | 雑記

紫蘭
後、1日で待機期間が終了する、
事務所と言う選択は兎に角シャワーが無いのが最悪だった、
毎日蒸しタオルで全身を拭き下着を変えるのだが如何せん頭は幾ら擦っても最悪な状況だ、
実際コロナとしての症状は殆ど悪化せず発症に気が付いた日から2日目程度で咳が残る程度になり区から送られてきたオキシメーターでの血中酸素割合も93%が1回あっただけで98%で安定、
体温は起床時、区から来るLINE、“10時と16時”でも36.4と安定している
解らないのは感染経路、13日に秋田に行ってその夜8畳程度の個室に7名が入りおよそ3時間、後半は酒がまわりマスクなしの歓談となったがこのメンバーは自分以外全員陰性だった、
女房はやはり陽性になっていたが19日にPCR検査を受けた時点では自覚症状は無く、熱をチェックしていたら21日の朝37度を超えてそれから暫く37度台が続いたが咳が酷くなった位で23日には37度をわり、25日には平熱に戻る、
女房は間違いなく自分が持ち込んだのだろうが(時系列で女房から自分と言うのは考えにくい)15日から秋田出張まで仕事上他人と会ってはいない、
毎朝バスには乗るが往復で30分程度、待ち時間を入れても1時間は無い、
且つ、乗り合いの人達だから会話はまったくないし当然マスク着用だ、この状況では心当たりなど全くないし考えられる対策は間違いなくとっている
糖尿食で外食と言うものも此処3年間全くやっていないし、マスクをしているのでコーヒーを店で飲むと言う事も当然ながらちょっと一杯などもやっていない
確かにこれでは機関も対処は本当に難しいと思うがワクチンの効果だとしたら陽性になったとしても持病が重篤でない限り心配はあまりなさそうだ
※私は74歳と4ヵ月、かみさんは75歳と5ヵ月、隔離状態が一番辛かったが痛い苦しいは無かったし「もう駄目か」は影も形も無かった

高齢者がコロナになったの続き

2022-04-23 16:35:53 | 雑記

文字だけじゃ寂しいので駅前のチューリップ
連投ですがその後関係者に連絡を入れたのでご報告
自分ではてっきり秋田の会食で貰ったと思ったんで「濃厚接触者」候補の参加者全員に連絡を入れて置いた
一昨日から今朝まで全員に連絡がとれたのでPCR検査を進めておいたのですが結果は何と全員「陰性」!
だとするといったいどこで拾って来たのか?
行く前なら会食者に一人くらいはいても良いんじゃないかと思ったのだが誰も居ない
それはそれで良かった訳ではある、自分が持ち込んだことではない事だけはなさそうだ
しかしその後になると羽田から家までは30分程度、翌日もバスが往復でも1時間は無い
土日なので人とも会っていないので考えられるのはやはり通勤時のバスくらいしかない
何はともあれ会食した仕事仲間に映らなかったのは良かった

高齢者がコロナになった!

2022-04-23 09:14:58 | 雑記




先ずは時系列で
4月13日何時もの様に7時過ぎ家を出て2㎞位を歩いてからバスに乗り事務所に行く、
メールのチェックをして京浜急行で羽田第二ターミナルに10時過ぎ着
10時35分発11時40分秋田着
大仙市協和町農事法人現場調査
17時過ぎ秋田ホテル着、19時から食事、アルコールあり、途中からマスクなし
14日:会社、現場を見て16時50分秋田空港発→17:55分羽田
15日朝寒気を感じるようになる
16日咳とクシャミ、寒気、検温せず
17日咳、寒気更に悪化、検温36.8度
18日自覚症状が悪化、体温37.4度、10時通っているいすゞ病院で発熱が依頼を依頼
同日14時20分頃PCR検査結果陽性
急いで家に連絡し女房に「明日PCR検査を受ける様に」伝えて下着類を持ってきてもらい
事務所に待機する事にする
19日10時に女房がは症状が無いが濃厚接触者としてPCR検査、結果はやはり陽性、
自分は症状が酷くなってきたが略風邪の症状に近く体温も36.7に下がるが外出は禁止
発症状況から感染発症を16日として26日までが隔離状況になった
偶々冷凍食品と野菜類、カップラーメン等が有ったので何とか持ちそうだ
しかし一番参ったのはシャワーである、事務所なのでシャワー施設が無い、
毎日湯に浸したタオルで体をぬぐうのだがやはりかなり気持ちが悪い、原則この場所から禁足なのでどうしようもない
本日で1週間が過ぎる、後3日だが女房が未だ5月2日まで禁足で解除になったら近くのシャワールームを使うしかないな
ワクチンは3回済ませていたが感染は避けられなかった様だが重症化しなかったので良しとするしかない、
夫婦で後期高齢者、重症化確立が高い年齢だが取り敢えず乗り切れそうだ