大晦日だ、
毎年どんどん感慨が無くなってくる、生活自体は普段と変わらないつもりでも店の商品がどんどん正月一色になって価格も上がる、
近頃は正月と言っても多くの店が開いていたので普段通りの生活は出来るがメニューが正月対応になっているのだがそれでものんびりとした気分で過ごすことができる、
孫は社会人になったのでお年玉もない、その分顔も見せないがそれはそれかえって気楽である、
年末になってコンビニからファミリーレストランなどが正月休業を打ち出してきているがこの付近はどこも休んでいないようだから助かる、
昭和の頃は「元日に金を使うとその年は出費が増えるから」とお年玉を使うのは2日からだった、家族全員が揃って「おめでとう」と挨拶をして子供たちにお年玉を渡しお雑煮で始めると言うのが
一般的だった、
大晦日は恒例の紅白歌合戦を見て、11時45分からの「ゆく年くる年」を見るのも恒例でそこで年越しそばを炬燵に足を突っ込んで食べる、
日本各地の神社仏閣の中継で東北や北陸の雪に覆われた中を大勢の老若男女が無言で初もうでに向かい静かな口調のアナウンスの後ろに真っ白な雪と真っ暗な空を背景に除夜の鐘が余韻を引いて流れる、
アナウンサーの「新年あけましておめでとございます、」を合図に起きていた家族が「おめでとうございます」と交わすのが年越しの儀式だったのだが
ここ数年になって「除夜の鐘がうるさい」と言う苦情が出て除夜の鐘を大晦日の15時ころに変更するという寺が出てきた、まあ寺に聞いたら「おかげで参拝者の数は増えました」らしいが
今年もまた増えたらしい、
確かに深夜11時ころからあの音が1時間以上続くから気になりだせば確かに煩いというのもわかる、
解るがなんか釈然としない、
我々の世代からすると除夜の鐘は一年の俗界の煩悩を払い新たな年を迎える儀式であり
ずっと日本が歴史として文化として育んできたものだという気持ちが強い、
日本人の血の中に自然に溶け込んでいたものだと思ってきたのだが今の世代は違うらしい
一方でクリスマスが盛大に盛り上がり、ハローウィンと言うクリスチャンの行事が町全体の治安を脅かす位に盛り上がる
それこそ渋谷地域の一般住民は「煩い!」どころではないのではないかと思う
無論、「除夜の鐘がうるさいからやめろ」と言う連中があのバカ騒ぎをやっていると限るわけではないがなんか日本の伝統文化を”うるさい”と言う人間と重なりそうな気がするのは偏見か
今こそあまり大きくないが昭和時代、池上本門寺の「御会式」と言う行事は盛大で万灯行列と言う列は五反田から、川崎から、蒲田から等夕方7時ころから延々と明け方まで本門寺に連なる
大きな花笠の様な万灯を押し立ててぞの前後に「チャンチキ」と言う金を鳴らして纏を振る
この本門寺の周りはまったくの住宅街で多くの住宅が並んでいる
知り合いが何人も住んでいて行きつけの店で時々愚痴をこぼしていた、
それは”うるさい”と言う事もあるがそれ以上に全く車の出入りが出来なくなってしまうという
それでも彼等にとって「御会式」は大事な街の財産であり止めろとか、引っ越そうとか言う話はしなかった
それが地域の歴史であり文化遺産だったのだと思う
まあ、此の事と”除夜の鐘が煩い”と言う輩と同じに論ずるのは無駄だけどね
毎年どんどん感慨が無くなってくる、生活自体は普段と変わらないつもりでも店の商品がどんどん正月一色になって価格も上がる、
近頃は正月と言っても多くの店が開いていたので普段通りの生活は出来るがメニューが正月対応になっているのだがそれでものんびりとした気分で過ごすことができる、
孫は社会人になったのでお年玉もない、その分顔も見せないがそれはそれかえって気楽である、
年末になってコンビニからファミリーレストランなどが正月休業を打ち出してきているがこの付近はどこも休んでいないようだから助かる、
昭和の頃は「元日に金を使うとその年は出費が増えるから」とお年玉を使うのは2日からだった、家族全員が揃って「おめでとう」と挨拶をして子供たちにお年玉を渡しお雑煮で始めると言うのが
一般的だった、
大晦日は恒例の紅白歌合戦を見て、11時45分からの「ゆく年くる年」を見るのも恒例でそこで年越しそばを炬燵に足を突っ込んで食べる、
日本各地の神社仏閣の中継で東北や北陸の雪に覆われた中を大勢の老若男女が無言で初もうでに向かい静かな口調のアナウンスの後ろに真っ白な雪と真っ暗な空を背景に除夜の鐘が余韻を引いて流れる、
アナウンサーの「新年あけましておめでとございます、」を合図に起きていた家族が「おめでとうございます」と交わすのが年越しの儀式だったのだが
ここ数年になって「除夜の鐘がうるさい」と言う苦情が出て除夜の鐘を大晦日の15時ころに変更するという寺が出てきた、まあ寺に聞いたら「おかげで参拝者の数は増えました」らしいが
今年もまた増えたらしい、
確かに深夜11時ころからあの音が1時間以上続くから気になりだせば確かに煩いというのもわかる、
解るがなんか釈然としない、
我々の世代からすると除夜の鐘は一年の俗界の煩悩を払い新たな年を迎える儀式であり
ずっと日本が歴史として文化として育んできたものだという気持ちが強い、
日本人の血の中に自然に溶け込んでいたものだと思ってきたのだが今の世代は違うらしい
一方でクリスマスが盛大に盛り上がり、ハローウィンと言うクリスチャンの行事が町全体の治安を脅かす位に盛り上がる
それこそ渋谷地域の一般住民は「煩い!」どころではないのではないかと思う
無論、「除夜の鐘がうるさいからやめろ」と言う連中があのバカ騒ぎをやっていると限るわけではないがなんか日本の伝統文化を”うるさい”と言う人間と重なりそうな気がするのは偏見か
今こそあまり大きくないが昭和時代、池上本門寺の「御会式」と言う行事は盛大で万灯行列と言う列は五反田から、川崎から、蒲田から等夕方7時ころから延々と明け方まで本門寺に連なる
大きな花笠の様な万灯を押し立ててぞの前後に「チャンチキ」と言う金を鳴らして纏を振る
この本門寺の周りはまったくの住宅街で多くの住宅が並んでいる
知り合いが何人も住んでいて行きつけの店で時々愚痴をこぼしていた、
それは”うるさい”と言う事もあるがそれ以上に全く車の出入りが出来なくなってしまうという
それでも彼等にとって「御会式」は大事な街の財産であり止めろとか、引っ越そうとか言う話はしなかった
それが地域の歴史であり文化遺産だったのだと思う
まあ、此の事と”除夜の鐘が煩い”と言う輩と同じに論ずるのは無駄だけどね