梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

除夜の鐘がやかましい、なんか寂しいね

2019-12-31 15:40:22 | 昭和の頃
大晦日だ、
毎年どんどん感慨が無くなってくる、生活自体は普段と変わらないつもりでも店の商品がどんどん正月一色になって価格も上がる、
近頃は正月と言っても多くの店が開いていたので普段通りの生活は出来るがメニューが正月対応になっているのだがそれでものんびりとした気分で過ごすことができる、
孫は社会人になったのでお年玉もない、その分顔も見せないがそれはそれかえって気楽である、
年末になってコンビニからファミリーレストランなどが正月休業を打ち出してきているがこの付近はどこも休んでいないようだから助かる、
昭和の頃は「元日に金を使うとその年は出費が増えるから」とお年玉を使うのは2日からだった、家族全員が揃って「おめでとう」と挨拶をして子供たちにお年玉を渡しお雑煮で始めると言うのが
一般的だった、
大晦日は恒例の紅白歌合戦を見て、11時45分からの「ゆく年くる年」を見るのも恒例でそこで年越しそばを炬燵に足を突っ込んで食べる、
日本各地の神社仏閣の中継で東北や北陸の雪に覆われた中を大勢の老若男女が無言で初もうでに向かい静かな口調のアナウンスの後ろに真っ白な雪と真っ暗な空を背景に除夜の鐘が余韻を引いて流れる、
アナウンサーの「新年あけましておめでとございます、」を合図に起きていた家族が「おめでとうございます」と交わすのが年越しの儀式だったのだが
ここ数年になって「除夜の鐘がうるさい」と言う苦情が出て除夜の鐘を大晦日の15時ころに変更するという寺が出てきた、まあ寺に聞いたら「おかげで参拝者の数は増えました」らしいが
今年もまた増えたらしい、
確かに深夜11時ころからあの音が1時間以上続くから気になりだせば確かに煩いというのもわかる、
解るがなんか釈然としない、
我々の世代からすると除夜の鐘は一年の俗界の煩悩を払い新たな年を迎える儀式であり
ずっと日本が歴史として文化として育んできたものだという気持ちが強い、
日本人の血の中に自然に溶け込んでいたものだと思ってきたのだが今の世代は違うらしい
一方でクリスマスが盛大に盛り上がり、ハローウィンと言うクリスチャンの行事が町全体の治安を脅かす位に盛り上がる
それこそ渋谷地域の一般住民は「煩い!」どころではないのではないかと思う
無論、「除夜の鐘がうるさいからやめろ」と言う連中があのバカ騒ぎをやっていると限るわけではないがなんか日本の伝統文化を”うるさい”と言う人間と重なりそうな気がするのは偏見か
今こそあまり大きくないが昭和時代、池上本門寺の「御会式」と言う行事は盛大で万灯行列と言う列は五反田から、川崎から、蒲田から等夕方7時ころから延々と明け方まで本門寺に連なる
大きな花笠の様な万灯を押し立ててぞの前後に「チャンチキ」と言う金を鳴らして纏を振る

この本門寺の周りはまったくの住宅街で多くの住宅が並んでいる
知り合いが何人も住んでいて行きつけの店で時々愚痴をこぼしていた、
それは”うるさい”と言う事もあるがそれ以上に全く車の出入りが出来なくなってしまうという
それでも彼等にとって「御会式」は大事な街の財産であり止めろとか、引っ越そうとか言う話はしなかった
それが地域の歴史であり文化遺産だったのだと思う
まあ、此の事と”除夜の鐘が煩い”と言う輩と同じに論ずるのは無駄だけどね

昭和は遠くなりにけり、今年も愚痴で終えるか、

2019-12-29 16:30:03 | 雑記
正月だ、「正月や 冥土の旅の一里塚 目出度くもあれば目出度くも無し」か、
来年は子年で年男になる、
少し前に還暦の干支をやったと思ったらまた干支が来た、
女房と「大変な歳になったな」とか「他人の歳じゃない?」などと言ってもこれは間違いではない、
頭は白くなる、動きは鈍くなる、弱ったもんだ、
しかしなった本人はどうにも他人事だ、取り敢えずまだ仕事も続けられているし廻りもあまり年寄り扱いしないので余計にそうだ、
昭和に生まれ平成を通り、ついに年号は3回目と言う訳で生まれの昭和なんぞすでに歴史になった
そりょそうだ、小学生のころはまだ給食も無かったし、家にテレビがあるとかないとかいうより放送自体が始まっていない時代だ、
貧乏だったのは我が家だけだったわけでも無く、経済レベルは今に比べれば「貧困世帯」レベルだった
しかしそれが当たり前だったのでそれほど問題になるわけもなく「池田内閣」だったと思うが堂々と「貧乏人は麦を喰え」と言う時代だった、まあさすがにこれは大問題になったが、
高校進学率も田舎では精々2割超え程度で集団就職が金の卵と言われて時代だった
おかげで金の卵達は常に希望を持たせてもらえただけ今よりずっと良かったとも言える
無論生活レベルは今の比ではないがそれが普通だったのだから生活の伸び代は無限にあった
まあ、そうは皆伸びたわけではないが努力すればそれなりの結果は出たのだと思う、
落ちてゆくやつも当然いたが「ろくでもない生き方をした来たからな」と本人達も納得していた、
「すまぬすまぬと詫びて今夜もチャンチキおけさ」の歌詞が皆の心に沁みてくる様に共感されたのも昭和ならではかもしれない
平成になったとき世間は「一つの時代が終わった」と言う感慨があった、
自分は戦後生まれだからまだしも当時はまだ戦前戦中の世代がかなり多かったのだからその感慨はわかる気がする、
激動の昭和時代はおそらく一般日本人が直接時代の風に晒された唯一の時代だろう、
明治になって徴兵制が出来るまで庶民は戦争の被害に晒されてはきたものの当事者ではなくどちらが勝利しても責任はとらされる事も武器をもって戦前に立たされることも無かった
頭を下げて唯ひたすら嵐の過ぎるのを耐えていればゼロからではあってもまた生活をはじめられた
しかし徴兵制が出来て激動に晒されることになった、その代わりに命令をしてその果実を手にする連中は武器を持たなくなった
戦国時代は「城主の命と引き換えに家来を助ける」と言う事が武士の美学であり主従結束の要であった、
明治政府を作った薩長土肥はこの風土を「列強に伍すために」正反対の方向に向いた、
そしてそれがずっと自民党と言う保守政権の要になった様だ、
それでも吉田茂総理から上州自民政権までは多少なりとも「武士の矜持」があったのだがどうにも「長州政権」は政治家の矜持などと言うものは全く持っていそうもない
政権維持が大目標で政治生命を賭すのは国のためではなく党利党略に専念している様にしか思えない、
と、新年を控えた昭和の生き残りは憤慨やるかたない気分で歳の瀬を終える

副業を銀行が推奨する、企業のプライドはどうしたんだ?

2019-12-27 11:11:48 | 雑記
TVがどこかの銀行が社員に副業を推奨し始めたというニュースを流していた、
ほんのちょっと前までは多くの企業は副業を禁止していた事であり特に金融機関は厳しかった、公務員は服務違反のはずである、
アベノミクスと言う政府方針で働き方改革だそうだが「自由で多角的な仕事」だそうだ、
更に「70歳まで働ける環境」を強く推進するそうだ、
しかし会社が社員に「副業を推奨しかつ、斡旋もする」と言う事は「我が社の給料では生活できないから退社後どこかで稼ぐように」と言う事に他ならない、
通常勤務時間週40時間では十分な所得は得られないから時間外勤務で収入を維持すると言う形態がまかり通ってきたのだが「過労死」の問題や賃金未払いの問題がクローズアップされいわゆる「ブラック企業」と言うレッテルを貼られ、一応国から指導が入る、
月間100時間を超える残業と言えば週休2日であれば平均1日4時間か、土日に働くかになる、
それでないと生活が保てないとしたらやはり「最低賃金法」は笊だといえるだろう、
月間時間外労働を60時間としても結局「副業」で他の会社で働く労働時間は合算されないなら何の意味もない
「過労死」レベルの労働時間は労働者単位で積みあがってくるのだから一つの会社で40時間時間外労働をして退社後他の会社で60時間働いたら体は100時間の負担が掛かっている事だ、
「ダブルワークの推奨」と「過労死の防止」が同時に合法だというなら医学的に「仕事場を変えたらその過労ストレスは解消される」と言う見解、証明をしなければ全く矛盾した政策である、
企業がため込んだ利益を働く者に分配しない事で貧富の差がどんどん広がり且つ対比的数量も大きく広がってきている、
高齢者が増えてきて社会保障と医療費がますます増えて行く、その為に国が何をしなければならないかと言うのが根本にある
現実に高齢者は増え続ける事は間違いない、がそれはおそらく20年弱の過渡期の問題でその後当然人口は急激に下がる、
高齢者が急激に増加する速度っで急激に減少するのは当然である
高齢者を労働力として活用したいそうだが実際は社会保障費を下げることが目的なことはだれも承知の事である、
今回の団塊の世代は所得の中から「老後の安心」と言う政府の言葉を信じてかなりの額を収めてきた、
その結果が「高齢者が多すぎるからその条件は反故にする」と言うのはやはり納得のできる話ではない、
出生人口がどんどん下がって来ているのは当然毎年見ているのだから突然起きたわけではない
それでもバブル崩壊ころまでは国債率はGDPに対してマイナスだった、
バブルの崩壊で経済状況は変わったとはいえ実際に対GDPが倍になったのは安倍政権になってから加速度的に増えている、
しかしそれが医療費・社会保障費が押し上げたかと言えばそうではない、「これから大きく増える」と言う事である、
3・11から天災での支出も多くなってきているのも確かだが一般庶民からするとなんでこんなことにそれだけ支出する、と言う感覚の国費支出が多い、
税収が下がっているというが法人税は率で半分に下がっている、がその恩恵を受けているのは大きな利益を挙げている大企業だけで国内の労働者人数の80%を受け持っている中小零細企業はもともとの税法上黒字幅が少なく納税額はそれほど多くの割合ではないはずである
しかし新税法は決算の最終利益の他に資本金で課税する方式が加わって「赤字でも最低限納めなければならない税額」が増税されている
それも一律にある一定の資本金以上は率が変わらない、
巨大企業が納める総額は減少し中小零細企業の納める総額は増える、
従業員の給料が一番の経費であり給与支払総額が納税額を減らすので給与を挙げれば相対的に法人税がさがったのだが「資本規模による税金」を負担するのに給与支出を抑える事で捻出すると言う方向になったのだろう、
働く人間が不足すると言う、しかし牧草が枯渇した牧場の牛から牛乳は取れないし、子牛も生まれないし、生まれても育ちはしない
やはり「資産課税」を声高に叫びたい

国家予算が発表されたが

2019-12-18 17:55:50 | 雑記
府は18日、2020年度当初予算案の骨格を固めた。一般会計の総額は過去最大の102兆6600億円程度で、2年連続で100兆円を超える。高齢化による自然増などで、医療や介護などの社会保障費が35兆8000億円程度まで膨らむことなどが大きい。
国家予算が100兆円を超える、別な記事では国債発行高は敗戦直前の昭和20年のレベルになったと書かれている、
消費増税で健全な国家体質にすると言われていたが社会保障費の増加で国債発行高はほぼ横ばいで結局さらに積みあがってきている、
バブル崩壊直前にはほぼ黒字国家となっていたのに30年足らずで積みあがった国の借金はGDPの倍にもならんとしている、
黒字から積みあがった支出を一度全部精査して詳らかにしてもらえないか、
その中には確かに社会保障費、医療費、3・11の災害損失などなど大きな支出が並ぶだろう
しかしそのほかに急激に膨らんだ支出はほかにもあるはずだ、支出の元凶と言われる社会福祉費用年金などは毎年引き下げられ、医療費の個人負担はどんどんあげられている、
税収の減少も個人レベルは毎年率を上げ、控除額は減らされている
大きく税率を下げた法人税が税収の足を引っ張っていることも数字で表せばわかりやすい
国民の老後を保証するために国民の税金を上げて保障費を上げるというのは矛盾しているしむしろ本末転倒だ、
「世界で一番経営がしやすい税制で多くの企業を誘致」の様な事を言っているが今世界は”GAFA”が代表する新インフラが国境をなくしている、
法人税自体がプラットフォーマーと言う経営形態にすでに追い付いていないのだ、
「法人税の負担が国際競争力を押し下げる」と言うのも製造企業自体現地生産が主になっているので基本的に本社機構がある日本の税率が輸出企業のコストを押し上げるという事はない、
ただ、大企業の利益率が下がるというだけだろう、内部留保だけが積みあがっている事がその証左である、
少子化だという、しかし国民の7割位は生活するのに手一杯で子供を設けるどころか結婚すら難しい状況だという、
ますますこの状況は悪化するだろう、今の政策で底辺の生活が押し上げられるという見通しは全く立たない、
しかし本当に日本人は我慢強い、と言うより本当に覇気が無い、
暴力的なデモは政府に抑圧の良い理由を与えるだけだからあまりそれは進められないがもっと声を上げてもいいんじゃないかと思う、
新聞やテレビは全部とは言わないが御用媒体だ
特にテレビは総務省の許認可事業だ、それを時の政府を批判したから放送許可を取り消すなどと言われたら確かにうかつなことは言えないがそれこそ「国政の私物化」で中国共産党と根っこはおんなじだ、
これに対して国民から「知る権利を侵すな」と言う声はあまり出ていない、
今では第三のマスコミ、インターネットと言う媒体がある、確かに裏付けのない所謂「フェイク情報」も多い、
しかし、本当の情報は必ず生き残り大きなうねりになるはずだがどうも日本人はそういう方向には言っていないようだ、
この第三のインフラがアメリカの個人企業で独占されているという事もこれからの世界には非常に危険な状況だ、
対抗出来る国力があるのはやはり中国と言う事になるがそれはそれでやはり危険因子が多く含まれる、
何とか日本が国家を上げてその一角を占めたいのだがそれ以前に、この新しいインフラを国際ルールで制限しなくては禍根を残す、
石油が中東の世界的覇権に繋がらないのと同じように新プラットフォームの威力を半減さる技術が欲しい、
政府はそういう所に予算を振り向けて不良品の戦闘機など買わなくてもよい様な政策をしてもらいたいものだ


ハラスメントと言う悍ましさ

2019-12-15 16:46:42 | 雑記
何とかハラスメントと言う言葉がここ数年流行っている
それは「流行っている」としか言いようのないような「※※※ハラスメント」のオンパレードだ、
セクシャルハラスメントが皮切りだった気がるが男社会の立場を利用して女性に虐めと言える行為をすることのようだ、
最近多いのが「パワーハラスメント」だ、確かに職場の地位を利用して、(地位を利用する、と言うのは当てはまらないが)弱い立場の人間に”虐め”をする行為のようだが仕事上の注意叱責もすぐ苛めだと言われても上司としてはどうしていいのかわからなくなる気もする、
今朝新聞に取り上げていたのは入社面接の時に「ハラスメントを受けている」と言う記事で
入社合否の権限が有ると見える状況での言動度話だがこれを見ていると「立場を利用したハラスメント」などと言うものではなくあまりに情けない話のようだ、
正直言ってそんな上司の会社に就職したら今よりもっとひどい扱いを受けることは目に見えている、
さっさと席を蹴って出て行っていいような話だ、
度台、「虐め」と言うやつは罰則を決めて規制する様な話ではなく虐めるという行為をする人間性を一般社会が嫌悪し、成長してゆく過程でその悍ましさを自ら認識する様な社会にするべきことだ、
記事にある様な発言そしいる御仁は改めて自らの顔を鏡で見るがいい、
安酒場で酔っ払ってゲスの会話をしている事と変わらない、その酔って卑猥な笑いを振りまいて失笑すら出来ないような仕草をVTRにでも、録音でもして後でゆっくり見るが良い、
そういう輩は我々の時代でも必ずいた、ミスを見つけると「どうしてこんなことになった!理由を言ってみろ!」と怒鳴り散らし、理由を説明すれば「言い訳をするな!」また怒鳴る、
しかし経営者はよく見ていてこういう奴はある程度から上には行けない、
仕事にはどうしても規律と効率が必要だが感情の有る人間を叱責し、宥めチームとしてまとめなければならない、
その為にはこういう「嫌われ役」が必要なのだ、
それを承知でやるものもいるが多くの人間を束ねるのには絶対的に嫌われる役職が必要になる
それを「自分は若いもんより偉い」と思い違いをすると結局部下はついてこなくなり嫌われ役のママ定年まで勤めることになる、
叱るのは怒るのとは違う、子供を叱る時も怒ってしまえば真意は半分も伝わらない
まあ、ハンチクな屁理屈だけ達者になった子供と接しているとついつい本気で怒ることも無いとは言えないがとりあえず大の大人である、
相手がどう考えるかを常に考えて行動すべきであり、人を選ぶような立場に座ったらその責任の重さに汗をかくくらいの自覚は欲しいものだ
子供の教育より先に親になる教育が重要になった様だ、しかしなんでこんなに人間は社会性を失ったのか
アメリカは強くなくてはならない、逆らう国は制裁をする、と言うが制裁を科すのは上下関係が明確にある場合であり国際協調の中で経済力。軍事力が上位だからと言って発行するのは制裁ではなく恫喝である
アメリカは経済力・軍事力が優れているうえに社会性能力も非常に優れていたのだが今それを期待するのは不可能になっているようだ、
アメリカ国民の社会性能力に期待して来年の大統領選挙を見守るしかあるまい
なんといっても今のトランプを選んだのは他ならないアメリカ国民なんだから
もっとも我が国も「安倍晋三を担ぐことを解っていて自民党を選んで」いるのだから同じ事かもしれない