梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

普天間問題と言うより米軍基地問題

2010-01-28 09:30:06 | 日記
稲嶺市長が当選した事に関して質問があり平野官房長官が「稲嶺氏が当選した事は直接斟酌する問題ではない」と発言した事に関して稲嶺氏が「信じられない」と発言したと報じられている、マスコミの報道がある一定の意思を持って報じられているのではない事を祈りたいが、平の官房長官の発言は全くその通りだと思う、まあ言い方が悪い事は確かだが、恐らく自民党の議員だったら得意の「粛々と進める」と言ったコメントに該当する部分だ、此れに関して「信じられない」と言うのはおかしいとは思わないのだろうか、逆に言えば推進派市長が出たときに政府が「此れで基地問題は大きく前進した」とコメントしたらどうなるのか、新市長は「世論が反対とわかったのだから撤廃するのが当然」と言う理論に併せると逆なら「解決した」とコメントして良いと言うことになってしまう、「米国の意思は守るが民意は斟酌しないというのはどういう事か」と言った趣旨の発言も有ったが岡田大臣は「自民政権の確約は白紙撤廃」と発言しアメリカがかなり強硬に「前回の計画意外は有り得ない」と再三強硬に抗議をしてきているが政府は「再考する」と言い続けているんは周智の事実だ、私はNHKのニュースを主に見ているがどうも偏った報道に感じる、基地問題は既に中東のイスラム問題と同じ様な状況にある、確かに沖縄の負担が極端に大きいのは間違いないがそれを国内の何処にもって行っても恐らく反対が持ち上がる事は眼に見えている、国外撤去か国内なら無人島にでも行かない限り円満に受け入れる事は無いだろう、アメリカの基地がはたして通常都市の中若しくは直近にあるのだろうか、セントルイスやボストンの住宅から10km足らずの所に基地をおいてタッチアンドゴーを行っている所はあるのか、世界的にアメリカの基地をアメリカ以外が金を出して生活圏に置いている国が有るのか、治外法権の基地に済み外には自由で犯罪を犯しても基地に入れば保護されると言う国がどの位有るのか、55年間の自民党が作り上げた日米関係そのものを我々も考えなくてはならないのだろう

原爆に関して

2010-01-25 09:50:25 | 日記
オバマ大統領が広島を訪れると言ったらしい、米国内では「原爆は戦争終結に有効だった」と言う意見が根強く、米国大統領が広島を訪れる事に関して反対だという意見が有るらしい、幾つか異論が有る、本当に有効だったと言えるなら何故大統領が訪問する事が拙いのか、確かに行ったら謝罪コメントが出る可能性があるが有効ならその後に堂々としかしと続ければ良いではないか、それよりも原爆が戦争の早期終結に有効だったと言う事はかなりおかしい、司馬遼太郎氏の本にもあるが戦争は基本的に経済だと思う、あの大戦前まで日本も経済を計算した戦争をしていたはずだが、あの戦争は短期で決着をつけないと自滅する事は自明の事だった、だからこそパレンバン降下作戦を開戦直後に行っていたのだが、結局制海権、制空権も直後に失ってしまって此れも意味をなくしている、恐らく開戦時点で燃料の備蓄は1年強しかなかっただろう、此れは燃料だが火薬の原料は殆ど日本では手に入らない、炸薬がなくなったらどうやって戦争を続けてゆくつもりだったのか、恐らく20年に入った頃には殆ど底を突いていた筈だ、そしてその事は連合国側では充分に知っていた事は間違いないだろう、開戦原因の半分程度は日本の軍事拡大策にあるのだから、日本も米国の上陸を覚悟していたのだがその戦法は竹槍だ、原爆を落とす必要は何も無い、静岡県沿岸は艦砲射撃を受けているが日本の都市は殆ど海岸線に有る、制海権、制空権も無くなっているわけだから艦砲射撃を繰り返せば後1ヶ月は要らなかっただろう、戦闘機が残っていても燃料は無く、機銃の弾薬もなくなってしまう、兵隊まで竹槍で戦うつもりか、百歩譲って1ヶ月でも早く終結させる為なら瀬戸内海の無人島を幾つか消して見せればそれで充分戦意は無くなっただろう、恐らくあの時点でアメリカが考えていたのはソ連だったないか、敗戦直後に日本を攻撃してきたソ連の情報が有りソ連が動く前に無条件降伏をさせる必要が有った、日本を分割統治する事を避けるにはソ連参戦の前に集結させる必要が有ったのではないか、そしてその後に残る世界2大戦力で優位性の誇示として人体実験をも合わせて投下したのではないか、米軍幹部がどう思っていたかは解らないが制服組政治家達はその当たりを充分計算して投下をしたのではないか、

常識

2010-01-22 09:04:07 | 日記
前に続いて考えている、常識を英語で言うと”コモンセンス(Common sense)”だ、日本語の常識を辞書で見ると「思慮分別」となっている、しかしコモンセンスのコモンには「共通の」と言う意味とセンスは「感覚」と言う意味が一般的だ、日本語の常識と言う言葉だと思慮分別は”識”すなわち知識と言う語感が有る、知識と言うからには「そんな事は教わった覚えが無い」と言う反論が控えているきがする、しかし英語では知識では無く「感覚」だ、私にはこのほうがずっとしっくりする、人の世で常識的なと言う事の多くは人から教えて貰う物では無く自然に身について来た物のようなきがする、若し記憶の継承遺伝と言う事が有るならば野生の動物が生まれて直ぐ母親の乳房を探す様に我々の中に数千年の文化継承が残り、人を不快にする事はいけないと言う様な事は自然に身に付いていて良いのではないか、確かに幼児期には人が困る、泣く当が面白いと言う時期が有る、しかしそれは一部限られその目的は本人は気が付かないが他人の眼を此方に向けたい事と方向性の違う他人に対する優位性の発露だ、それが正しいと思っている子供は少ないのではないだろうか、此れは確かに親や先生も言葉として諭す事も多いだろうが大半の子供達は言われるまでも無く相手が嫌な顔をしたら(何かまずい事を下らしい)と言う感覚を持っている、此れが所謂常識の基本なのではないだろうか、しかし今この常識が崩れてゆく感が有る、常識でなくCommon senseで有りたいと願う

不快と迷惑

2010-01-21 08:50:12 | 日記
東京新聞のコラムを見ていたらちょっと違和感の有るコラムがあった、曰く、「最近の電車広告で気になることが有る、「家でやろう」と言うものだが不快に思っていたら化粧の事が出た、何で電車でやってはいけないのか何人かに聞いたら”化粧は人に見せるものではない"と言う、世界的にも公共の場で化粧をするのは今の日本人だけだそうだが、此れは迷惑では無く不快と言う事だろう、不快だからと言って非難するのはおかしい」と言った趣旨のようだが、一般の人が不快感を持つ事をすると言うことはすなわち”迷惑”なのではないか、多くの人々がかって気侭に生活したらトラブルが起きる、他人にストレスを与えない為に長い時間を掛けて最大公約数的に出来てきたルールが礼儀礼節であり、マナーと言うものではないか、公共の場で化粧をするのは現在の最大公約数になるかどうかは解らないが、私達がしたいんだからあんた達が不快なのを言い立てるのはおかしいと言う理屈にはならないだろう、少なくとも私は電車で化粧をする、弁当を使うと言うのは不快だ、確かコラムを書いた方は若い(写真からだが)女性小説家の様だが常識的で礼節を重んじるタイプでは面白い小説は掛けないのかもしれないが、今は老人の比率は若いものより高い、せめて我々の世代より貴方方のような考えが主流になるまでは我々の良識を最大公約数としてもらいたいものだ

又々年金

2010-01-19 08:49:04 | 日記
この歳になると夫婦でも年金の話しが多くなる、前から連れ合いが言っているのだが、彼女は高校を卒業した後からずっと年金を支払って来た、数年間喫茶店で働いた時、仕事をしないで家庭に居るときもずっと国民年金を支払って居た、しかし殆どは企業に入って厚生年金を納めて来た、数えたら43年も払っている、61歳から厚生年金の老齢部分を支給されている、その金額は月額で45000円に満たない、一方彼女の中学からの友人が居る、彼女はアルバイトをした経験があるが全く会社に勤める事はなく結婚して専業主婦になった、つまり彼女は国民・厚生共南京を納付した事はない、しかし「第3号」という制度で年金の支給を受けている、その額は聞いた所によると3500円強だそうだ、ご主人の年金納付で彼女の功績が有ったと言う制度のようだが、厚生年金は扶養者が居ても居なくても納付金額は同じだ、女房でなくとも何とも納得が行かない、「43年納めて来た私と全く納めていない彼女でなんで1万も変らないの!」と言うのは本当に納得出来ない、機構がかわり先月私に今まで支払って来た金額と納付回数が来た、400ヶ月を超えて個人が納付した金額は698万円、会社負担とあわせると1400万が年金機構に入っている、これで支給される金額は月7万弱だ、64歳から上がるはずだが係員が計算した所では「88歳と8ヶ月で納めた分は無くなる、」そうだ、「それからは貰いどくですよ」だと、そんなに生きられないんだよ、日本人は、今この不景気で会社が倒産すれば個人補償で借りている会社の負債を整理するには個人破産も視野に入れないとならない、その後この歳で稼ぐのは交通整理かビル掃除位、今の年金は夫婦で家賃程度にしかならない、此れで消費を増やせと言っても無理だろう、景気は上向かないが愚痴を言っても始まらない、行けるところまで行くしかない、諦めるのは何時でも出きる、頑張ろう