思ったとおりの事が2つ起きた、一つはロシアの対応だ、北方4島に突然訪問すると言い出した、悪天候で行けなかったが「必ず行く、4島は昔からロシアの重要な領土だ」と言い出した、次は何をするか、輸入に関税を掛ける、天然ガスの契約を見直す、穀物は輸出しない、等々を言い出すだろう、日本は強気に出れば正当性とは関係なく引き下がると言う印象を世界に発信してしまったのだから、これからどう対応するか政府の本当の力が試される、石原都知事が「売国奴になりかねない」と言ったのは賛成だが彼の立場で公の場所で話す事ではないな、都政と国政は違うと自分でも言っていたのだからもう一度国政に入ったらどうだ、近々に解散があれば間違いなく当選するだろう、内外に多くの問題を抱えている政府は大変だと思うが乗り切って行かなければ1800年の日本の歴史が崩壊しかねない、経済的には為替で見る限り安定している様だが国民の資産で維持しているだけの状況ではそれこそ1億総玉砕だ、一方で明るい話題が出た、タイミング的にも素晴らしいものだった、NEDOで研究中だったレアアースを使わなくても同様の効率を持つモーターの開発成功だ、これで中国の切り札は1枚無効になった、少なくともそれより強いカードを手に入れたのだ、日本はこの方向に多くの予算をつぎ込まなければならない、今何とか残っている国民の資産と円高によって溜まった外貨を注ぎ込んで輸入に頼らないと成らない部分の解消に努力しないとならないだろう、この様な高度の技術開発は現段階では労働力を吸収する事が難しいがやがては大きな雇用を生み出すだろう、しかし取りあえず今をどうするかと考えた時資金を投入して雇用を確保し、それが将来的に日本経済を支える事を策定し早急に対処しなければならない、自給率が低い分野で国民の生命線をになっている所、そして何れは対処しないとならないインフラに投入するのが望ましい、食料の自給とエネルギーの自給、農業は根本的に考え直す必要がある、江戸時代からあまり替わらない方法で年貢が税金に換わっただけでは根本的に世界的に価格競争が出来るわけが無い、エネルギーは石化燃料が後数十年で枯渇する事は既に言われて久しい、原子力は何といってもリスキーな部分が多い、新たな策定が要る、火山国の日本は地熱利用がしやすい、又周囲は海だ、潮汐、温度等のエネルギーは膨大だ、今供給するコストは石化燃料の方が安いからと言うのは民業の発想だ、国政はもっと長いスパンで考えなければならない、民業であっても今後数年しか持たない状況だし今回の尖閣諸島問題で分かった様に現在の経済活動の全てが外国の意思で生命線を握られている事を自覚しないと成らない、特に資源国はそれしか経済基盤が無かったり、未整備だったりすると他国の利益をカバーするような事は絶対に無い、早急に雇用を確保する為には耐震化を急がなければ成らない学校や保育園、老人施設等に投資する事は直ぐに経済効果に反映する、そして万一の場合天災の被害総額を抑える事になる、兎に角今は経済を喚起しなければならない、民主党のお手並みを拝見している時間はそう残っていない
もう少しで10月になる、少し早いがコスモスが咲く頃だ、南米原産の割には日本人の感性に合う花でこの花が好きだと言う人は多い、どちらかと言うと体育系の男性が多い様な気がする、自分は趣味で写真を取るのだがアルバムを見て照れたように「俺、コスモスって好きなんだよな」と言う友人を何人か知っているが花がどうのと言う様なタイプではない奴が多かった。信州から上州に抜ける国道がコスモス街道と名づけられている、何度か走ったが綺麗に満開になっているのには有った事が無い、佐久から大仁多に向かう下り坂の手前、田圃の中を川に沿って走っていると途切れ途切れに植えられていたが返って風情が有った、最近は休耕田を綺麗に花畑にしたり、公園のアプローチ全体をコスモスで埋め尽くしたりするがこの景色はどうしても写真にはし難い、結局空をバックに何本かをアップで撮る様になる。甲州街道を甲府盆地から笹子に向かって登り始めると途中から大菩薩峠に入る道がある、この道を上がると武田家終焉の地と言う場所があって其処に寺が有るのだが、其処から少し手前を右に折れると一軒宿の嵯峨塩温泉と言う旅館がある、もう何十年も前に友人達と其処に泊まって忘年会をやった事がある、此処の料理が変わっていて大きめの猪口の様な器に色んな料理が多種多様に出て来る、数えたら16品有ったと思う、この旅館から林道を少し上がったところに磨崖仏が有って車は入れないので岩を削いで作った道を横に這うように入って行く、岩肌の下は田圃でもう稲は無かったが其処に数株のコスモスが枯れ残って咲いていた、東向きか南向きだったのか磨崖仏はもう陽ざしが落ちていてコスモスに夕陽があたっていたのを撮って来た、気に入っていたが写真はもうすっかり色が抜けてしまった、その後何度もコスモスを見に行くがこの時のコスモスが一番印象に残っている、都内近くはどうしても人が多く多くの写真愛好家が取りに来ているが何割かの心無いアマチュアカメラマンは禁止された区域に入って撮る者が出て来る、子連れで花を見に来ているのに情けないと思う、どんなに見た目が綺麗に撮れても何処か違う気がする。浜離宮に群生する黄色いコスモスは確かにメキシコ原産だと思わせる花だが中央高速のインターに植えてある大キンショウ菊と言う花と良く似ていてたおやかな感じのする秋桜と言うイメージとは若干違う、あのむさい男達がすきなのはやはりあの「秋桜」の方だろう
先日散歩の途中馬込に有る湯殿神社に寄ったら彼岸花が咲いていた、この花を見ると数少ない母親の記憶が蘇る、母は裁縫を教えて居て村に多くのお針子さんが居た、嫁入り修行と言う事で村の若い女性は大抵来ていた。昭和20年代の終わり頃だと思う、娯楽の少ない時代で村の青年団が祭りに合わせて村芝居をやる、川沿いの傾斜地を切り開いて家が有る、数軒づつ固まっているが隣の家団までは声も届かない位の村なのだが必ず字単位で神社が有り、しっかりした神楽殿があった、お針子さんの字で村芝居が有ると言うので母が自分を背負って見に行った、村祭りの時期だから多分10月の初めだろう、自転車は押して上がらなければならないほどの傾斜で舗装どころか削り出しただけの道路を幼い私を背負って真っ暗の道を提灯を下げて歩いて行ったが最初から背負われて居たのか途中からだったか、その頃だと姉も小学生だったと思うのだが居たかどうかも定かではない、ただ母の背中の体温と巻き上げた髪の匂いがなんとなく覚えている、トンネルを抜け川沿いのまがりくねった道路が少し平らになったら左に橋が有って此処を渡ると村社である、鳥居の前に白い幟が立ててあり、鳥居を過ぎると広場が有る、恐らくいま見れば相当狭いと思うが当時自分にはかなり広く感じた、正面が鎮守の八幡様だがその手前左側に神楽殿がある、3方向が開いた板敷きで1m位の高さが有る、此処は奉納の神楽をする場所で毎年春にその年数えで7歳になった女の子が白い着物に緋色の袴を付け、金の飾りの有る冠様な物を被ると両手に鈴を持って横笛と小太鼓に合わせて舞を舞う、これを各村の小字毎にやって居た、此処に村祭りの時は青年団の村芝居やドサ廻りの芝居が掛かったりしていた、此の時の出し物がその頃流行っていた歌謡曲の「じゃがたらお春」と言う物だった、後で調べたら長崎物語と言う物らしい、子供の私では内容は全く覚えて居ないのだが歌詞の「赤い花なら曼珠沙華」と言う言葉だった、その前から村には畦道や川の土手に彼岸花は咲いて居たが別名が曼珠沙華と言うのは此の時知った、綺麗な赤い花で雄しべの形が王冠の飾り見たいで好きな花で母も好きだった、しかしその頃大人は「彼岸花には毒が有るから触るな」と言っていた、葉の無い花で竹枝でピュッと薙ぐと綺麗に落ちてその切り口から白い液が出る、此れが毒だと教えられていたのだが数年前何かの本で彼岸花に毒が有ると言うのは嘘で根は非常食になると言う記事を見た、確かに彼岸花の根は芋様だが誰も食べなかったと言うのは食べられても旨くは無かったんじゃないかと思う、時期的に墓参りをすると墓の間に咲いて居るので縁起が悪いと言う様な所ではなかったのではないか、彼岸花は歌の通り赤い花だと思っていたが数年前に房総半島の中央あたり、南総里見八犬伝の八房の墓と言う碑の有る近くにびっしりと彼岸花が咲いていて、その中に真白な彼岸花が有った、その後鎌倉に行ったら今度は黄色の彼岸花を見た、此れはどうやら同じような花でも種が違うらしい、しかし同じ様だに見えたが改めてみるとキスゲかなとも思う、自分としては気に入った花だ。
暑さ寒さも彼岸までと言う通り涼しくなったが本当に今年は永い夏だったな、彼岸に義理を立てた様な秋の到来だ、
暑さ寒さも彼岸までと言う通り涼しくなったが本当に今年は永い夏だったな、彼岸に義理を立てた様な秋の到来だ、
浮き沈みの派手な人生を送って来たがこの事に関しては後悔していない、まあ女房は迷惑かもしれないが、「悔い改めるとも悔い悩まず」と言うのが座右の銘とまでは言わないが自分にかした生き方だった、まああまり悩まない性格にもあるが終わった後で悔やんでもどうにも成らない、ならそれは受け入れるしかないだろう、此方は大体その通りだが「悔い改める」方は微妙なところだ、第一前に右に行ったら駄目だったから今度は左に行ってもやはり駄目な事は多い、それぞれシチュエーションが違うのだ、しかし振り返ってみると大体同じ様な失敗を繰返している事は間々ある、良く言えば人が良いのだと自分に言い聞かせているが要は詰めが甘い、何度も痛い目に会っているのに又同じ様な失敗をする、あまり経営者には向かないのかも知れない、外注に法律を駆使されて100万以上損をしたり、業務縮小を計画したが誰かに知恵を入れられたのかその娘の知識が勝ったのか会社が傾くまで居座られて500万近く余計の経費を払ったりした、その後も共同事業を進めたら契約書に入っていた文言で損害を引き受けさせられたりとかなりの損害を繰返している、元受から同情されて「社長しっかりしろよ」と言われてもずっと付き合ってくれているので「此れは此れでよかった」思う事にしているのだが、思い返せば1500万位の損をしている、それを修復するのに金利が付いて2000万位の損だ、「あれが無ければな」と思っても仕方が無い、貧すれば鈍すると言うのも癪に障る、良い話には罠があると言うのは分かっているが良い話そのものが来ないからその心配も無いか、良い季節になったのだ、散歩でもして生きて行くか
中国が領土権を主張するのはあの国の常套手段だ、此れは切り離して最後は国際審判にゆだねるしかなくだろう、しかし今回逮捕拘留したのは「公務執行妨害」だった筈だ、「故意に船体を衝突させて進路を妨害した」と言う容疑で逮捕拘留したのだろう、解放するに至った理由は政治判断だったとしても「故意の妨害工作の容疑で逮捕拘留して取り調べたが歴然と故意であったと言う証拠が立証できないので嫌疑不十分のまま釈放」と言うことだと思う、此れをはっきりと公表、中国にも通達した上で釈放しなかったからこう言う揚げ足を取られる様な無様な形になってしまったといえるだろう、釈放理由を明確にしていないなら此れをはっきり公表し国際的にも信頼を取り戻さなければならない、国内法で裁くのだから「過失であっても事故の責任は中国漁船にあるから損害賠償を請求する」事は当然だ、取れる取れないはそれからだが日本に正当性があるなら不当な行為で受けた損害ははっきりと請求しなければ国際的には日本は全て不当だと認めていると言う印象を与えてしまう、釈放したら国交が正常化すると言う期待は完全に裏切られ、脅しに屈した日本は更に脅せば未だ譲歩すると言う方向に動いているのは明らかになったのだ、こう言う方向にしたから国交に影響を与えると言うのは確かに有るが大差が出るとは思えない、国際社会に於ける日本の外交能力はあまりに評価が低い、此れによって北方四島もロシアの考えが変わる恐れは充分にある、脅せば譲歩する国と見られているのだ、あれだけ歴然とした記録があるにもかかわらずロシアは日本の敗戦を8月末にして占領を正当化している、ロシア以外は第2次世界大戦は8月15日日本の無条件降伏を持って終結したと歴史的に確定しているのだ、ロシアの主張は他国からすると「何を考えてるんだ」と言った程度だが日本は領土問題と抑留問題が2国間にある、しかしその件に関して何の手も打っていないのだ、全く見下されているのだが今回の件は更に増長させるに違いないだろう、中国と言う国は古い歴史上度々政権が変わる、その度に前政権関係者を徹底的に粛清してきた、中国民と言う人種は混合人種である、しかしその中央に居るのは今は漢民族だ、中国の主張する領土と国民数はこの漢民族が独断的に併合してきた民族の総数だ、いまだに自治権と領土問題がくすぶっている領土は3割を越える、人民も前政権の清族を分離して考えれば半数に満たない、強権を持って独断的に進めるのは中華思想の顕著な特徴だが恐らく今後の舵取りを誤れば又歴史は繰り返すだろう、我々はそんなに中国を恐れる必要は無い様な気がする、アメリカも混成国家で有るが歴史が浅いだけしがらみも無く強者の論理で国を大きくして来たがやはり限界になりつつある、中米2大国家世界と言う目論見も情報速度の速さで早晩崩れるだろうと思う、それは2強の対立と言うより内包している貧富の差から崩れるだろうと思う、日本の貧富のさも何処かで調整されなければならない、江戸時代の徳政令の様な物になるか、大塩平八郎が出てくるか、そのまま行けば今の経済界主導の幕府は幕末を迎える事になる、と言うのは貧困層側の妄想だがそんな事を期待しなければ成らないのは本当に悲しい