児童ポルノ法改正が取り沙汰されている、確かに今の漫画も凄い表現の物も有るらしいがどちらかと言えばネット上に出回る物と同人誌的な物が酷いようだ、
性犯罪を助長する、或いは切っ掛けを作ると言う事なんだろうが果たしてこの表現をやめたからと言って性犯罪特に幼児に対する性犯罪が減るとは余り考えられないのではないか、
どう言う表現が猥褻かと言う問題はずっと続いている、「チャタレイ婦人の恋人」が日本では上映できない時期もあった、大島監督の「愛のコリーダ」が日本では上映できないがハワイではつまり日本以外では上映出来た事もある、
アメリカでは成人ポルノはかなりオープンであるが日本では其処までは行っていない、しかし幼児に関しては非常に厳しく聞く話によれば父親が娘と入浴するだけでも訴えられるケースも有ると言う、本当かどうか解らないがアニメの「ちび丸子ちゃん」でおじいちゃんと丸子が一緒に入浴するシーンはカットされたと言う話も有る、しかしその反動なのかアメリカ産の児童ポルノはネット上に大量に出回っている、禁止すればするほどその反動は大きくなるだろう、極端な例を出せばアマゾンや東南アジアの未開地に居る裸族は最初から全てオープンなのだ、要するに子供の服装がどうあろうがその手の性癖が有る連中には意味はないだろう、子供の裸が及ぼす影響は恐らく其れを売り物として或いは蒐集を趣味とする連中にであって規制が強くなればこの連中の中で希少価値として価値が上がるというだけだと思う、
無論、それらが無秩序に広がる事は好ましくは無いがそれを何処に線引きをするのかと言う事は実に難しいのではないだろうか
「劣情をもよおす漫画等」と言うと一体誰がその「劣情をもよおす」と判断するのかと言う問題だ、に幼児の下着姿や裸を見て興奮する、劣情をもよおすと言う輩が居るので規制するのだろうが大半の大人は小学生以下の幼児が下着で居ても劣情はもよおさないだろう、つまりこの法律の判断基準はそのての感覚が有る人間が判断をすると言う実に逆説的な話になってしまう、
考えてみるが良い、いい大人が恐らく密閉された部屋で漫画を広げて「此れは非常に卑猥だ」とか「この程度はまあ良いんじゃないか」とやる訳だ、出なければ「何歳以下の女の子を描く時は必ずこの辺りまでしか描いてはいけない」と言う様な規制になるのか、
此れをやると女子高で「スカート丈は膝から何センチ以下で無ければならない」と言う様な実に不毛な争いになって結局泥仕合になるだろう
政治家と言う連中と社会学者と言う連中はおそらく何の苦労もなく幼児期を過ごし、遊びの換わりに知識を詰込んで来た連中が殆どだろう、子供の社会には子供の社会が有って上下のルールも団体のルールもしっかり有る、それは大人社会の様な勉強が出来るからリードが出来るという物ではない、年齢が少しづつ違う社会は大人の年齢差とは違う重みがあり、上から下へ順繰りにルールを送って行く、性に関する好奇心も年齢にあった形で徐々に申し送られてきていたのだが恐らく前述の方々はそう言う部分が比較的欠如しているのではないか、子供達は「大人の世界」を大人から得ようとしても大人の都合の良い知識だけだと言う事をよく知っている、だから少し上の先輩から「ある程度の知識」を「本当の知識(秘密のと言う魅力的な言葉で)」身に着けてゆくのだ、
私は男だが恐らく女子は女子で同じ様にワクワクする様な気持ちで大人の世界をのぞいていてゆくはずである、此れは恐らく何処の文明国でもそして歴史的にもそうして来ただろう、確かにそう言う意味では今のネット普及は「皆で」其れにふれると言う部分が無いだけ危険かもしれないが今取り沙汰されている新法は少し違う気がする。
性犯罪を助長する、或いは切っ掛けを作ると言う事なんだろうが果たしてこの表現をやめたからと言って性犯罪特に幼児に対する性犯罪が減るとは余り考えられないのではないか、
どう言う表現が猥褻かと言う問題はずっと続いている、「チャタレイ婦人の恋人」が日本では上映できない時期もあった、大島監督の「愛のコリーダ」が日本では上映できないがハワイではつまり日本以外では上映出来た事もある、
アメリカでは成人ポルノはかなりオープンであるが日本では其処までは行っていない、しかし幼児に関しては非常に厳しく聞く話によれば父親が娘と入浴するだけでも訴えられるケースも有ると言う、本当かどうか解らないがアニメの「ちび丸子ちゃん」でおじいちゃんと丸子が一緒に入浴するシーンはカットされたと言う話も有る、しかしその反動なのかアメリカ産の児童ポルノはネット上に大量に出回っている、禁止すればするほどその反動は大きくなるだろう、極端な例を出せばアマゾンや東南アジアの未開地に居る裸族は最初から全てオープンなのだ、要するに子供の服装がどうあろうがその手の性癖が有る連中には意味はないだろう、子供の裸が及ぼす影響は恐らく其れを売り物として或いは蒐集を趣味とする連中にであって規制が強くなればこの連中の中で希少価値として価値が上がるというだけだと思う、
無論、それらが無秩序に広がる事は好ましくは無いがそれを何処に線引きをするのかと言う事は実に難しいのではないだろうか
「劣情をもよおす漫画等」と言うと一体誰がその「劣情をもよおす」と判断するのかと言う問題だ、に幼児の下着姿や裸を見て興奮する、劣情をもよおすと言う輩が居るので規制するのだろうが大半の大人は小学生以下の幼児が下着で居ても劣情はもよおさないだろう、つまりこの法律の判断基準はそのての感覚が有る人間が判断をすると言う実に逆説的な話になってしまう、
考えてみるが良い、いい大人が恐らく密閉された部屋で漫画を広げて「此れは非常に卑猥だ」とか「この程度はまあ良いんじゃないか」とやる訳だ、出なければ「何歳以下の女の子を描く時は必ずこの辺りまでしか描いてはいけない」と言う様な規制になるのか、
此れをやると女子高で「スカート丈は膝から何センチ以下で無ければならない」と言う様な実に不毛な争いになって結局泥仕合になるだろう
政治家と言う連中と社会学者と言う連中はおそらく何の苦労もなく幼児期を過ごし、遊びの換わりに知識を詰込んで来た連中が殆どだろう、子供の社会には子供の社会が有って上下のルールも団体のルールもしっかり有る、それは大人社会の様な勉強が出来るからリードが出来るという物ではない、年齢が少しづつ違う社会は大人の年齢差とは違う重みがあり、上から下へ順繰りにルールを送って行く、性に関する好奇心も年齢にあった形で徐々に申し送られてきていたのだが恐らく前述の方々はそう言う部分が比較的欠如しているのではないか、子供達は「大人の世界」を大人から得ようとしても大人の都合の良い知識だけだと言う事をよく知っている、だから少し上の先輩から「ある程度の知識」を「本当の知識(秘密のと言う魅力的な言葉で)」身に着けてゆくのだ、
私は男だが恐らく女子は女子で同じ様にワクワクする様な気持ちで大人の世界をのぞいていてゆくはずである、此れは恐らく何処の文明国でもそして歴史的にもそうして来ただろう、確かにそう言う意味では今のネット普及は「皆で」其れにふれると言う部分が無いだけ危険かもしれないが今取り沙汰されている新法は少し違う気がする。