梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

あの頃、映画と芝居は娯楽の代表だった

2012-08-31 18:28:54 | 雑記
子供の頃見た映画はやはり東映のチャンバラと日活の時代も全く解らない暗黒街物(?)と言った映画が中心だったがその頃小学校、中学校で「映画鑑賞会」と言う授業が有った、
小学校で見たのは覚えているのは「千羽鶴」だけでしかも内容は殆ど覚えていない、女子生徒が皆泣いていた事位で其れをからかった男子生徒が板の間に正座させられた事を良く覚えている、
この時私はからかった仲間に入らなかったが叱られた同級生から「あいつも言ってた」と名指しされたのだが私が言った事は私の直ぐ後ろの女子が本格的に声を上げて泣き出してしまい映画の台詞が聞こえないので「泣くなよ」と言ったのだが彼らには同じダと言う事になったらしい、
しかし此れは偶々直ぐ近くに担任の先生が居て女子に「静かに」と言った事を覚えていて外されたのだが暫くは「えこひいきだ」と陰口を言われた事も映画の思い出の一部でだ、
自分には6歳上に姉が居るのだが姉の見た映画は「オズの魔法使い」「ノンちゃん雲に乗る」「黄色い烏」、どう言うわけだかこの姉が「見てきた」と言う映画の題名の方が多く覚えている、見たかった(内容ではなく映画を)と言う思いが強かったのかもしれない
小学校には毎年2回巡回してくる劇団が有った、講堂で公演するのだが其れが随分楽しみだった、
今考えるとあの狭い講堂の舞台でやるのだから本当に小規模だったのだと思うが窓を遮光カーテンで覆い真っ暗になった所に照明を浴びてやる舞台はやはり子供にとっては別世界だったのだろう、
劇団の名前は未だ覚えている「タンポポ劇団」と言う、掛かった物は当然全く覚えていないがフィナーレを終えるとカーテンコールのように全員が舞台に並んで「たんぽぽ、タンポポ私のたんぽぽ」と合唱した歌も覚えているのが面白い。
学校とは別に村に時々芝居が掛かる、此れも公民館を借りて3日間位やるのだが椅子は無く板敷きに直に座って見る、此れは家族総出である、特に爺婆の大変な楽しみだ、
芝居と歌、漫談、手品、軽業とてんこ盛りだが時間は4時間程度だったろう、良く話しに聴くように旅回りの芝居には子役が居て数日だけだが学校に来る、準備や仕舞いで一週間くらい登校するのだが今考えると地域によって進み具合は違うからどうなっていたんだろうな、
小学校の間に恐らく4~5回見たと思う、妙に覚えているのは当てぶりをつけた歌謡曲を歌うのだが恐らく爺婆対応で少し昔の歌が多い、「芸者ワルツ」や「愛染かつら」も有ったが勢いがいいからだろう、「買物ブギ」や「東京行進曲」なんだが一番覚えているのが「ああ、其れなのに其れなのに」と言う曲(曲名は違うかも知れない)エプロン姿の女性が箒を使いながら「空にゃ今~日もアドバ~ルン、さぞかし会社で今頃はお忙しいと思うたに、あ~あ其れなのに其れなのに、怒るのは、怒るのはあったり前でしょう」と言う歌詞がメロディつきで覚えている、
手品はオーソドックスの帽子から鳩、大きなリングを外したり組み込んだり、そして観客席に来てステッキで触ると硬貨が出てくる奴、腹話術、皿回しとテレビの無い時代には子供のみならず大変な娯楽だった、
考えると今こう言う独特の雰囲気を味わう事はなくなってしまったのは少し残念かも知れない

改正高齢者雇用安定法の事

2012-08-30 09:34:42 | 雑記
改正高年齢者雇用安定法が可決成立したらしい
60歳などで定年を迎えた社員のうち、希望者全員の65歳までの継続雇用制度の導入を企業に義務付ける改正高年齢者雇用安定法が29日の参院本会議で成立した。施行は2013年4月
趣旨は解るし年金だけでは喰っていけない事も無年金者も居ることも充分知っている、しかし零細企業を20年以上経営して来た者からすると全く今の状況を無視した法律で恐らく笊法になるだろう思う。
大企業と一部の会社を除いて大半の企業は長引く不景気で倒産寸前の状況にある、
少ない仕事から如何に利益を確保するか、会社の将来をどうするか必死で努力を重ねている、
一方では若年者雇用が低迷し更に下がっている、若者は将来の夢ところか現在の生活すら維持出来ない状況はこれからの日本社会に大きな不安を生み出している、その若年層から「我々の生活を脅かす年金は切り下げろ」と言う過激な意見も出て来ている、
「希望者は原則65歳まで雇用する義務がある」となれば真面目な経営者はその分若年層の雇用を制限せざるを得ない、当然この事は会社に若い力を入れる事が出来ないと言う面も持つ。
この法律は本来国が行うべき生活保証を企業に押し付けるだけのものであると言える
12年ほど前、会社が4年契約で請け負った仕事が終了しその仕事で膨らんだ従業員に「後半年でこの仕事が終える、申し訳ないがその後全員の給料を確保できそうも無いから」と話したらそのうちの1人が労働基準監督署に訴えてしまい「会社の不景気を理由に解雇するのは労基法違反です」と勧告を受けやむを得ず給料をその後半年払い続け法人税にとって有った資金が枯渇してしまい銀行からの借入れも駄目で倒産寸前まで追い込まれたことがある、
良く見ているものでその従業員は最後の2ヶ月は会社に来て漫画を読んでいるだけだったが会社が支払いたくともその資金が枯渇した時点で辞めていった、
しかしその後の不景気で労基局も「倒産するのを防ぐ為の解雇はやむを得ない」と言う方向に変わったが恐らくこの改正高年齢者効用安定法も同じ扱いになりかねない
それで無ければ実際問題これからの日本の中小企業は成り立たないだろう、日本の雇用の75%以上はその中小零細企業が抱えている事を踏まえた法律でなければ混乱するだけだ、本当に必要なのは景気の回復だが偏ってしまった資産を一部でも社会の還元摺る事が出来れば内需は上向き景気も必ず回復する、
流れる水は腐らないと言うのは「資金」にも言えることだ

映画の話、中村錦之介

2012-08-29 20:21:38 | 雑記
掛川は小さな町だがそれでも映画館は3館あった、東映を主に掛けていたのは「栄劇場」日活を掛けていたのは「掛川座」、東宝、松竹は「中央劇場」で洋画は浜松まで行かないと見られなかった、しかし中学の頃見ていたのは殆ど東映の映画だったのでさほど苦にはならなかった。
小学生の頃は映画館に行く事は滅多にない、村の公民館か季節によってだが小学校の校庭で掛かる映画位だった、校庭で見る映画は大抵夏休みの頃なので映写機の前に大量の蛾が寄ってきてスクリーンには蛾の影が躍っているが誰も気にもかけていない、
各々自分達で筵を持っていって地面に座って見る、渋団扇も必需品である、この頃の映画はちょくちょくフィルムが切れる、大抵いい場面で切れる事が多かったと思うが若しかするとそうでもない時も切れたのかも知れないが夢中になってみているときに駒が流れたと思ったらスクリーンが真っ白に成るのでその時の印象が強いせいかも知れない、
大抵は先にニュース映画を20分位流し、漫画映画を数本、この頃の漫画映画といえばディズニー物だったがなんだったか覚えていないな、
正しく老若男女が村中から集まる、従って全ての希望に沿う様に組み合わせるのだろう、就学年齢以下から70位の爺婆まで居るのだから仕方はない、
しかしそれでも村人にとっては年に何回かの娯楽で本当に楽しみにしていた、大抵映画館で掛かってから数年経った物だったのだろうがそれでも「愛染かつら」や「次郎長三国志」なんかもここで見た様な気がする、
中村錦之介を最初に見たのは恐らく小学校近くの「三区公民館」だったと思う、題名は覚えていないが「源氏九郎なんとか」と言うちゃんばらで錦之介は幾つ位だったのだろうか、かなり若かったと思うが此方が子供だから「若い」と言う印象はない、ストーリーは全く覚えていないがモノクロ映画で総髪の真っ白な着流しで今考えるとまるで経帷子みたいな格好だがあの当時はこんな剣士がやたらに多い、足を揃えたまま真っ直ぐに立って両手に刀を垂直に持って構ええる、確か「胡蝶剣」とか言う剣法だが大刀はかれこれ一貫目近くある、此れをまっすぐに延ばした両手で垂直に立てて構えるというのは相当な腕力が要る、どう見てもあの優男では考えられないが、
そんな事を考えるより踊るような殺陣を素直に皆楽しんでいた、通称「ナカキン」の映画は随分出まわった、年に何本撮っていたんだろう?彼の役で覚えているのは「一心太助」「森の石松」だが中学の時に始めて汚れ役をやった、「鮫」と言う映画だが此れを学校で見に行ったのだがこの映画では野武士の下っ端で村を襲い村娘を強姦するシーンが有ったが何であんな映画を学校で見せたのか、確かに何か賞を取った文学作品だったが14~15の餓鬼にはその深い内容より村娘を折り敷いて着物を剥ぐと脂ぎった表情で笑いながら体をゆすっているナカキンの表情の方が生々しく頭に入って来た、
子連れ狼でブレイクしたが結局晩年は余り良くは無かった気がする

大使襲撃は中国の国際的価値を大きく下げる

2012-08-28 18:11:47 | 雑記
駐在大使と言うのはその国を代表する人物だ、言わば国其のものと言える存在である、
その駐在大使の車を襲撃しあまつさえ国旗を奪うと言う行為は言語道断であり、内乱状態で無い国では恐らく前代未聞では無いだろうか、
駐在大使が国家を代行すると言う認識は国際的に認知されている事で今回の暴挙は日中問題以前の問題として中国政府は厳正にかつ速やかに対処しなければならない、
中国が国際社会に於いて成熟した国家として認められるには日本に対しての謝罪と同時に国家として今回の様な暴挙が仮に起きたとしたら即急に対処し厳罰を持って望むという姿勢を国際社会に示さなければ現政府「中国共産党」の指導力に対する評価は大きく下がるだろう、
日本政府も我が国の問題として抗議すると同時に国際社会に強くアピールをして貰いたい
折りしも中国国内でツイッターの人気女性から「尖閣列島は1990年までは中国国内でも日本領土として教科書にも載っていた、」と言うアップを当時の教科書文面と地図を掲載し多くの「中国共産党の嘘が又明らかに成った」と言う話題が出ていた、
しかし日本は此れに乗じて大声を上げる事は避けてもらいたい、この事を言質に取る様な行為は今回の様な冷静で心ある中国国内の知識人を危険に追いやってしまう可能性が高い、
静かに「有り難い」と言う事を冷静に伝える事で中国共産党がこのツイッターに対しての弾圧理由にされる事は極力避けるべきだろう、
この教科書の様な「反日教育」が既に30年も続いている事は今の20代から40代の中国国民は共産党の洗脳に近い教育で「日本鬼子」と言う様な認識、中国領土を占拠し続ける最低な国民だと思い込んでいる事は想像に難くない、
しかし、事実はどう隠蔽しても必ず何処かから漏れてくる、報道を隠し、コントロールして今までそれらの事が表面に出ない様にして来たのだが「インターネット」のお陰で(共産党からすると”せいで”)世界の状況も歴史も政府の意図する嘘は次々崩れてゆく、
輸出産業の拡大を意図して中国内で最先端のIT機器を生産した事が結果最新の世界のニュースや情報から国民の多くが事実を認識し始めた事は皮肉な話だ、
高速で行き交い拡散する情報は政府の意図などとは無関係に、これからの中国を担う若者層に広がってゆく、日本は冷静に彼の国を見定めて行かないと行けないだろう

「近頃の若い者は」昔からも此れからも続く

2012-08-27 10:59:14 | 雑記
中学生の投稿に「しつけより個性の尊重」と言う意見が載っていたがやはり本当に言わんとする事を理解していないだろう、服装や髪型を規制しても生徒の反感を買うだけだと言うが子供に反感を買うのは大人の仕事だから仕方ない、むしろ反感を買わないように放任する方が大人の責任を放棄している事になる、おしゃれしたい時期は認めるがだから好きにやって良いという理屈にはならない、最初に書かれていた様に「我慢や辛抱」は社会と折り合いをつけると言うより社会生活を維持する為に非常に重要な事なのだ、決して「そんな下らない事」などではない。
命の大切さはこの社会生活の中で他人の考えと自分の考えが違う事は当然あるが相手も同じ様に考えがある事を認めお互いに折り合いをつける事が重要だというルールを身に付ける為に必要だ、自分以外の他人には多くの大人が含まれている事を理解し認めなければならない
服装の個性に関して言うとファッション雑誌やテレビで見る流行の格好は決して個性的とは言わない、其れこそ没個性の代表だと理解しないとならない、
「今の若い者は」と言うのはソクラテスの時代から言われていたと言う、我々大人たちも若い時は「今時の若い奴らは」と言われて居た、しかし何時の時代もそう言ってくれる大人達がいて、そんな話は聞かない若者も多く居て、やっとそれで社会は継続して来た、何も言わなくなったら社会は維持出来ないと同時に若者全員が大人の言う事を唯々諾々と聞いてしまっても恐らく成り立たない
しかし、今の虐め問題や世界的にも低くなった公共の場でのマナーの悪さは恐らく「自分が思う儘に何処でも振舞う、思うようにならないと怒るか放棄する」と言う子供(若者)が多くなり「もう少し厳しくした方が良い」と言う意見が投稿されたのだと思う、
恐らく敗戦で「自由」の概念が180度変わった事に原因があるのではないかと愚考するのだが、実際は決して「自由」の概念が変わったわけでは無い、アメリカの持ち込んだ自由の概念のうち「責任」の部分が抜け落ちて教育現場とマスコミに広がった為だろう、
日本は(一般人で今の官僚には通用しないが)最初から「責任を負えない事は出来ない」と言う事を明文化していないが普通に親から子に伝わって来た、そして村や町の暗黙のルールとして自分と相手の距離は互いに半歩引いて付き合うのが礼儀であり常識だったのだが
力で国を奪って来たアメリカの自由は「奪い、守る」と言う方式で出来上がってきた、いい例が「銃の所持」に関する考え方が有る、日本は拳銃の所持は「銃刀法」で厳しく制限されている、
アメリカはスーパーストアで拳銃が誰でも買える、「其れは余りに危険だ」と言う意見に所持法の反対者は「法で一般市民が拳銃を持てないと言う事は違法者だけが拳銃を持つと言う事だ、法を遵守すれば防ぐ方法も無い、違法者の銃に銃で対抗するのは市民の権利で其れこそ自由」だと言うのが彼らの論法だ、まあ現在この意見を推し進めているのは武器のメーカーだと言う事は有名な話では有るが
学校の運動で子供が怪我をしたから学校に責任が有る、と言うのは学校で運動を教そわるのが子供の権利だと言う事の中に「本人が不注意だったら怪我をするかもしれない」と言う責任も含まれる事位理解しなければなるまい、
全ての子供に眼が届く人数の教師を配置しろと言うなら教育に掛かる租税が数倍になる事も承諾しなければ成らないのは当然だ
社会補償、インフラの整備など国や地方のサービスを充実させる事を要求するならそれに見合った税金が居る事は理解できるだろう、明治以前の日本人はその辺りを「お上の言う事」と言う事で納得して来たのだが軍事政府が引き起こした大戦が終結しアメリカが日本の教育が軍事国家教育だと押し付けて来た考え方は僅か建国200年」程度の熟成不足の文化意識だった、
あれから50年以上が経ってアメリカの意識も変化してきたがアメリカの100年は歴史の40%位になる、しかし日本では0.5%でしかない、アメリカの方式を金科玉条の如く崇めるのはそろそろ止めた方が良い