昭和30年代の小学校では検便と言うやつが定期的に有った
回虫検査とも言っていたが各自マッチ棒の先位の大便をマッチ箱に入れて学校に持って行く
検査の結果がどのくらいの期間で戻って来たか覚えていないが結果によって虫下しと言うやつを強制的に呑まされる
大抵飲む羽目になっていたので殆どの児童から回虫の卵が見つかるのだろう
この時処方される薬と言うの「カイニンソウ」と言う飲み薬で、ドロドロの煎じ薬だった
調べてみたら「海人草」と言う海草の一種らしいが当時はごく一般的なもので学校で施薬する位だったから厚生省認可薬だったのだろう
兎に角、臭い、不味い、飲みにくいと言う三拍子そろったやつだったが先生監視のもと湯飲みで大量に飲まされた
かなりの児童が排便時に白い回虫が出たと言っていたので効き目はあったのだろう(自分は出なかった記憶が有る)
当時のトイレはいわゆる日本橋(二本の板を肥え桶の上に渡しただけのスタイルである)だからよく観察できるのである
病院なんぞは町に出ても総合病院は掛川が市政になった後で出来た市立病院だけで個人病院は市内にすら内科が幾つかと歯医者が一軒しかない
薬局が有ったかどうか覚えていないが街から4里も離れた山奥にある訳もなく常備薬は置き薬だった、
俗にいう「富山の薬売り」的な置き薬屋が自転車の後ろに付けた柳行李に入れて年に何回かまわって来るのである
使っただけ追加してその分だけ支払うと言う方式で子供がいる家庭には紙風船を置いて行ったが其れが楽しみだった
風邪に「とんぷく」解熱剤は「みみず一風散」と「赤玉」と言う腹痛薬兼痛み止め、大抵こんなもんで何でも対処できた、と言うかするしかない
未だ置き薬が無い頃からの民間治療は「せんぶり」である
食欲不振とか虚弱体質の対応薬として特に女性が服用していたが調べるとちゃんとした漢方薬の様だ
これが苦い、筆舌に尽くしがたいと言う位苦い、それが効用だと日本薬学会に書いてあったがその部分は子供の罰として使われた記憶が有る、
まあ、我が家だけだったかもしれないが何しろ60年以上昔の話である、今更「あの頃はこういう事もあったよな」と記憶のすり合わせが出来る近しい人はほゞ鬼籍に入ってしまった
昭和は遠くなりにけり、令和生まれのZ世代なくとも自分が考えてもほぼ江戸時代と変わらない印象だ