今朝NHKでミャンマーで戦死した遺族の放送をしていた、高齢になって今回が最後になりそうだと言う方が他の遺族の方と一緒に戦死した処を訪れると言う、現地の方が手を添えて付き添ってくれて遺族会が建てたと言う慰霊碑に手を合わせ、川に護符を流し、現地の寺で供養をして貰って居た、
しかし彼等にとって日本人とは一体何だったのだろう、白人が占拠していたとは言えやはり他国の軍隊である、勝手に来て国を踏み荒らし銃撃を繰り返してその結果死んでいった、それでも恨みを言うでもなくこうして手を添えてくれる、恐らく死んでいった兵隊たちは国の命令で徴用された一般人で有る事を知った上での対応なんだろう、しかし此れを持って「あの戦争は亜細亜の解放の為に行った」」と言うのは当たらない、結果としてその一面は有ったとしてもあの戦争を決定した軍部の動機は別にあった事は間違いない事実だから。
放送は「戦死者とその遺族、戦争の被害者は未だに終わって居ない」と言うスタンスで作られていたようだが、確かに戦没者は「第二次大戦の被害者」である事は間違いないが「戦場になった国々」はより多くの被害を蒙った事を忘れてはいけないのではないのだろうか、北方戦線、南方戦線と多くの犠牲者を出し、遺骨も特定出来る訳も無く国から呼び出されて死んだ人達と残された家族の苦しみを考えると又外国に行って武力を行使できると言う事は絶対に避けなければなるまい、行って戦う日本人も武力を持って来られる側の気持ちを斟酌すれば「日本の都合」で武力を持って入ってこられる国はたまった物ではあるまい、他国から侵略を受けて助けを求められてと言うならまだしも、それにしたとしても其処にはやはり国連が先ず介入すべき事で「日本が危険な状況になりそうだから」と自己判断が許される訳も無いだろう、国連機構の影響力を強くし且つ後進国も納得の行く判断を公平かつ迅速に行う様にすべきだろう、世界の警察は国連軍であるべきで強力な軍事力が有ると言う理由だけで一国が「我が国の正義が世界の正義」だと言うのではスペインの無敵艦隊時代と中身は全く変わって居ない、
「サイボーグ009」のイントロが世界警察と言う奴だった、その為に強力な兵力で有るサイボーグ達が各人種で構成されているのが面白かった、まあ漫画ではあるが理想的な話だな
国旗掲揚に不起立の教師に対して再契約拒否に関して職権乱用と言う判決が出た、確かに雇わないと言うのは重すぎるのかもしれないが口頭注意をしても全く聞く気が無ければ仕方ないのではないだろうか、彼らの職業に合わせて例にとれば遅刻する生徒に何度注意しても守らなければ保護者に連絡をする、それでも守れなければ停学とか退学とかになるだろう、万引きも初犯は説諭でも同じ事を繰り返せば書類送検になる。それが確信犯なら当然の事だと思う。
国旗掲揚と国歌斉唱に反対だと言うが「国旗掲揚と国歌斉唱は不要だ」と言うのか、それとも「日の丸と君が代は嫌だ」と言うのか、国旗と国歌は世界どの国でもシンボルとして必ず有る、オリンピックでも他の競技でも世界順位が掛った時は必ず掲揚し演奏される、
国旗においては「海洋航海法」でも義務付けられているのだから「国旗と国歌」その物を否定している訳ではあるまい、
君が代と日の丸が厭だと言うのは思想信条の問題だ、しかし学校行事で国旗掲揚と国歌斉唱は学校が決めた決まりである、ルールが思想信条に合わないから守らなくてもよいと言うならルールの意味は無いだろうしそんな事が世に出て通用する訳も無い、まして教師である、「気に入らなくともルールは守らなければならない」と言うのは社会人の根本理念である、それを生徒に伝えなければならない立場の人間が自ら「気に入らないから立たない」と言うのは教育者としてどう理屈づけるつもりなのか、
単純に旗と歌で言えば大きな会社には「社旗と社歌」がある、そこで「社旗掲揚と社歌の斉唱」と言われた時「自分は気に入らないから立たない、歌わない」と言う事が通用するかどうか?見つかれば厳重注意で済めば良いが評価に影響する、「信条に反するから」等と言えば馘首も有りうるだろう、そんな物は恐らく雇用契約には書いていなくとも周囲は当然だと評価するだろう、教師には卒業式次第と言う物が有る、それが納得できなければ退職するのは自由だが給与を貰っている限り学校の規則には従うのが当然だろう。
「日の丸と君が代が納得できない、こう言う理由で止めるべきだ」と思うならそれを一般国民に訴えて多くの賛同を確保、署名を集めて公に提訴すればよいのではないのか?陰でボソボソ文句を言ってもそれは意見でも何でもない、どう言う事を言わんとしているか何となく解るが正式に上程して居ない、上程してあればそれに此方も堂々と反論させて貰う、私としては日の丸と君が代が素晴らしいと言うつもりはないが世界に対して21世紀の現在「国旗と国歌を変えます」と言う様な理由は思いつかない、教師と言う立場は思想信条を教育の場で出してはいけない、それこそ憲法に言われている「思想信条」の自由だからだ、教育の場では教師の個人的な色をつける事は教師失格と言われても仕方ないだろう
女房が蒲田の駅前でネパール地震の寄付金を募る一団を見たと言う、ネパール人らしい5~6人の若い人達が段ボールで作った箱と手書きの看板を持って道行く人に「お願いします」と声を掛けていたらしい、女房はそのまま駅に向かうエスカレーターに乗ったら後ろから来た年配のご夫婦らしい二人の会話が聞えてきた、男性が「あれは嘘だな、」と言って居たそうだが女房にもいかにも怪しそうに見えたそうだ。
私自身も街頭の募金活動と言うやつにはかなり懐疑的だ、何度かニュースでも取り上げられたこともあるし「2チャンネル」などでは「自分もやった」と言う投稿も結構見かける、
コンビニのレジ横にある募金箱でも「有難うございました、皆様の善意で***円集まりました、」と言う様な張り出しも目にするがはたして本当にその金がどこそこに入ったと言う確認は出来ない、振込用紙が添付してある事もあるが実際いくら集まってどれだけ送ったかの確認は出来ない、人の善意を信用出来ないのは悲しいがそう言う話を時々聞くのだ
確か募金活動には届け出と証明書の携帯が義務付けられているはずだがほとんどその証明書を見た事は無い、一度戸別訪問を受けた事があって20代の女性に提示を求めたら本当に持っていたことが有ったが街頭でそんな事も出来ないだろうから募金箱には届け出をした関係官庁の許可書を添付したらどうだろうと思う、こんな事を書きながらなんか自分が少々嫌に成るのだが実際「ちょろいもんよ、」とネットに出している奴の顔を思い出すとどうしても素直に金を入れる気にはなれないのだ、
今彼方此方で見かける「ワンちゃん、ネコちゃんたちのえさ代がありません、」と駅前で叫んでいる若者達もどうも信用出来ない、犬や猫をかわいそうだと言う連中にはとても見えないのは偏見なんだろうか、3・11が起きてから丸3年が過ぎる、犬と猫の平均寿命は長くて10年程度、一般的な小型犬は7年位である、3・11で被災し飼い主を失った犬猫を救助し施設を作って保護したとしてももうそんなに生き残っているとは考えにくい、
貰われていった犬猫も結構あるとも聞いた、しかし何よりあの人数で大声を上げている連中を見るとどうしても催眠商法の連中を思い出してしまうのだ、
無論そうでないのかもしれないが私自身は(どうかなあ・・・)と言う気持ちが抑えきれないのだ
「薊の歌」と言う歌があった、「山には山の憂いあり、海には海の悲しみが」という歌詞でメロディーが好きだった、村のあちこちに咲いていて小さなやわらかなものと背が高く葉にも花の下にも棘が多い鬼薊があって自分は鬼薊の方が好きだったがお袋は小さな方が「やさしいから」好きだった、女の子達はままごとでこの花を頬紅のブラシに見立てていた、季節は取り立てておぼ得ていないのだが春だったのだろう、何所に行っても咲いていて必ず何枚か撮って来るのだが何となくおさまるが取り立てていい写真にはならない、地方に行ってもよく見かけるがあまり違いはないように見えるのだが国道51号線から尾根を越えて静岡の梅が島に抜ける林道に咲いていた薊は見たこともない花だった、株になった本体から何本か伸びあがりその先に大きな苺の実のような花を重そうにうな垂れて付けていた、何枚か写真に撮って来たが後で調べたら「富士薊」という保護種の薊だった、まだフィルム写真の頃だったのでネガはあるがスキャンしないと入れられない、6×7で写したものを2400DPIでスキャンしたら10MBを超えてしまったのでダウンサイジングで
その後市川大門から村道を走っていたら普通の家の庭に咲いていたので地元の家では普通に育てていたようだがく他の地では全く見掛けないので根付かないのかもしれない、
クレマチスの八重は初めて見た気がする、白だったが一般的な赤紫や青は一重だったので白だけしかないのかもしれない、この花に少し似ているが時計草と言う花があるがこれは難しいと言うだけにあまり見かけない、美しさでいえば私はクレマチスの方が好きだ、
最近はろくなニュースもない、ブログもぎすぎすしてきた、時々息抜きをしよう、しかしストレスが溜まらないように又書くぞ
ゴールデンウィークに入る前、仕事で浜松に行くことになった、天竜の山奥で太陽光発電の敷地を借りるという事になっていたが一部が寺の所有地になっている、貸借者が寺である、この寺は無住職で檀家全員に納得してもらう必要がある、説明会の開始は午後7時30分、ここまで浜松の駅から車で小一時間掛かる、無論バスなどないのだ、当日帰京するのは絶対に無理だが何しろ浜松を出るのは6時ころである、
暫く旅行に行っていなかったので女房も一緒に行ってそれまで行こうと思って行っていなかった「浜松花博」の跡地を見に行く事にした、昼頃到着し予約していたホテルに荷物を預けるとレンタカーを借り出して向かう、現在の名前は「ガーデンパーク」と言うらしい、今年も花博と銘打ってイベントを開催していた、しかし本体はもう少し北の舘山寺、浜松フラワーパークになるがガーデンパークはまだ云った事がなかったのでこちらに向かう。
比較的空いていてゆったりと見る事が出来た、入園料は無料である、
小さな運河をわたる手前に藤棚がある、 藤そのものは小規模だがバックが運河と言う場所は珍しい
意外と暑くなって来たが周りが湖なので風は心地よい、本体ではないので人はまばらでそれもゆったりとした気分で歩ける、車庫の近くに赤いブラシのような花が咲いている、馬込の区役所近くに咲いていて前から気になっていたのだが未だに名前がわからない
最初が国際花博だったので国の名前が残った場所がある、そのころ見たらまた違ったのだろうが今では別の雰囲気が面白い、運河をゆっくりと観覧船が回っていたが時間が気になったので乗らなかった、
5時前にホテルに戻り女房を置いて山に向かう、到着は7時ころ、会合は9時半まで掛ったが結局結論は出ず山を下る、車がすれ違うのも苦労する様な山道を40~50km/hで駅近くのホテルに着いたのはすでに11時過ぎ、仕方ないので近くのチェーン居酒屋で酒を飲んでホテルに戻ると1時になっていた、