梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

我々も声をもっと

2015-12-30 08:02:31 | 雑記
28日付の東京新聞朝刊に「辺野古米からも反対」という記事が掲載された、カリフォルニア州バークリー市に続いてマサチューセッツ州ケンブリッジ市でも採択されたという、
基地はアメリカの物だが直接の当事者は遠い日本の話しであるがそれを市の決議として採択される、と言う以前に議題になる事自体凄いと思う、
アメリカ人の国民、或いは文化というものの大きさに驚かされる、無論対局の発想もありそれが銃の問題や中東戦争になっていることも紛れも無い事実だがこの発想と行動力に感服した、
それに比べると日本の国民は情けないと感じるのは自分だけなんだろうか、同胞の沖縄県民がずっと負担を負っていて声をあがているというのに日本国内からは「沖縄県民を支持する」と言う議決どころか声もない、「改定安全保障」は日本全体に沖縄並に負担を強いる可能性がある法案だが沖縄にはそれ以上の負担がかかる、
アメリカ国内ですら「アメリカの行いは正しい行いではない」と言う意見を地方自治体として採択している、無論日本政府がアメリカの一地方の市に忖度する必要はないかもしれないが日本に負担を強いているのはそのアメリカなのだ、
これは「政府の問題」ではなく「市民の問題」なのかもしれないと気付かされ他記事だった、
しかしこの記事は結局東京新聞しか取り扱っていない、東京新聞独自の情報だったのかも知れないが「やはり今のマスメディアは政府の御用機関でしか無いな」と思う、政府と違う意見を乗せたら「公平に報道すべきだ」というような事を放送法認可をちらつかせて黙らせると言うのはそれこそ「公平な報道ではない」だろう、
今年は安倍政権の独裁政治に終えてしまった、来年は政治を国民の手に取り返さなくてはならない、この文がミャンマーではなく日本だというのは悲しい

従軍慰安婦と少女の像

2015-12-29 15:54:14 | 雑記
政府が韓国の言う「従軍慰安婦」の問題に日本軍の関与を認める趣旨の発言と謝罪を表明した、安倍政権はかなり右寄りと思われる発言や政策をしている、今までも一貫して「慰安問題」として「従軍強制」は無かったと取れそうな発言だったし「河野談話」に関しても否定的な言動(総理自身からではないが閣僚からの発言を否定して居なかった)
それが一転して「深く謝罪する」と言う発言に変わったのは恐らくアメリカからの要請が有ったのだろうと言うのがもっぱらの噂だ、
根本的には隣国との関係が今の様な状況が良い訳はない、民間の関係は経済交流と言うレベルでは無く共同事業的になっているのが大半だ、一方で未だ「ヘイトスピーチ」に見られる様に理由の無い嫌悪感情も消えて居ない、報道も出版物もSNSも盛り上がると言う事、一部方面に売れると言う事で有る事無い事を全て日本人は偉いと言う方向に向けて発信している、彼の国も自国政府に批判が集まると「嫌日感」を煽る形で報道をする、
過去の問題から目をそむける事は建設的な外交は出来ないがその事に固執してもそれは同じだ、明治維新以前は朝鮮使節団と言う外交がずっと続いていたし日本の文化は朝鮮半島からもたらされた事は間違いない、
明治政府が日清戦争で弱体化していた清国を破った時から愚かな過信が始まった、ついで日露戦争にも勝ったがそれはロシア革命の影響を受けた弱体化したロシアだったのが勝因で日本軍が強かったわけではない、
近代戦になってから韓国は表立って戦争当事国になった事はない、常に何処かの国の代理戦争をやらされている国である、しかし日本は第二次世界大戦で敗北しいわゆる「敗戦国条項」で未だに「敗戦国」としての枠に抑え込まれている、中国は連合国であり「戦勝国」側となるが韓国はそのどちらにも属さない国であり朝鮮戦争で国を分割統治されてしまった、言わば敗戦国の責任を日本に占領されていた朝鮮が取らされた形になっている、
この理不尽な状況の憎悪を別れた同胞に向ける事も出来ず、経済的に有るいは戦略的に米ソに向けるわけにもいかず政府としては敗戦責任国の日本に向けたと言う事ではないだろうか、しかし既に局地戦争は起きる余裕はなく経済とイデオロギーの争いになって来ると経済的にも地理的にも憎み合う事は全く無駄な事で憎悪関係はそれこそ漁夫の利を米ロ中に与えるだけだ、今回の合意はたとえ米国の意向で有ろうと有意義だとおもう、
懸案になった「少女の像」の事は少々嫌な印象が有る、現物は見て居ない、写真だけだが像は見た目は幼い十代前半の様に見うけられる、従軍慰安婦の強制があったとしてあんなに幼い少女を連行する事は無かっただろうと思う、しかし韓国の組織は意識的に頑是ない少女の像をつくり日本人の印象を殊更貶めると言う方法をとって居るとも思える、
もし本当に10代間も無いあのような少女を慰安婦として強制連行したと言う事実が有ったらそれは本当に唾棄すべき行為でいかなる誹りも甘んじて受けなければならない、無論成年婦女子なら良いと言う意味では決してないがやり方があざといと言う印象が有る、
これは映画「コープ」のイルカ漁の画像にも言えそうだがあれがジャーナリズムと言うのは納得はできない、イルカ漁は追い込み漁で活けどりが基本で殺すと言うのは失敗で有る事は恐らく知って居ての撮影だ

せめてその位は

2015-12-24 17:53:53 | 雑記
N H Kニユースで武蔵野の地下壕を流していたが中島飛行機の工場だったと説明があった.
「ここで作られていたゼロ戦が」と有ったが中島飛行機は陸軍の航空機専門でゼロ戦は艦載機、海軍の戦闘機なので中島飛行機では無く「三菱重工」である
更に「壁には砲弾の跡も」とも言っていたが空爆はうけても東京都下は艦砲射撃はうけている筈も無い、もう少し史実と言語を学んでから放送に臨んでほしいものだ
陛下が「戦争の痛ましい記憶は忘れてはなりません」と言っていたが公共放送が是では東京大空襲や沿岸都市に対する艦砲射撃など理解出来まい、戦争が日本国土とそこに住んでいた人達に何を強いたかもっと真剣に学んでからカメラの前に立たせなければなら無い、
この話を女房は「N HKが間違える筈は無いからあんたが間違えている」と言っていたけどこれが一般的な反応だから怖いのだ

天皇誕生日、譲位されても良いんじゃないか

2015-12-23 07:52:06 | 雑記
今日で陛下は82歳になる、現代ではさほど高齢だとは言えないが自ら「年齢を感じることも多くなりました」と仰有ったと言う報道が有った、
明治憲法で天皇の譲位は認められていない、これは平安、室町時代に皇位継承争いから国が乱れる事が多くと言うより殆どの戦乱を引き起こした事を教訓に徳川家康が決めたという、(その後何回かあったようだが)明治憲法は此れを踏襲し昭和新憲法でもそのまま引き継いでいる、しかし同時に「天皇は国の象徴として」とも明記されている。
皇位継承権が男子であることも含めて天皇の譲位は見なおしたほうが良いのではないだろうか、昭和天皇も大戦の名義的責任者として大変な時代を送り在位の後半日本の発展を見届けて崩御されたがせめて体調を崩された最後の10年位は譲位されてゆっくりとした生活を送らせてあげたかったと思う、その思いは今上天皇でも同じで既に皇太子様は壮年から高齢に足を掛けている、現在であれば公務についても問題なくこなされると思う、
現在の医学は半世紀前とは大きく変わり平均年齢も大幅に伸びたがそれは決して健康で元気にというわけではなく「生きている期間」が伸びたと言う数字だ、民間なら当然「リタイア」して居る年令になる、
平和憲法を弄るより「皇室典範」を変えるだけなら国民も納得するだろう、
安倍総理が昔の「強い日本」を目指したいなら畏敬する天皇の事も考えてあげたらどうだ.
恐らく陛下の望んでいる事とは違うのでは無いかと言う事も含めて

家族と家系と名字

2015-12-22 17:08:08 | 雑記
家族と言う文字は家と一族と書かれている、人が生き続ける為には一人より二人、二人より三人と多くが寄り集まって協力する方が合理的で外敵や自然に対しても有効である、
何も人間に限った事では無く動物は自然にそう言う生き方をする、
防御力が弱い動物は種の存続の為にコロニーを作り集団で生活をする、人間は食料の貯蔵という方法を考え出して次世代に引き継ぐと言う事を覚えた、その中で蓄えの継承、権力の世襲と言う事が起きる、
その中から家系を示す為に「家族」と言う一族一党意識と表明する為の家族の印として「苗字・姓」が自然的に発生したのだろう、厳密に言うと苗字と姓は別の物で氏素性と言う言い方のうち「姓」はかばねとして地位を顕したらしい、いわゆる「七色の姓」である。
江戸時代までは武士以外は苗字が許されなかったと言われているが実際には通称としての苗字はあったらしい、その武士の氏に関しても殆どは権力を持った後自称であり、奈良時代の古姓にしても住んでいた場所の呼称が主立っている様だ、
大化の改新時代に天皇家から藤原が氏の最初だったと思うがその後の「源平藤橘」」の内源氏と平氏からは武家と言う事になって居てこれらも天皇から賜った氏だとされる、
現在の家族と言う言葉にはそんな事よりやはり温かな意味合いの方が強い、親は子に対しては無条件で許す、無論教育として社会通念として善悪の判断や社会的考慮などは親の責任として授けなければならないが最終的に破綻しても親子であるが故に共に責任を負い抱きとめると言うのが「家族」であり最後の逃場になる、成らなければならないだろう。
産まれてから親しんだ姓名だが結婚して家庭を築き家族を育んで行く事においては社会との関係は避けられないのが人間の世界だ、憲法で言う「権利と義務」を果たさなければならない時複雑化した社会においては区別する為のIDが要る、
問題になっているマイナンバーは個人を特定するIDだが国家社会の経済的最小単位は世帯である、現在世帯番号と言う物は無い限り「姓名」で管理するのが一番合理的だし此れを替えるのは大変なコストと時間が掛る、
仮に「夫婦別姓」になったとして互いに元の姓を続けたいと言う事で別々の姓で届を出して子供が生まれたとしたらどちらの姓を名乗らせるのだろうか、自分の姓にこだわりが有るのだからやはり我が子には自分の姓を名乗らせたいと思うとしたら話しあいでどちらかの姓を名乗らせる、第二子は他の姓を名乗らせる、とすると子供が家族の姓名と言うより妻の子供と夫の子供と言う様な印象になって仕舞わないだろうか、
東京新聞にフランス人女性が日本人の姓名で暮らしていると言う人のコメントが有ったが「フランスは両方の姓が載せてありますが私は自然に夫の姓で暮らしています、通常の社会生活を送るのには無だな負担が多くなりますから」と書いていたが此れが普通ではないだろうか、
自分の使って来た姓名に拘ると言うのはあくまで個人レベルの話で家族としてと言うより子供を一人の人格と考えたらどちらを優先するかと言ったら子供を優先するのが望ましいと思う、子供が出来たら自分を犠牲にして育てるのが種の保存の条件だ、まあ名前の問題はそんな大げさな問題ではないが考え方が「自分の拘りを子供が暮らしてゆく事においての違和感より優先する」考え方はこの根本理念からするとそれこそ「違和感」がある