梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

知事選と解散総選挙が有りそうだが

2012-10-31 17:52:08 | 雑記
石原都知事が辞表を出した、任期半ばでの辞表提出だ、彼は最初から最後まで好きなように発言し好きなように行動し、そして気が向いた時点で後処理もせずに辞めた、
私は石原氏には国会議員のときからあまり納得の出来る行動だとは思わなかった、議員を辞めて都知事に立候補した時も実に傲岸不遜な発言を繰り返している、無論それなりの政治手腕も有るのだろうが行動その物を見ていると単純に好きなことを言い立てているだけにしか見えない、此れは最後まで続いた訳だ
国政では当然「発言」と政策は一致出来ない、其れが不満で全ての権力を手に出来る知事職に移ったのだろう、
其れが見えているから私は彼を都知事にはしたくなかっだが此れだけは仕方が無い、多くの有権者が選んだのだから其れが都民の総意と言う事だ、3度目の立候補は最後の最後まで出るのでないのと言い続けた挙句の立候補だった、
彼は負けると言う屈辱には耐えられない性格の様だから勝算が立つまで熟考した結果だったのだろう、おそらく対立候補の票を世論から予測してからでたのだろう、
確かにあの時点で石原慎太郎以外に都を任せたいと言う対立候補は居なかったが私は別の候補を選んだ、
恐らく今回も同じ様な展開になりそうだが仮に前回の候補だとすれば一体誰を選んだらいいのか、
一体近年の知事選はどうも知名度と人気投票的な結果になっている様だ、
演出、パフォーマンス、そしてインパクトの有る政策を並べる候補が当選している、演説の中身より声の大きさで当選するような選挙では何れ馬脚は現われる、かといって旧態然とした政策では動きの激しくなった21世紀の政治は難しい、都知事選は公告から5ヶ月以内だったか?
いずれにしても国会の解散時期と重なる公算が強い、野田政権は断末魔になって来た様だ、
漏れ聞く所に寄れば野田総理の後ろ盾だった財務省が離れてしまったからと言うが成り立ちから言えば「後ろ盾」の訳は無く政権担当能力の無い民主政権を傀儡子の様に傀儡政権化し使え無くなったから棄てたと言うのが正鵠を射ているかだろう、
しかし今回の消費税10%引き上げが今回の野田傀儡政権で実現できなかった事は多少では有るが此れからの官僚影響力は減衰する可能性もある、
其れは兎も角既に過半数割れ寸前の民主党で国会を支える事は実質的に不可能だろう、世論調査の支持率も20%を割り込んでいる所から内閣不信任を出される前に解散となる公算が強い、財務省が離れた事で消費税と赤字国債の特例法も若干は緩くなるだろう、
さあそこでだ、次の選挙でどの党を担ぐか、民主党は論外だし、自民党も現状では何れ狐か狸、石原新党は田中真紀子氏の話ではないがどうも暴走しかねない、
今回の尖閣問題の発端を開いたのは石原都知事だった事は間違いない、その前から「三国人」と言う様な発言をしたり質問に対して「馬鹿」を連発したりで昔「馬鹿野郎解散」が有ったが都知事では其れも無い、
全く苦労無く育ち23歳程度の年齢で芥川賞をとり国会議員となって来た人生では他人を慮ると言う様な感覚を持ち合わせていない様だ、
人には感情がある、それは理屈以前の物で自らが全て正しいと思うのは勝手だが相手も同じ様に考えている事を考慮するのが大人と言う者だ、
特に外交となれば文化の違いから思考方法の相違があり、国境に関わる問題は宗教問題と同じ様にデリケートな問題だろうが石原慎太郎と言う人物像を見るに「デリケート」と言う事と正反対に見える、本当にどうした物か

年齢を重ねると頑迷に成ってくる

2012-10-29 18:06:33 | 雑記
土曜日に日比谷公園で催されていた「都市緑化フェスタ」(少し違うかも知れない)と言う物を見に行って来た、
小さなガーデニングのコンテストの様な物もあって結構楽しむことが出来た、
会場の外れに陸前高田のブースが有って其処の若者と話をして来たが色んな所で写真やVTRを見ていたが実際に現地の人と話すのは始めてである、
写真を見ながら説明を聞いて本当に大変だと言う事が改めて思い知らされたのだが此れからどう復興していくかと言う事自体不確定な状況だと言う、
海岸から5km程度山側に寄っ他場所で更に土地を5m程嵩上げをして住宅地は此方に移し、現在までの市街地は漁業関連施設やその他の企業施設にする、そして更に退避用の構築物を複数儲け、8m以上の防潮堤で隔離すると言うのが市としての基本計画のようだ、
「此れは大変だね、早くとも後10年は掛かるな」と言ったら「そうです、しかし其れが今復興のネックになってしまって」と言う、
「今残っている年配の方達は後10年経ったら生きていられるか解らない、だから我々は今までの所に家を建てる」と言って勝手に立て始める人も出ているらしい
「我々の年代は此れから此処に安住したいし子供達の事も考えるとちゃんとした形で復興したいのですが」と言う、
更に彼らの話では「陸前高田は日本でも持ち家の率がトップクラスで其れも大きな敷地に大きな家を建てていたので今の仮設住宅の狭い部屋、そしてほぼ筒抜けに聞こえる隣家の声や音が非常に大きなストレスと成っていてこの不満も大きくなっています、
私達は何もかも流された境遇で家を用意して貰っただけでも感謝しているのですが、」と言っていた、
「歳を取ると人間が丸くなる」と言うのは自分も含めて中々そうは行かない、むしろ頑迷に成るのは確かだが彼らと話をして「ああ、此れならきっと大丈夫だろう」と感じることの出来た時間だった、
年寄りの頑迷さと言えば偶々その一日前の出来事である、自分が居ない時の話だから女房の話からかいつまんで書いてみると
夕方団地の月会費の集金に月の当番が来たのだが偶々一万円札しかない、当番がおつりを用意していたらドアの向こう側から誰かが話し掛けたらしい、女房は(おつりを数えているのだから用事が終えてからすればよいのに)と思っていたらしいが当番と話している内容が回覧板の事だったらしいと言う、何か置き方に文句を言っているらしいが当番の方は「其れは会長ではないですか」と言う話をしていたらしいのだがそれに関して何かその女性(隣の方らしいのはその後わかったが70代の女性である)が何か言ったらしいが女房には聴こえなかったと言う、その為におつりを貰って「ご苦労様」とドアを閉めようとしたらその当番の方が怪訝そうな表情をしたという、そしてドアを閉めたら隣の女性が今度はかなり大きな声で「押して知るべしよね!」と言って自宅のドアを閉めたという、
この話を聞いた時に「気にする事は無いよ、何時も回覧は朝だから静かに郵便受けに入れているし」と言ったのだがどうも気に成るので良く考えて見たらこう言う事ではないか、以下は私の想像だ
当番が集金に来た時に隣人は我が家に対して「回覧板の入れ方」について何か言いたかったのではないか、ドアは向って左側が開く、隣は向って右側にある、半分開いたドア越しに我が家と当番が話をしている所に隣人が我が家に向って話をしたとしても女房はドアの向こう側で見えない所だし最初に当番が受け答えをしていたので(終わってから話せばいいのに)と考え(我が家に向って話している)と言う認識は無かった、
しかし当番が答えたのに対して恐らく「彼方ではない、隣さんに話している」とでも言ったのではないか、しかし女房には聴こえなかったので当番に「ご苦労様でした」とドアを閉め掛けたので怪訝な表情になったのではないか
そして隣人にとって見ると「回覧板の入れ方に苦情を言っているのに聴こえない振りをしてドアを閉めてしまった」無作法の隣人となったのではないか、だから(そんな程度の人間ね「押して知るべしだわ」と言う台詞になったのだろう、
最初から会話が成り立っていないのだからどうしてもこうなってしまう、最初に当番の用事が住む所を待って改めて声を掛けたらこんな事には成らなかった、又そしてわが女房も「回覧板の話」だったと聞いた時点で(我が家に対してだな)と気付くべきだったし、当番も怪訝に思ったら「お宅に用事のようですよ」とでも言ってくれればもう少しまともな会話になったのではないか
隣人は70代後半らしい、此方も65である、人間は段々頑迷になると言うのを改めて思い知った気がする、が家庭円満の為に、女房には「お前は悪くない」と
言っておく事にする


武力を持って国際間の問題を解決する

2012-10-26 17:25:27 | 雑記
「フランシーヌの場合は」と言う歌が流行った事がある、新谷紀子と言う歌手が歌った哀愁のある歌で「3月30日の日曜日、パリの空に消えた命1つ」と言う歌詞だった、
この歌は「反戦歌」と思って居たが調べてみると「ビアフラの悲劇」の抗議が主だった様だと言う、
当時はアメリカによるベトナム泥沼戦争の最中でアメリカ国内も反戦運動が広がり、日本も其れをまねたヒッピーと言われる若者達が新宿の歌舞伎町に屯したりしていた
イージーライダーもこの頃か、閉塞感から若者が既成のルールの反対の行動を取って反抗し始めていた、日本国内の若者はそんな事を口にはしていても基本的には「かっこいい」から
同じ格好をしているだけの流行り者だった、其れも当然でアメリカやフランスの反戦運動は兵役の有る国の若者が厭戦感から始めた運動だから切実な問題だった、
反戦と言うのは「戦争反対」と言う事で基本的には日本国憲法に書かれている内容にある様に「国際間の問題を武力で解決しない」と言う事が基本だろう
しかし、この時期に起きた「反戦運動」は戦争に行きたくない、と言う言わば戦争の結果を避ける為の運動だ、現実的に銃を持って人を殺す事も自分が殺されるかも知れないと言う事も
重要な「戦争反対」の大きなファクターではあるが本来の意味で「戦争反対」と言うのは結果ではなくその原因にあるのではないだろうか
武力を持って国際間の紛争を解決しようとする、又は威嚇する、と言う事はするべきではない飽くまで外交努力で解決すべきだと言うのがほんとの意味で「反戦」と言う事だろう、この意味では日本国憲法第9条の文言は正しいと思う、
確かにそれでも有る国が武力を持って侵略するとしたら防衛しなければならないと言う事が日本が「自衛隊」と言う戦力を持つ理由になっている
此れは銃の制約をアメリカ人が反対する時に必ず言われる「法を遵守する良識ある国民が法を無視する犯罪者に銃を持って襲われた時何の抵抗も出来ないではないか」と言うのに似ている
しかし相手が侵略して来た時に防衛できる守備力と言う物は反面攻撃力でもあり侵略する事の可能な戦力でもある、対抗する国家間でこの武力を互いに積み上げてゆくと今の核爆弾の様な
愚かな結果となる、世界中にある核兵器は地球を数十回壊滅出来るだけの量に達しているのだ、その為に掛かるコスト、維持するコストもさることながら偶発的な事故が絶対に起きないと言う
保証も無いのだ、仮に宇宙線の中で中性子がある一定の量を超えると今安全装置をつけている核弾道は臨界になる可能性も理屈ではあるはずだ。
しかし人類の文化は各種各様でその違いを認める事はかなり難しい、互いの文化を押し付ける事無く認め合えばとは言ってもイスラム原理主義の様な極端な物は情報が飛び交う現在では
国内を不安定にしてそれを武力で押さえつけると言う様な事も見えて来ると「人道的にどうか」と言う様な事も起きる、経済格差も大きくなり先進国と言えども恐らく争いの火種は内包する
「戦争は嫌だ」と言う気分的な反戦ではなく「武力(暴力とも言える)」で問題を解決する事は結局また暴力でひっくり返ると言う事を理解すべきだと思う
又、憲法改正論が出て来たが戦争の放棄を削除すると言う事がその目標だとすると時代に逆行している様な気がする

光る風と反戦映画、

2012-10-25 17:36:05 | 雑記
昔読んだ漫画に「光る風」と言う作品が有った、「ガキデカ」で一世を風靡した山上タツヒコ氏の作品である、
この作品と同じ頃見た映画「ジョニーは戦場に行った」の印象が似ていたという記憶があったので少し検索してみた
「光る風」の発表が1,970年の4月で「ジョニーは戦場に行った」の方は封切が1971年であるところからすると実際に自分がこの映画を見たのはもっと後だった筈で何故この二つが同じ印象になって記憶されているのか解らない、
第一「光る風」は少年マガジンと言う少年向けの漫画だったが内容はかなりシビアな物で今だったらビッグコミック系の作品だ、
「ジョニーは戦場に行った」の方は確か反戦映画だったが両手両足を失い、全盲になったジョニーの若い性が重要なファクターになっていた筈でかなり印象は違う筈だがどう言うわけか自分の中では「良く似ている」のである
反戦映画と言う意味では「西部戦線異常無し」が似た様な印象が有る、未だに世界中に軍隊を送り込んでいるアメリカ
映画にこんな作品があり、其れが評価されていると言う事は確かにアメリカの懐の深さなのかも知れないが
未だに同じ様に国外に兵役民間人を送り込んでいる所を見るとその程度の批判なんぞ歯牙にもかけないと言う自信の現われかもしれない、
どだいあれだけの軍隊をアメリカの国家予算で賄っている所を見ればアメリカの経済を支えているのは軍需産業と武器輸出である事は歴然だろう、戦争は果てしない消耗である、食料品以上に「飽和状態」は戦闘がある限り無い、
アメリカの「大きなお世話」的な海外派兵は常にその消耗の火種を絶やさない為と思うのは考えすぎか、
今世界全体であらゆる武器の製造、保持、輸出を停止すれば恐らく中東も北アフリカもあんな悲劇的な状況には成るまい、
昔ながらの刀や棍棒の争いなら民間人が蒙る被害は経済活動程度で巻き添えの死などは有り様がない、非核三原則は「非武器三原則」に改めて国連憲章にでもすれば部族間の争いは両者の経済的疲弊で自然消滅するだろう、無論繰り返す事も有るが徐々に収まってしまうだろう
アメリカだけでなくECの中にも「死の商人」は幾つか有る、この数カ国が対立する勢力に武器を売りつけて互いに儲けを貪る
こんな状況を止められるのは日本が一番適任かも知れないが政治家が居ない今の日本に其れを求めるのは無理だろう、何しろ内政すら纏まらないのだから
「光る風」と「ジョニーは戦場に行った」と同じ様に私の中では「良く似ている」が比べて見ると全く違うと言う物にアンドレジードの「狭き門」と太宰治の「人間失格」が有る、此れも小説の持つ空気が重苦しいと言う位しか似ていないと思うのだが「人間失格」を呼んだ時に何年か前に読んだ「狭き門」を思い出して(なんか似ている)と言う印象を持ったのだった。
太宰治の本は暗い物が多いが今年の始め頃「青空文庫」で「斜陽」を読んでみたら意外とすんなり読めたのは年齢のせいかもしれない、
電子ブックを買って青空文庫に出会ったお陰で今まで読もうかと思いながら手を出し難かった本が読めるのはありがたい


自負できる己の価値は?

2012-10-24 17:51:04 | 雑記
橋下大阪市長の出自がいわゆる「民」だと言う連載を週刊朝日が載せ、それに橋下市長が抗議、即時に謝罪し連載を注視したという
同和問題と言う「タブー」に触れたと言う事らしい、
私の記憶には余りこの「民」と言う記憶は無い、言葉として「」とか「民」と言う言葉は聴いた事が有るが特定の個人で此処の出身者と言う人達の記憶は無い、
掛川市のある地域が固有名詞で呼ばれていて其処が「」だったのは知っているが其処に入ったところで特に変わった事は無いし普通に生活をしていた、確かに食用の牛や豚を殺す「」(今ではこの言葉は使えないらしいが)を生業にしているのはこの地域の人達だけだった様だが「民だからあんな仕事を」と言う物は皆無であの仕事は誰かがやらなければ成らないのは周知の事で余り気持ちの良いもんじゃないだろうに大変だね」と言う様な感想しかなかった、
東京生まれで東京育ちの女房に聞いたが「非民とかエタと言う言葉は知っているけど具体的に会った事も見たことも無い、知り合いからもそんな話は聞い事も無い」と言っていた、
自分がこの知識を得たのは藤村の「破戒」であり、白土三平の「サスケ」位である、全体中部以東には余りこの発想は無いのではないかと思う
東北でこう言う仕事に従事していたのは「山窩」と言う集団だが狩猟を生業として平地に住まいを持たない人達だが特に差別は無かった様だ、どちらかと言うと彼らが一般の人達との接触を嫌っていた様な印象がある、幕府の方も一般と違う扱いは年貢の免除と言う点位で身分制度のどの部分にと言う物は無かった様だ
陰亡と汚わい関連に多くの非民が居た様だがそれも血族と言うより仕事にあぶれた者達が最終的に落ちてくる様な者だったらしい
我々の年代でも生まれで貴賎が決まっている等と思う輩は層は居ないだろうと思って居たのだがどうも西の方はそうではない様だ、この考え方はおそらく東日本(沖縄と北海道は最初から無いようだが)の者には理解し難い気がする、
インドには未だにカーストと言う身分が有るらしいが日本では生まれで貴賎が決まると言う事は恐らくかなり昔から無くなっていたのでは無いだろうか
奈良時代から始まる日本の政治は「天皇家」と言う貴族が一党支配しているが実質彼らは飾り物でしかなく大化の改新から既に藤原一党が政治を握っている
その後武士の時代になると鎌倉・室町・江戸の覇者は元々農民の代表なのである、「お上の言う事は」と言うのも唯単に「強い奴ら」であって貴賎ではない
江戸時代士農工商と言う身分制度を敷いたというがそれ程はっきりした者ではなく結局一番下の商人が実質的に力を持っている、この世界は実力の世界で「百姓だから、大工だから商人になれない」と言う様な決まりは無い、江戸後期の大商人には引き売りから大きくなった者も多く居る
西日本に身分差別感覚が多く残るのは若しかしたら「京都=日本の中心」と言う考えに代表される貴族を頂点とする貴賎の考え方から一番下の平民が(こんな考え方もおかしいのだが)自分が最下層だと言う事を認めたくないが為に作ったガス抜きナのかも知れない、
余談だがイギリスで上院議員(此れも素晴らしく時代錯誤の呼び方だが)が警官を(平民が!)と言って辞職を余儀なくされたがあの国も少々情けない話だな、
肌の色では飽き足らず、出自で自らを上位の者だと考えるというのは自分の人間的な価値をその程度だと言っているわけだろう、「出自と肌の色以外彼方の自慢できる物は何?」と
面と向かって聞いて見たらどう言う返事が返ってくるのだろうか