梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

青山のトランプ

2018-10-31 11:24:11 | 雑記
こんな記事を見た
「近隣の反対で保育所が増やせない」と言うのだがその理由が信じられない、
青山に30人程度の保育所を申請したら地域の反対が有って断念したと言う
その理由が
「青山に相応しくない」「嫉み、妬みの人間に来てほしくない」
更には「青山のブランド価値が下がる」と言う、
青山に保育所が有るとブランドが下がる?
第一住まいとしてのブランドと言うのはどう言う事だ、
住宅としての快適性と言うなら「人気地域」と言うのではまあ納得できる
利便性、安全性、環境性等々はそれ自体がその地域の「居住地価値」と言うものだろうが
「ブランド」と言うのはどう言う事だ?
ブランド
【英】brand
商標ともいい、企業が販売または提供する商品やサービスについて、他企業や競争相手と区別するために使用する名前、象徴、デザインなどをいう。購買行動において、ブランドは商品の信頼性や品質を保証するものとして、大きな選択要因となっている。ブランドには全国的に販売ネットワークをもっている大規模メーカーのナショナル・ブランドと、小売業などの流通業者がつけるプライベート・ブランドおよび、ファッション商品を中心としたデザイナーズ・ブランドがある。ブランドをつけないノーブランド商品というコンセプトもある。
商標が語源だ、ブランドが下がると言う事は住んでぢる地域は商品と言う事だが
それ以前に「保育所が来ると商品価値が下がる」と言う事自体的外れだろう、
本来住環境には子育てに優位だと言う部分もかなりのファクターを占める、
この連中は子育てをしないと言うのだろうか、
或いは「自分で育てるから、お手伝いを雇うから」とでもいうのか、
確かにそういう連中は今風に「セレブリティ」と言う事かもしれないが今の様に子供の世界が崩壊している状況では幼児期に社会性を学ばせるのにはかなり重要性がある、
もっとも親の社会的地位を持ち込んだら園児の中にヒエラルキーが出来てしまうのは逆効果だがそれは園の方針で排除できる、
自分が支配層に居る、資産層に居る、その他の庶民とは違うから排除すると言うのは
ドナルドトランプと共通点がある、
今の世界は10%以下の資産家が残りの層を支配していると言う貧富の差、分断化がどんどん広がっている様だ、
10%の人間は世界の90%を知らないと言う事を理解しなければならない
江戸時代が良かったと言う気はないが少なくとも江戸末期の金持ちはその分品格が高く、
資産、地位と品格は比例していたような気がする、
品格の無い者は「3代で家督は潰れる」と言うのが「妬み嫉み」ではなく通用していた
がこの記事を見ると「資産地位と人間としての品格は反比例する」としか思えない
世界的に知られている超資産家はそれなりに社会貢献もしているがトランプの様な新高資産者は見た通り鼻持ちならない、
日本も明治維新以降に成りあがった連中は安定保守を取ってから更に人間の品格は落ち続いている、
まあ金の無い者が言えば「妬み、嫉み」であり「ひかれ者の小唄」と言う事になるかも知れないがこのまま黙って大人しい羊では何処かで崩壊する、
大人しい羊にも牧草たっぷりの牧場と雨露を凌げる小屋は必要だ、牧草地が痩せこければ羊毛は痩せて最後は餓死する、
政治もそうだがこんな愚かなセレブリティーは非常識な愚か者だと言う事を声を上げて言いたい

洗足池

2018-10-30 17:27:21 | ぶらり
運動不足につき時間が出来たら歩く事にしよう
久しぶりに洗足池に行ってみる、
随分昔花見に来た事がある、
20代の頃だから40年以上前、貸しボートの建物の上がビアガーデンになった事が有る
見晴らしが良いし涼しいのだが見事に蚊に食われたので一度だけ
50代は孫がここの保育園にお世話になっていたのでその頃は良く迎えに来ていた
勝海舟が気に入って晩年は此処に住んで墓も此処にある
とてもいい季節だがわざわざ来るところでもないのだろう
子連れの若い女性かリタイアしたらしい男性位で静かな公園だ


蒲の穂が有る、昔は六郷付近この蒲が自生していたので「蒲田」と言う名前になったそうだから昔は多分多かったんだろうな


こちらは日蓮上人の像、足を洗ったのは上人だったか覚えていない



寺の名前をとって来るのを忘れたが雰囲気の有る竹林がある





未だ2時半だが妙に夕方の雰囲気だった


何かやなニュースばっかりでブログも荒んだ話ばっかりなので散歩

ちまちまと歩き回る事にしよう




南原宏治の無法松の一生

2018-10-25 11:26:15 | 雑記
南原宏治と言う俳優が居た、
かなり個性的な役者だが自分が見たのは「無法松の一生」だけだ、
無法松の一生は何度も映画化されているが三船敏郎と勝新太郎が知られている、
しかし自分が見たのは確か南原宏治だった、
調べてみたら彼の無法松はテレビだった様だが、劇場で見たような記憶になっている、
モノクロ画像で腰を低くして笑う富島松五郎はどうしても南原宏治なんだが
祭り太鼓を打つ松五郎はどう言う訳か三船敏郎の絵になってしまう、
多分村田英雄の「無法松の一生」でジャケットに使われたりカラオケで出るがそのせいなんだろう、
「度胸千両いり」が歌いたいがこれは難しい、友人が絶品だったのだが10年以上前に亡くなってしまった、
南原宏治の無法松は全く違うのだが多々羅淳に似ていると言う印象があった、
確かめても全く違うキャラクターなんだが眼付きなんだろうか?
多々羅淳は10代の頃舞台公演の「山城国一揆」で初めて見た、
ミュージ南原宏治と言う映画俳優が居た、
カルと言うものを見たのはこれが初めてというより舞台芝居を見たこと自体これが初めてだった、
当時日立製作所のブルーカラーだった私は労組が福利厚生でやっていた「労音」で楽団や公園をよく見ていてその中で見たのだがそれから暇を見つけてみるようになった、
楽団はラテンバンドが主で「有馬徹とノーチェクバーナ」とか「東京キューバンボーイズ」だった、
考えてみるとソロ歌手と言うのは見た記憶はないが落語んかもあったな、
今はこの手のバンドは殆ど無くなった、
20代後半からはジャズに傾倒し聴きに行くのはジャズバンドだから小さなライブかクラブで行き付けだったのは自由が丘のファイブスポットだったがとなりのビルの3階に「カンツォーネ」と言う店が有って女性と行くのはこちらが多かった、
グランドピアノと歌手のライブ演奏で良い雰囲気だったが今は無い様だ、
最近は区の催しで能とか狂言、人形浄瑠璃なんか昔見なかったものを夫婦で見ている
最近はもう一度ジャズでも聞きに行こうかと考えているのだが中々行かないな

孫の就職が決まった

2018-10-24 13:03:49 | 雑記
昨日孫から電話が来た、
この孫は今高校3年生、来年卒業して社会人になる、
都立の工業専門校は12科目の教科があるがその内5段階評価で5が3つある、
所が2も3つある、平均を出してみたら3.33と言う数字が出た、
内容を見てもどうしてこうなるのか良く解らないが本人は気にしていない様だ、
で、電話の内容は「じじ、就職が決まった」と言う、
この学校はインターン制度を取っていて2年と3年は3か月間づつ企業研修がある、
そのままそこを希望して試験を受けていたが「今日合格の通知が来た」らしい
これで娘の子供は二人とも社会人になる、本当に時の経つのは早い。
先日の日曜日に会ったのは息子の子供で未だ小学6年生だ、
娘の子供達は近くにいた事と娘としては母親の方が楽なのでおむつ時期からほゞ毎日来ていたので充分楽しませてもらっていたのだが息子の方は嫁さんの実家近くにいる事もあり年に一回位しか来ない、
そのおかげで本当に可愛い孫と言う奴を久しぶりに味わった、でももうあと半年くらいだよな、可愛いのも
子供の最高の親孝行は可愛い孫を見せる事だなと思いながら、(子供の出来ない人達には無神経な話かもしれないな)とも思う
因みに高校生の孫はしっかり「就職祝いにパソコンを買って」と言われたがまあそれも祖父祖母の楽しみか、
上の孫は23になる、「曾孫か?」と言ったら女房は「連れて来る訳ないでしょ」と言われたが少しは抱かせてもらえるんじゃないかと今から楽しみにしている

日々是好日

2018-10-23 09:42:35 | 雑記
映画の宣伝で「にちにちこれこうじつ」と言う言葉が頻々と流れる、
日々是好日と言う言葉はずっと「ひびこれこうじつ」と読んでいたので違和感がある、
ググってみたら「にちにち・・」が正式な言い方だそうだがなんか納得できない、
Wikeを見たら「一般的には“ひびこれこうじつ”と読まれているが“ひびこれこうにち”とも言う、
と書かれている、
今まで幾つかの音曲や映画、小説にも何度も出ているがその際は「ひび・・・」である
まあ間違いではないし本来漢語で禅の言葉に有るものらしいから日本語で読むのはどう読んでも構わないのだろうが今まで「日々是好日」と書かれていると「ひびこれこうじつ」と頭に流れる、
だから「にちにちこれこうじつ」と流れてくると自分にはかなり違和感が有る、
確か武者小路実篤氏の絵と賛にも有ったがやはり「ひびこれこうじつ」でないとしっくりこない、
「仲良きことは美しきかな」と茄子の方が多いけど、
ワープロでも「ひびこれこうじつ」で一発変換する、もっとも「にちにちこれこうじつ」でも出るけどね
達磨大師の言葉らしいが「面壁八年」と「日々是好日」には妙な違和感と妙に納得する感じがある、
面壁八年の後悟りを開いてその後は「日々是好日」だとすれば本当の悟りかもしれない
どんな状況でも「日々是好日」であると言う事なら素敵な悟りの境地かもしれない、
人生全て塞翁が馬の「塞翁」は悟りの境地とも言えるがそれを積極的に捉えるとこうなるのかもしれない、
我が人生、残りをこんな境地で生きていければと思うが女房は「冗談じゃない」なんだろうな、