朝6時前に外に出た、風は少しあるが雲はほとんどない、その風も少し冷たいが震えるほどではない、この時間になると周りの様子もしっかりわかるくらいに明るくなっている、
何とは無く(ああ、春が近いな)と言う感じがする、まだ明けないが「春はあけぼの」と言う枕草子の一文が浮かぶ。
遅い朝食を済ませて女房を誘い、池上の本門寺梅園に出掛ける事にした、タブレットで花の情報を探して居たら梅と福寿草が出ていた、しかしそこそこ離れているしいい天気だから混むだろうと手近にしようと言う話になった、
本門寺なら住まいからバスと電車を使って1時間もかからない、池上駅から本門寺参道と書かれたアーケードをくぐって細い路地を進み山門前に行く、20年くらい前は随分来ていたのだが車を使わなくなってから殆ど来ていない、ちょっと昭和レトロの参道と言うか商店のような道が突き当たると右の角は昔からある葛餅のお店、反対側はこれこそ昭和の店と言った感じの酒屋である、此処を左に曲がれば呑川の橋を過ぎると正面に本門寺の石段が見える
しまった、回転し忘れた
全くやる気のなさそうな煎餅屋の先を寺に沿って進むと狭い路地に大変な人がいる、登を見ると「池上町おこし」と書かれている、都内なのに「町おこし」をしないとならないと言うのが少し驚い他のだがそれ以上に人出の多さにもっと驚いた、イベント広場を通り過ぎて4~5分程度で池上梅園なんだが既に大変な混雑ぶりだ、「これは凄いな」と言う事で入り口からUターン、来た道を戻る事にする、
一人でやっている会社だから平日に来ようと言う話をしながら戻る、イベント広場の少し手前の寺に枝垂れ梅らしい花が咲いていたので写真を撮って来た
方丈を入れたかったが幟がじゃまで庫裡の窓が目立たない、
橋を渡ると本門寺の墓地管理をしている石材屋がある、墓石の見本がいくつか並んでいるので値段を見たら一番小さなやつで50万、一番高額なのは200万だった、すべて黒御影で昔ながらの墓標ではなく
横幅の広い外人墓地の様なデザインだった、日本的は墓は廻りの柱や敷石は別値段なので墓石の価格の倍にはなると聞いたが洋風な奴はこのまま立っているんでそのままなんだろうな、まあ我々夫婦はマンション墓を買ってあるんだが二人で「へ~」と何だか解らない関心をして眺めてきた
駅に向かって歩いていたら覚えのある名前の店があった、かれこれ40年くらい前に少し離れたところにあった洋食屋「楡の木」と言う店が有って20代の悪ガキが遊びに行くときに集まって食事をしながら計画を立てて終えるとそこの店で食事をして解散すると言う処だった、しかしこの店は釜店屋だ、しかし一度「楡の木」がひらがなの「にれの木」になって釜飯を主にした店になったと聞いた記憶がある、
あまり釜飯が好きではない女房を口説いて入ってみる事にした、出てきたのは娘よりかなり若い、(違うか)と思ったが念のため聞いてみたらやはり同じ店だった、キッチンから顔を出したマスターの顔を見てもほとんど面影がない、が向は覚えていた、「懐かしいよな」」と言う話をしたがすぐに16人と言う客が入って来たのでそのまま店をあとにしたのだが、まあお互いに年を取ったものだ、当時は美男美女の夫婦だった分感じが分らなくなった、その点こちとらは不細工の部類だからそうは落差は無い分面影が分ったんだろうな、
共通の知り合いが何人か他界しているのは仕方ない、悪童連中も含めてまた来ておこうか
何とは無く(ああ、春が近いな)と言う感じがする、まだ明けないが「春はあけぼの」と言う枕草子の一文が浮かぶ。
遅い朝食を済ませて女房を誘い、池上の本門寺梅園に出掛ける事にした、タブレットで花の情報を探して居たら梅と福寿草が出ていた、しかしそこそこ離れているしいい天気だから混むだろうと手近にしようと言う話になった、
本門寺なら住まいからバスと電車を使って1時間もかからない、池上駅から本門寺参道と書かれたアーケードをくぐって細い路地を進み山門前に行く、20年くらい前は随分来ていたのだが車を使わなくなってから殆ど来ていない、ちょっと昭和レトロの参道と言うか商店のような道が突き当たると右の角は昔からある葛餅のお店、反対側はこれこそ昭和の店と言った感じの酒屋である、此処を左に曲がれば呑川の橋を過ぎると正面に本門寺の石段が見える
しまった、回転し忘れた
全くやる気のなさそうな煎餅屋の先を寺に沿って進むと狭い路地に大変な人がいる、登を見ると「池上町おこし」と書かれている、都内なのに「町おこし」をしないとならないと言うのが少し驚い他のだがそれ以上に人出の多さにもっと驚いた、イベント広場を通り過ぎて4~5分程度で池上梅園なんだが既に大変な混雑ぶりだ、「これは凄いな」と言う事で入り口からUターン、来た道を戻る事にする、
一人でやっている会社だから平日に来ようと言う話をしながら戻る、イベント広場の少し手前の寺に枝垂れ梅らしい花が咲いていたので写真を撮って来た
方丈を入れたかったが幟がじゃまで庫裡の窓が目立たない、
橋を渡ると本門寺の墓地管理をしている石材屋がある、墓石の見本がいくつか並んでいるので値段を見たら一番小さなやつで50万、一番高額なのは200万だった、すべて黒御影で昔ながらの墓標ではなく
横幅の広い外人墓地の様なデザインだった、日本的は墓は廻りの柱や敷石は別値段なので墓石の価格の倍にはなると聞いたが洋風な奴はこのまま立っているんでそのままなんだろうな、まあ我々夫婦はマンション墓を買ってあるんだが二人で「へ~」と何だか解らない関心をして眺めてきた
駅に向かって歩いていたら覚えのある名前の店があった、かれこれ40年くらい前に少し離れたところにあった洋食屋「楡の木」と言う店が有って20代の悪ガキが遊びに行くときに集まって食事をしながら計画を立てて終えるとそこの店で食事をして解散すると言う処だった、しかしこの店は釜店屋だ、しかし一度「楡の木」がひらがなの「にれの木」になって釜飯を主にした店になったと聞いた記憶がある、
あまり釜飯が好きではない女房を口説いて入ってみる事にした、出てきたのは娘よりかなり若い、(違うか)と思ったが念のため聞いてみたらやはり同じ店だった、キッチンから顔を出したマスターの顔を見てもほとんど面影がない、が向は覚えていた、「懐かしいよな」」と言う話をしたがすぐに16人と言う客が入って来たのでそのまま店をあとにしたのだが、まあお互いに年を取ったものだ、当時は美男美女の夫婦だった分感じが分らなくなった、その点こちとらは不細工の部類だからそうは落差は無い分面影が分ったんだろうな、
共通の知り合いが何人か他界しているのは仕方ない、悪童連中も含めてまた来ておこうか