梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

テレビ界の常識は世間の非常識

2023-03-30 10:04:28 | 雑記
オードリーの春日がペンギン池に故意に落ちたことに対して園から苦情がでて局が謝罪すると言う事件があった、
この事に対してカンニングの竹山が「駄目だと言う事をやるから面白い、世知辛い時代になった」と言って批判を浴びている
テレビ放送の笑いは”駄目だと言われることをやって見せるから面白い“と心から思っているとしたらそれがテレビ衰退の根源だろう、
多くの人は「非常識極まりない」と思っているしそんな番組を見たくないと思うだろう、
今問題になっているバカッターと言われるSNS迷惑動画の根源そのものだ、
次々現れるUpの理由はすべて「注目を浴びたかった、バズリたかった」と言う事だ
迷惑系ユーチューバーで有名な「ヘズマリュウ」とやらもだんだん過激になって結局威力業務妨害で逮捕されるようになった、
今話題のガーシーも名誉棄損や脅迫罪で逮捕状が出ている、
これらの事は恐らくテレビのお笑いと言う訳の解らない芸ジャンル人と放送界が生み出した「常識・ブーム」が根底にあるんじゃないか
小さいころからテレビ番組で人に迷惑をかけることは面白い事で笑ってもらえれば許される事、更に有名になって金ももらえると言う事が彼ら世代の常識になったのではないか、
TV放送は狭き門だがSNSなら簡単に発信出来て、且つ今では商売になってしまう
竹山の擁護を放送界から「我が意を得たり」と言う意見も出ている様だがあんたがたは世間とはずれた常識を持っている、
殆どが法的には民事訴訟の可能性のある事象で、「行き過ぎだ」と抗議しそれに真摯に対応したら「世知辛い」と言うのは世間一般では通らない、
だからSNSでは厳正に対処すると言う事に踏み切った、違法は違法で面白いでは済まされる問題ではない

自己嫌悪

2023-03-29 10:00:53 | 雑記
先日、確か土曜日の夕方帰宅の為に小雨の中でバスを待っていた
始発バス停から一つ目の停留場で自分の外に同じくらいの女性と男性が待っていた
バスが来たが結構込んでいて椅子は空が無かった、
(そのうち降りるだろう)と思いながら乗り込んだら降車口近くの母子が立ち上がった、
小学生の高学年くらいと未だ2年生くらいの子供二人も立たせた、
その時は自分に席を譲るために立ち上がったとは思っていなかったが考えてみれば一つ目のバス停で降りると言う事はあまり考えられない、
しかし空いたので遠慮なく座らせてもらったら今立ち上がった子供の小さい方が大きく腕を振って何か小声で言っている様だ、
それも2度、3度と繰り返す、気になったのでそちらを見たら目が合ったがどうやら私に向かって小声で何か言っている様だ、
内容は聞き取れなかったが恐らく「有難う位いったらどうだ!」いった趣意だと気が付いた、
確かに席を譲られて無言で席について知らん顔と言うのは不快になるのは理解できた
しかし、タイミングを逃して改めて礼を言う事が出来なかった、若い母親も止める気配はなかったので同じ気持ちだったのだろう、
(礼を言おうか、それとも席を立つ方が良いのか、それは余計に不快にさせるだろう)
この家族は次のバス停で降車していったがその間は針の筵だった、
酷い自己嫌悪は私を責め続けた、この夜は明けた迄嫌な気持ちが続き夢にまで責められた
なにかに責められ、最初は列車で、車を運転して何処かに逃げて、自転車になり裸足で川か池の中を逃げた、
翌日団地の住民総会があったが皆高齢になって当番役員が出来なくなったうえに若く健康でも拒否する住民が増えて少々紛糾した中で若い住居者と衝突してしまった
(余計な事を言わなければよかった)と言う気持ちと論理的に話をまとめられなかった自分に又落ち込んでしまった
自己嫌悪は連鎖して自信を失い考え込んでしまう、
(もしかしたらこれが老人性の鬱じゃないのか)とまで思うと更に陰々となって来た
かみさんに気取られない様にと思うと余計に不自然になる
幸い仕事が出来る環境が有るので事務所に行ったら何件かの電話が入って気がまぎれる
自分には鬱なんて関係ないとは思っていたが仕事を辞めたら危なかったのかもしれない


アカシアの雨に打たれて

2023-03-24 15:08:28 | 雑記
家の近く、路地裏に「ミモザ」と言う店が有る、
黒塀の様な色の荒削りの扉に黒板が下がっていて今日の抓みだろう料理名とボトルの価格が書かれていて下の隅にやはりチョークで「ミモザ」と書いてある
毎日前を通るのだが家に戻ってシャワーを浴びると又出てくることもなく一度も入ったことは無い、
此処に住んで10年以上たっているが誰とも顔を合わせていないのでどんな人がやっているのか解らないが勝手に(結構な年齢の女性がやって)るんじゃないかと想像している
ミモザと言うのはたしか「アカシア」の事だったと思ったので最近はやりのBingでちょっと調べてみた
モザとアカシアとニセアカシアは、それぞれ違う植物です。
ミモザはピンク色の花を咲かせるオジギソウの仲間で、葉に触るとお辞儀をします。

アカシアは黄色いポンポンのような花を咲かせるマメ科の植物で、葉に触ってもお辞儀をしません。

ニセアカシアは白い蝶のような花を咲かせる北米原産のマメ科の植物で、寒さに強く、「アカシア蜂蜜」の原料になります。

ミモザはオジギソウだと言うからねむの木の一種でアカシアは黄色の花を咲かせる低木で東南アジア原産で関東以北は育たないらしい
歌で知られる札幌のアカシア並木はニセアカシアで白い花を咲かせると言う、
確か何処かで聞いたと思って「アカシアの花の天ぷら」を聞いてみたらこれも
ニセアカシアの方で房のままの花を軽く揚げて食べると言うが本物のアカシアの方は毒性が有って食べられないらしい、
ついでに西田佐知子の「アカシアの雨がやむ時」と言う歌を聞いてみた
「アカシアの雨に打たれて、このまま死んでしまいたい、
夜が明ける、陽が上る、朝の光のその中で冷たくなった私を見つけて、
あの人は涙を流してくれるでしょうか」
この歌詞のシチュエーションがどうもわからなかったがこの歌は恋の歌ではなく「パリに死す」と言う小説の中の話だそうだ
夫婦でパリに住むことになった女性はそこで肺結核を患い、自分の命があとわずかだと知る、
その時夫に昔の恋人から連絡が有ったことをしりこの歌詞になったらしい
歌詞の「アカシアの雨」もアカシアの並木に降る雨ではなくアカシアの白い花びらが雨の様に散るさまを言うらしい、
街路樹のアカシアの花が雨の様に散るさまと自らの命を重ねたものらしいが最後の歌詞は残す娘の幸せを祈る歌詞になっている
もう一度あの歌を聞いたら恐らく違った印象になるのだろうな
そして「パリに死す」にもちょっと興味がわいた


春爛漫

2023-03-22 09:30:52 | 雑記

大森と蒲田を結ぶ東邦医大通りの街路樹は陽光桜と言うピンクの桜が植えてある、
染井吉野より若干早く満開になるが今年は今週初めから咲き始めて今が満開だ、
道路にはそろそろピンクの絨毯が敷かれ始まった、
今日の気温は20度を超えるらしい、
先日息子から電話が有って「昼飯を食おう」と言って来たのでどんな服装で出掛けたらいいかとかみさんが悩んでいる、
息子は一昨年離婚して丁度高校に入学する息子は解れた嫁さんが連れて行った
50を過ぎて男やもめになったかと思ったらなんと1年も経たないで再婚をした、
彼女と来ると言うので時間を空けていたのだが昨日女房に電話が有って「息子も一緒に来る」と言う
確かに「息子にはちょくちょく会う、ジジババにもあわせるから」とは言ってはいたが内心(あまり会う事はなくなるんだろうな)と思っていたのだが本当に全く屈託は無い様だ
別れた父親が1年足らずで別の女性と結婚してその女性と父親と一緒に来ると言う事がどうも自分の中では理解しずらいが良い親子関係なんだろう、
人も街も春爛漫である


映画の東宝に務める事、漂泊の始まりだ

2023-03-19 15:38:44 | 漂泊の記
ホンダを辞める事を決め、荷物を運びこんだ寮でまた新聞でこれまでと違う仕事を探す
まず住めるところが無いと困るので住居有りを条件にさがした、
今度は東京の西外れ、大田区久が原と言う所の「東宝食品」と言う会社のルート配送の仕事に就いた。
会社は映画の「東宝株式会社」の子会社で劇場映画館のアイスクリームの製造している会社だった、
有楽町の小さなビルに営業部が有って工場は久が原だが何方が本社登録だったか覚えていない、
住まいは工場の近くでアイスクリームを積み込むと有楽町の事務所に行ってから配達をする、
当時は映画全盛時代で日比谷一帯は多くの映画館がひしめいていた、
有楽町駅の新橋寄り出口を出て晴海通りを日比谷公園側に少し行った最初の信号を渡りその道を進むと円形の塔がある映画館が日比谷劇場、007は此処に掛かった、
路地は斜めに右方向に曲がると大きなエントランスのある映画館が「有楽座」だ
此処には「マイフェアレディ」とか「キャバレー」とか珍しいソヴィエト映画の「戦場」や「カラマーゾフの兄弟」なんかが掛かった、
その先は東宝作品専用の「千代田劇場」、その先の道は「ゆき通り」向こう側は帝国ホテルある、
左に曲がると「みき座」とその上に「芸術座」がある、
みゆき通りを真っすぐ行くとガードをくぐり左に泰明小学校がある、
駅の南側は「日劇」の丸いドーム状の建物がある、「ウェスタンカーニバル」は日劇だった、
その上には「日劇ミュージックホール」と言うレヴユーの踊り子には「あき竹城」も居たそうだが当然そのころは知らない。
日劇の地下には食堂や酒場が有ったが更にその下には劇場の食堂があって自分達は東宝の人間なのでそこで時々昼飯を取ったがミュージックホールのダンサーが三角形のスパンコールと乳首にふさをぶら下げて飯を食っていたのに最初はかなり驚いた
何しろ22~23の健康な男である、脂粉の臭いと豊満な女性の肉体に囲まれては食い物の味も良くわからなかったが何度か行くとそれも慣れてしまうものである、
東宝は劇場だけではなくレストラン関係も多く経営していた、
東宝アイスクリームと言うブランドで「24種のアイスクリーム」と言うのがうたい文句で山手線の駅前に「東宝パーラー」と言うアイスクリームパーラーを経営してたがこれは東宝食品株式会社ではなく「東宝食堂」と言う会社が経営をしていた
有楽町界隈にイタリアンレストラン「リベラ」とか「インドネシア・ラヤ」と言ったドライ関係は「東宝殖産」と言う会社が経営をしていた
それまでの生活とは全く違った職場で水を得た魚が如く、勝手気ままないいかげんな人生の始まりである