昭和30年代、田舎の村には食堂と言うものが存在しなかった
中学の2年生になった時中学校の近くにある村の診療所前のバス停近くで雑貨から調味料、パンなどを売っていた大島屋と言うお店が食堂らしきことを始めた
その頃町に就職をしていた姉が何かの用事で私に会いに来た時にこの店で初めて店屋物と言うやつを食べた
14歳にもなって初めて食べた店屋物は親子丼だった、
家では丼物と言う調理をしたことが無かったので(その頃自分は親父と二人暮らしだったので夕飯は仕事だった)
(これは旨いもんだな)と感心をしたが家には丼と言う器が無かったのとフライパンと合う蓋が無かったので作ったことは無かった
親子にするには鶏肉が必要だが肉屋さんのない村では隣の卵鶏が引退した時くらいしか手に入らない、丼(の頭だけだが)は卵丼となった
働きに出て日立の寮に入り外食自体は遊びに行った時くらいだが手取り6千円台の給料だとやはり卵丼、偶に奢ってお親子となる
当時の(今でもか)丼物ヒエラルキーは卵丼→親子丼→かつ丼→天丼である
これが蕎麦饂飩になると掛け→おかめ→月見・たぬき・きつね→天婦羅か五目だったが腹にたまるのはやはり飯だ
親子までは行くが中々かつ丼には行けない、ましてや天丼の2匹盛なんかは日立を辞めてからも殆ど選んだ事は無い、
余談だが浅草の天丼は大黒屋が有名だが私は十和田の方がすきだ
かつ丼と言えば取締室で出されると言うのが伝説だが私は見たそのドラマは事が無い。閑話休題
その後東宝に変わってから外廻りが多く外食オンリーになったのと多少懐具合も良くなったのでかつ丼も選択肢に入れられるようになったが外廻りの先が洒落たアイスクリームパーラーや喫茶店なのでスパゲッティか定食となりカツライス、ハンバーグライス、フライ定食かカレーとなってやはりかつ丼は現れる事は少なかった、
その頃は他人丼(開化丼)とか中華蕎麦屋では中華丼とかもあったが基本洋食形になる、
その頃カツはサンドウィッチが多くなる(新幹線のまい泉は旨い!)、コンビニで総菜パンが増えるとドックブレッドにハムカツを挟んだ「カツパン」が出始めてどちらかと言えばこちらの選択が多くなった
総菜屋、今は洒落てデリカと言う所が多い、カツの種類もビーフ・チキン・とんかつもヒレとロースと選択肢がおおいのだが最近多くの店が「厚切りハムカツ」を置くようになった、
これが結構いける、並べてミルフィーユタイプもあるが自分は断然分厚いやつだ、東急ストア、ヨーカ堂、西友、オリジンと近場で一通り食べてみたが写真は西友のもの、これが一番合って居る、
豚以外が結構ありそうなチープな感じがいい、 (違ったらごめんなさい、印象です)
千切りキャベツととんかつソースでかぶりつくのが絶妙なんだが基本的には高齢者はあまり喰ってはいけない部類の様だがこの間の血液検査で異常が出なかったからOKだとしておこう
しかし、分厚かろうとミルフィーユであろうとハムカツ丼は絶対に合わない事は保証する
私が保証しても仕方ないが、やはりサクサクのパン粉ごとかぶりつくのがお勧めである