法人税を段階的に下げる、其れによって起きる法人税の減収は外形課税で埋め合わせると言う、外形課税とは赤字の企業にも一定額の税を掛けると言う事らしい、円安と株高で利益が出て居るのは大手企業と金融業界に商社だ、日本の雇用を支えている下請けを含めた中小企業の大半は赤字だ、それもバブル崩壊から10年以上に渡る不景気で借入で乗り切っている企業が殆どだろう、その返済も滞りつなぎ融資と言える様な見通しは無い、それでも借金と切り売りで次に夢を託して頑張っている、しかし決算上赤字でも税金を払えと言われれば多くの中小企業は倒産するだろう、金利が低いと言っても銀行では決算書を見て融資を行う、今利益が出なくても何とか乗り切ればと言ってもそれは先の見通しを立てた事業計画が無ければ融資を得る事は出来ない、それ以上に借金を返す為の借金や税金分の融資など全く無理な話だ、
超がつく大手企業は内部留保を増やし従業員に廻す事はしないだろう、何時でも整理できる派遣社員で現在をやりくりし、円安によるコストは下請けに押し付け更に内部留保を増やし続ける、「企業は人なり」」と言うのは経営者の事を言っているのではない、実戦部隊の事だ、派遣社員の比率を上げ続ければいずれは会社の人的資源は枯渇する、法人税が海外競争力を阻害すると言うのは海外と対等に戦える体力のある会社に言える事でぜい肉を落としてスリムにした企業などと言う事は結局筋肉も体力も無い痩せこけた企業になると言う事が何故企業トップに理解されていないのか解らない、
資産の二極化は企業のみならず個人にも広がっていると言う、日本人個人資産総額の8割は2割弱の個人が持っていると言う統計が有る、個人資産総額に一定の割合を掛けた税率なら恐らく国債に頼る国家予算もかなり改善されるのではないか、しかし所得税を下げ消費税にウェイトを移せば個人資産総額の8割を持っている人間が総税額の2割しか負担しない事になる、法人も利益に掛っていた税率を下げてその分を利益が無い多くの企業に負担させると言う事は憲法にうたわれる「平等の責任と平等の利益」に反して居る、税の負担は「税金」と言う様に金額で有る以上資産に対して公平に掛るべきで個人の頭割ではならないだろう、
自由経済は個人の努力の結果に平等だと言う政治家がいた、確かにどういう方法でも非合法でなければ努力しただけの結果を得る事が出来る建て前には成っている、しかしそれは資産が有る程度平等であると言う前提と言う条件があるだろう、此れだけ貧富の差が付いていし舞ったら決して平等の競争だとはいえない、現在の日本を牛耳っているのは官僚と政治家、そして持ちつ持たれつの関係を持っている産業界だ、貧富の差はさらにこれを強固にする
官僚になるには多くの努力をしなければならない事は良く聞く、しかし努力しようにも世の中のシステムは金が無ければ門前にも近寄れない、小学に入る前から多くの金をつぎ込んで無ければ高級官僚や経済界トップの条件と言われる東大や京大には入れる訳もない、
医者が足らないと言っても入学金と協力金が数千万の医大になど普通のサラリーマンや商店主、農家(此処には有るかもしれないが)がなれる訳もない、そしてこの格差は更に広がって行く、この格差はリセットしなければ何時か革命前夜になるだろう、「所得課税」ではなく「資産課税」に行くべきだろうと私は思う
この歌は20代の早い時期に流行った、調べてみたら1969年とあったので21歳の時の歌だった、友人からサニークーペを借りて旅行雑誌で見つけた西湖までドライブした事が有る、この時にカーラジオから流れて居たのを思い出した、
メロディーが退廃的な感じで好きだったのだがその歌詞はなんとなく違和感が有った、母の有る普通の人がなんでこんな事を考えるのか解らなかったし、(馬鹿な歌詞だ)と思っていた、何しろ自分はずっと前に「母の無い子」になっていたし17歳からは「両親の無い子」でもあった、まあ「子」と言う歳でもなかったが少なくとも母親を亡くした時は10歳だから「子」と言えるのではないか?
母の無い子だからと言って大きな声で叫んで”見た事は無いし、普通の子が叫んだってなんの問題も無いだろう、「だけど心は直ぐ変わる、母の無い子になったなら誰にも愛を話せない」と言うのも当時は(妙な話だ)と思っていたが今の年齢になってこの歌を聞いた時、(「誰にも愛を話せない」と言うのは若しかしたらそうなのかもしれない)と感じて来た、
母のある子と無い子を同じ人間が経験してみると言う事は出来ないから単に性格の問題ではないかとも思うのだが多少は(影響が有ったのかな)とも思う、
15歳から家を出て働き出したが1年も経たないうちに親父は姉の処に住む事に成りその翌年には脳溢血で倒れ意識が戻らないまま他界した、中学を降りて最初に付いた仕事は名古屋で住み込みの仕事だった、近くにアパートを借りてあったが先輩と同室で食事も風呂も社長の家と言う言わば丁稚奉公である、
その後上京し大手電機会社に就職したが寮は二人部屋で常に誰かを意識しなければ生活出来なかった、
盆暮れと言っても帰る家は無い、家族は結婚して居るから当然私の「帰る」家は無く「生活する事は嫌われない事」と言う状況でずっと暮らして来て21歳で転職しやっと個室を貰ってから初めて自分の時間を持つ事が出来た、しかし母親を亡くした後気難しい親父と二人の生活から他人の眼を気にして暮らした10年間は私の性格を形成する大きな要因になったのだろう、今でも女房子供も知り合いも、「貴方は一人で平気に生きていける人」と言う、結婚しないで生きてきたらそれが当たり前として本当に平気で生きて行けたかもしれないがやはり家族を得てしまうとそうもゆくまい、今子供達とは離れて女房と二人の生活だが女房が居なくなったら本当に喪失感は凄い物だろうと思う、しかし一方で(又戻ってしまったか)と受け入れて生きて行けるかも知れない間隔もある、
「誰にも愛を話せない」と言うのは若しかしたらそう言う事なのかもしれない、若しかしたら本当に自分は誰にも「愛を話せなかった」のかも知れない、
人生が終盤に差し掛かったと言う意識が出始めると(まだまだ)と言う感情と(そろそろ)と言う感情が交差する、
忙しく働いている時はそんな事を考える余裕も無いがふと間が空くとぽっと浮かんできたりする、一人の生活は長い人生の僅か20年程度だしその後の人生の方が圧倒的に長い、女房と家族になってからの時も既に人生の半分を過ぎた、しかしやはりあの頃の事は結構引きずっているのかもしれない、齢66も後僅かか 、さてもう一旗、頑張ってみるか
安倍総理が衆議院の解散を決めた、このタイミングでそうするのはこの選挙に自信を持っているか或いは此れ以上遅らせたらもっと勝率は落ちると考えたのか、しかし今の野党に解散させるだけの議席は無いとすればやはり今のままでは支持率の低下を避けられないと言う事で解散再選を果たして国民の評価を得たと言う免罪符が欲しいのだろう、
しかし世論の殆どはアベノミクス等と言う物を信じて居ない、此れを煽っているのは産業界と官僚達位だろうが残念な事に対抗するだけの野党が居ない、烏合の衆どころかまるで雀の餌争奪戦の様な有様だ、此処数回の国政選挙はずっとそんな事が繰り返されている、この情けない現実をどうすればよいのか、
アベノミクス等と言う言い方はマスコミが海外のニュース番組から拾ってはりつけた造語でしかない、「大胆な改革」と言うのはやる方の言う言い方で客観的に言えば「乱暴な・・」と言う事に他ならない、そしてその「乱暴な政策」は当然と言うべきほころびが出ている、海外から「アベノミクスは評価され継続を望む声が」と言うが海外の期待は為替、投資を代表する「ファンド」の声でしかない、ファンドが望むのは「安定」では無く「乱高下」である、それを期待通りに演出してくれればそれは良いだろう、日本の経済通で有る官僚や商社がそんな事の気がつかない訳は無い、尻馬に乗って自ら手にする金額だけに目が言っているのだろうが金の卵をうめる鵞鳥はは既に瀕死で有る、餌を与えないで卵をずっと産ませようとしてもそんな事は無理に決まっている、
鵞鳥の体力が落ちていて卵が余りうめなくなったなら先ず休ませて栄養のある餌を与え体力の回復を待つのが常道だ、そうすれば鵞鳥だって卵を摂られても満足して生み続ける事が出来るのだ、海外のファンドは日本の鵞鳥が生まなくなれば他の鵞鳥を探して来るだけだ、せめて日本人は大事に育てる程度の努力をすべきだろう。