梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

民ありて国あり

2015-03-27 22:22:45 | 雑記

民衆の集合体が国と言うものだろう、国家のために国民が有るわけではない、「お国の為に」と言う言葉で洗脳されて多くの若い命を失った先の大戦を教訓にしていない、「国家の為に国民が有る」と考えたらその時点で独裁国家になる、それが個人であれ、団体であれ、宗教であれ近代国家は独裁を認めない、日本は象徴として皇室があり形式的とは言え任命を受けて国家を運営している、天皇が政治に口を挟むの事を近代日本は禁じているが開戦前の日本は軍部が政権を握り天皇を利用して国民を戦争の泥沼に引きずり込んだわけである、

天皇陛下は「原発」に関しては否定的だと聞くが現政府は「天皇は統治せず」と言う事を理由にか聞く耳を持たないようだ、恐らく陛下は日本が軍備を拡張する事には忸怩たる物を持っているのではないだろうか、数十年前に「天皇ヒロヒト」と言う本が出て呼んでみたのだが昭和天皇は最後まで開戦には反対だったと書かれていた、

無論日本は天皇陛下のものではない、しかしそれ以上に国家を憂いて居ると聞く、昭和天皇はその名前において開戦の詔を出し、無条件降伏の詔もだし自らの命で購うと言い、「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」と国民に訴えたがこの戦争を起こした責任者は結局殆どが生き延びた、時の政府がその権利を持って開戦したのだからその責任は彼らで購うのが筋だろう、権利と責任は常に同じ重さである。

自衛隊を「我が軍」と言って憚らず、その言の責任を問われれば「そう言う表現がまずいなら取り消す」とあくまで表現の問題で日本軍は歴然と存在するという態度の総理大臣はやはり70年前侵略を受けた国からすれば「又あの国は」と言う印象を持っても仕方ない、どう言い作ろうと「軍靴を持って他人の土地を蹂躙」すればそれは侵略だ、

日本は未だ他国の軍隊に踏みにじられた経験は無い、攻められた事は鎌倉時代にあっただけでそれも上陸蹂躙はされていない、

普通の神経で想像すれば簡単にわかることだと思う、生まれた土地に銃を持った他国の人間が傍若無人に闊歩されたらどんな理由をつけても耐え難い事だろう、自ら仕掛けて無条件降伏し「占領軍」として米軍が東京を闊歩していた時、そして未だに土地の7割近くを外国の軍隊に占拠されている沖縄県民の気持ちを想像すればよい、

しかもこれは喧嘩を売って負けた結果だ、突然理不尽に侵攻されて「貴方達の為に」と言われても納得できる話ではないだろう、我々の直ぐ前の世代はそれを行った、どう言いわけをしてもそれは間違いない、自虐的なと言うが自虐的と言うのは「自らを貶めて、或いは犯した罪以上に自らを責める」と言う事だが望まれていないのにその国の統治に力を持って介入すると言う事は侵略行為そのものである、

韓国の言う「従軍慰安婦」も恐らくあっただろう、ただし日本人も韓国人も強制連行より親が金の為に差し出す事の方が多かったのではないかと言うのは納得できる話である、

おぞましい事を行ったことは間違いないだろう、確かに戦争と言う異常時には理不尽な事件を防ぐ為にこのような組織は多くのくにでも行われた事も間違いないだろうがそれが免罪符になるわけも無い、ただ中韓の嫌日宣伝の針小棒大にはうんざりする事も確かだ、

それが国を挙げてのプロパガンダとすれば「正しい認識の上」日本の立場を表明し潔く贖罪をするべきだろう


中国主導のAIIBは

2015-03-25 18:30:24 | 雑記

中国主導の金融機関が現実的になってきている様だ、アメリカ主導でアジアの金融インフラを整えると言うことは今後のアジア経済においてあまり好ましいものではないと思う、しかしその替わりに中国が主導すると言うのもかなり危惧を感じる、報道からの情報で判断すれば中国の政府は隣接する弱小国家との軋轢を無視した拡大政策を取っている、ベトナム、カンボジア、韓国、日本、ミャンマーと数え上げればきりが無いほどトラブルを起こしている、その言い分は「元々我が国の領土である」と言う歴史認識は他の国或いは国際機関の認識は全く無視して戦力を持って対応している。

この国が主導してアジアの経済発展に重要な影響を持つ金融機関を立ち上げて先進国からの投資を管理運営するようになったら中国と領土問題を持つ国に不利になる可能性が大だろう、

これから大きなマーケットである中国国内もさることながら他の東南アジア諸国はマーケットであると同時に各国独自に経済発展をして行く事が望ましい事は当然だろうが中国は領土を接している国とはこれからもトラブルを繰り返す事は容易に想像できる、

戦力を持っての圧力の他に国際的な経済導入までその手に持たれたら当事各国は苦しい状況に置かれるのではないだろうか

日本は今アメリカ主導の金融システムに参加しているがこのままでアジアマーケットから締め出される事も避けたいのは間違いない、参加するか、現状を維持するかと言う選択肢の中で参加して中国を牽制できるポジションを得られるか、或いは現状のシステムにとどまってAIIBの偏向的なシステム運営をカバーできるのか、出来れば中国主導の暴走を修正しうるポジションを確保して欲しい、それこそ「強い日本」を標榜する阿部政権の本当の力試しと言うところだろう


古いテーブル

2015-03-19 17:44:03 | 雑記

我が家のテーブルは部屋にも夫婦二人と言う人数にも全くに会わない大きな物だ、あちこちニスが剥げて斑になっている、

厚さが5Cmもあるしっかりした木製のテーブルは47歳の時に思い切って手に入れた一戸建ての家に併せて買ったものだ、事業が上手く行かず手放したのだが夫婦で「せめてこれ位残そう」と1DKには似合わないこのテーブルをそのまま使っている、

未練だと笑わば笑えと言う所だ、金が掛かるわけでもない、せめてこの位は思い出で良いじゃないかと捨てずに使っている、

運の良い事に区営のアパートに当選したおかげで家賃は只みたいになった、無論満足しているわけではないが年金があるので借金が無ければ二人で食ってゆくには何とか間に合う、この歳になっても仕事を廻してくれる人も居て個人としての借金がほぼ無くなった先月末に女房と剥げて斑になったテーブルを買い換えようかと言い出したがどちらとも無く「塗り直して使おう」という話になった、そういえばお揃いで買った椅子も既にクッションは裂けてしまい此方はあまりに酷いので安い椅子に買えたのだが結局捨てられずワンルームマンションの事務所に置いてある、これも一緒に直そうと調べてみたら10万近く掛かりそうだ、買うほうがずっと安いのだがやはり捨てる事が出来そうも無い、

良かった時の思い出に、その後の苦しい生活を一緒にすごして来た戦友の様なテーブルは恐らく生活がどうなってもずっとそばに置く事になるだろう、少しでも良いからゆとりが出たらあの頃の姿に直してやろうかと思っている


男女の地位とその割合

2015-03-17 17:22:37 | 雑記

他の国から「日本は女性の国会議員の数も会社の管理職も割合が少なすぎる」」と言う批判が出たらしい、中には「議員の半数は女性で無ければならない」と言う法律のある国もあるらしい、しかしこの法律は彼らが言う「男女平等」とは矛盾している気がする、女性に選挙権が無いなら確かに不平等だが選挙権は同じ様に与えられている、立候補が出来ないと言う法律も無い、しかも日本に限っていえば明らかに有権者数は女性の方が多い、その上で「一定の人数以上は投票数が少なくとも当選とする」と言うなら「一票の格差」どころの話ではない。

その記事には「女性は立候補できにくい環境だ」とあったがその記事に「立候補しようと思うと言ったら家族の反対がきつかった、ママトモからも留められた」と言うのが有ったが「立候補しにくい」のは一般社会人だとすれば男の方がずっと立候補しにくい、日本の選挙は非常に金が掛かる、地方議員でも委託金が60万位以上掛かる、市長選で100万円、政令指定都市市長選は240万円、国会議員は小選挙区で300万である、落選したら没収でこの金額は男女間とは関係ないが実際問題として会社勤めの男性が立候補して数ヶ月の選挙運動をし、落選したら元の職場に戻るのはほぼ不可能だろう、

「夫の理解と協力」とは別の次元で「妻と子供の理解と協力」は生活をかける、将来をかけると言うことになる、果たして「理想を求めて」生活を賭ける事が家族全体で可能かと言う問題は男女平等と言う権利意識の問題より切実な問題にだろう、それを乗り越えて立候補する訳だが立候補者自体の男女差は当選者の割合よりかなり少ない、しかし選挙の結果は今の割合になっている、

平均寿命と投票率を想像するに男性より女性の方が投票割合は高そうな気がする、しかし女性候補者は当選率が低い、議員の男女差が話題になった時に周りの女性の反応を聞いてみると基本的に「女性は女性の候補者を選ばない」事が結構多い、

会社の役職も働いている女性に聞けば大抵は「女性上司は好まない」と言う話を聞く、それが嫉妬でも他の感情でも実質彼女たちの大半は「それを望んでいない」のではないかと思う、「人類の半分は女性だから同数であるべきだ」と言うのは「決定事項は男女が対立するかたちになっている」と言う前提で考えるからではないだろうか、女性と男性の優劣と言う事とは次元が違う話だろう、

どだい世の女性の殆どは内心「男は馬鹿だ」と考えているのではないかと思う、特に母親になるとそれは顕著になり「亭主は大きな子供」と公言して憚らない女性もいるし、家庭での会話だけでなく親しい友人と懇談している時など奥方は亭主をかなり喧嘩腰で物を頼む、頼むと言うか命令するケースも見かけられる、少なくとも夫を立ててと言う会話は余り聞かない、でなければ見るからに恐れているといった風情だがこれは最近余り見かけない、

やはり男と女には違いがある、どちらが正しいとか優劣の話ではなく考え方が違うのだと思う、物の見方が違うのだから当然対立する事もある、その時に物事を順序だてて説明し説得しようとしたら大半の女性は「理屈っぽい、だから嫌われる」と言う、理屈を聞かないなら「此方が正しい」と主張すれば「横暴だ」と言う、どうしろと言うんだと言う気分になった事は結構あるだろうと思う、無論本当に理屈なんかではなく横暴な男もいるだろうし、男女逆のケースも有るだろうが私の周囲、兄弟や親しい友人夫婦を見ている限り前項のケースが非常に多い、と言うより殆ど全部だ、

私の若い頃「え~え、どうせ私が悪いのよ、郵便ポストが赤いのも電信柱が高いのもぜ~んぶ私が悪いのよ」と言うのがあった、諄々と説明して反論が出来なくなった時には女性は開き直る、その様子をいった言葉である、

落語に「怒りゃ拗ねるし殴りゃ泣く、殺しゃ夜中に化けて出る」と言うのがあったがこれは流石に乱暴な台詞だが江戸時代から男と女と言うより夫婦と言うのは変わらないんじゃないのかなと思う


努力の評価と結果評価

2015-03-09 18:00:14 | 雑記

中学校を卒業し亀戸に有った曰立製作所に臨時エとして就職した、結局学歴の無い自分の居所は見当ず辞めたのだが臨時エから正規雇用になった時正社員教育と言うのが有った、半分は組合が行っていたのだがその中に「これからは年功序列から実力評価になるだろう」と言う話しがでたのだが自分の中に何かもやもやとしたものが浮かんだ、それが表情に出たのだろう、「何か意見が有ったら言いなさい」と言われたが自分でもそれが何んで有るか解らず「いえ、有りません」と言いったのだが今考えると(実力主義で競争社会になったらなったで格差がでる、真面目にずっと勤めても置いて行かれる人も出て来る、確かに永くいるだけで給料も地位も上がって行くと言うより仕事の出来る人の地位と収入が上がるのは公平と言うものだろう、しかしその為にはセーフティーガードが必要では無いのか)と漠然と思ったのではなかったか、

今の大手企業や外資系の企業はかなり実力主義的になっている、その延長線上に非正規雇用の問題と今回の残業手当の廃止があるのだろう、日本は終身雇用制で今までやってきた、それが世界市場でマイナスに働いたと言う事でこうなったのだろうがその結果就職の幅は狭くなり多くの人達が不安定な生活に落とされている、しかしヨーロッパの一部には「終身雇用こそ21世紀の雇用形態だ」と言う意見もあるらしい、実力結果主義になじまないのは「努力が足りないから」と言うのは正確ではない、新たに会社が採用するには学歴と言う基準を設けている、当然高学歴を得るにはそれなりに努力も必要だが努力できる基盤すら無いのが今の格差社会の底辺だ、競争社会が公平だと言うなら生まれてから学業を修めるまでは公的にフォローしなければ「公平な競争」にはならない、親の責任だと言うかもしれないが子供は親を選んで生まれるわけではない、言い方は悪いが運否天賦と言う事だ、こうして格差は継続してゆく、そして更に格差は大きくなる、どんなレースもスタート時点ではリセットされて同じ条件で同じスタートラインから競争は始まる、税金はあるところから取るのが原則だ、人一人生きてゆくに掛かる金額は資産状況とは関係なく同格しか掛からない、「立って半畳、寝て一畳」と言う言葉が一時はやったが人一人が寝るだけならそんなものだ、毎日何十万円も食費が掛かるわけも無い、そんな食事は生活習慣病になるだけだ、

一生懸命働いて、いろんな知恵を駆使して大金を集めるのはその人の能力だ、その事自体悪いわけも無い、寧ろ社会を発展させる効力もある、しかしその子供達は何の努力もしていない、しかし人生レースは常に十分の準備運動や練習をしてかつコースの先の方からスタートする、レースのルールを決めるのも彼らの親たちだ、しかしこうして格差が広がれば恐らくレース自体が成り立たなくなるだろう、彼ら以外は走る気力も体力も無く、最初から競技に参加出来ないようになる、

残業廃止には実力評価が企業に対する貢献度で評価されるのなら企業外の評価基準が必要が有る