梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

理屈はどうあれ、それが忖度と言うものだ

2021-06-30 09:30:06 | 雑記
宮内庁長官が「国民の間で不安の声が有るなかで、ご自身が名誉総裁をおつとめになるオリンピック・パラリンピックの開催が感染拡大につながらないかご懸念されている、ご心配であると拝察を致します」と発言した、
加藤官房長官は「宮内庁長官ご自身の考えを述べられたと承知しています」とコメントしている、
学識者(憲法学)は「憲法では天皇の政治的発言を禁じられているので今回の宮内庁長官の発言は問題だ」とコメントしている、
確かにその通りだろうとは思うが陛下はオリンピックの名誉職とはいえ「総裁」である
開会・閉会式には祝辞を述べなければならない立場だ、
あらゆる国事に承認を与えるのは“国の象徴”である天皇陛下による「御名御璽」である
無条件降伏で「戦争を起こした天皇の政治的権力」を排除するために天皇の政治的発言は排除禁止されている、
しかし、多くの資料によれば昭和天皇は再三「戦争は回避して欲しい」と政府・軍部に発言していたと言う、
開戦の玉璽に判を押させたのは時の軍部であり天皇自身にその拒否権は無かったと言うのが実際らしい、
天皇と言う名称と地位権力が発生してから実際に天皇家が権力を発揮していたのは僅かで藤原家に始まり江戸時代までずっと飾り物でしかなかった、
日本は権力が変わっても統治者はずっと天皇家であり政治を行うのは時の権力者でも必ず天皇からの任命が必要でありそれは現在の「大臣の任命」まで続いていてそれが日本が2千年にわたる国家維持を可能にしていたのだろう、
しかし、考えればそこに生まれ落ちたとしても一人の人間でありさらに生まれた時から「国民の象徴」を務めさせられているからこその思いはあるだろう
太平洋戦争に抵抗しながら開戦を自ら指示し、敗戦の責任を痛感しても自らはなにも出来なかった昭和天皇の気持ちを深く慮っているだろう
普通に考えてこの未曾有の感染危機の状態でオリンピックを行う事のリスクを心配するのは当然だ、
その状態で「オリンピックの開催宣言・祝辞」を述べるのは忸怩たるものが有るのも当然だと思う、
このお気持ちを考えてオリンピックを中止する、それを「忖度」すると言うのだよ、政治家さん、官僚さん

梅雨の花、薊と木槿と梔子、とオリンピックは

2021-06-25 11:13:33 | 雑記
吞川の土手際で薊を見つけた

地方ではごく身近に見かける草花だが都会では殆ど見る事が無いのでちょっとうれしくなった
可憐でたくましい花だ、葉の周りに棘があるがそれもこの花の魅力、
昭和の頃はこんな娘がいたが想い出の中だから褪せない魅力かもしれない
やはり花も少女も都会にはそぐわないのかもしれないな
昔安倍峠を通った時大きな花の薊を見つけた、あとで調べたら富士薊と言う種類で保護植物だった
ネットで調べたら「富士薊街道」なる所が有ったので有名なんだな
槿はたしか韓国の国花だったと思う

此れには白花や八重咲もあって関東ではポピュラーだ
道路わきに梔子が咲いてきた、

八重咲はきれいだが実を付けないので香りは一重の方が強い、
紫陽花もソロソロ色褪せるころ、替わって色んな花が咲く
梅雨もよいの日が続くが空ければまた猛暑が待っている
日本の夏は湿度も高く基本はここ毎年の様に上昇し続けている
35℃の猛暑日に湿度も70%などと言う状況で本当にオリンピックなんかできるのか
コロナ以前の問題に緯度の高いヨーロッパの選手が絶えられるか最初に夏のオリンピックが確定した時思ったのだが
そこにこのバンデミックだ、命がけで強行する理由が解らない
無観客で猛暑日に開催したら選手から抗議が出るんじゃあないのかと思う

赤木氏を犬死させない為に

2021-06-24 10:46:56 | 雑記
文書改竄の指示命令に悩み自ら命を絶った近畿財務局元職員の赤木俊夫氏が残した
赤木ファイルが大阪地裁の要請を受けてやっと出て来た、
政権におもねる裁定が多い中大阪地裁の踏み込んだ裁定は賞賛する、
しかしこの裁判では最初財務局はファイルの提示を拒んでいる、
佐川財務局長の有罪は確定しているのに拒むと言う根本的な理由は無い、
だからこそ今回の裁判所がそういう裁定をだし、財務局も従わざるを得なかった訳だ、
抗弁する事が不可能の事を承知の上で提示を拒否しているのはあまりに傲岸無恥だと言える、
廃棄されて居たらこれは証拠隠滅にあたるのではないのか、提出しただけでも良しとするか
しかし、160ページに上る文書のいたる所は黒塗りでかつ、「別添え資料によって局長説明を行った」と言う様な文言に当然ついていた筈の添付書類がついていなかったりと往生際の悪い対応だ、
これは裁判沙汰である、地裁が出した裁定に胡麻化し続ける意味は恐らくない
この状況から「黒塗り」と「添付書類不提出」を正当化できる抗弁が出来るとは思えない
本当に腐りきった連中の中で悩み抵抗し、終には命を絶ってしまった赤木俊夫氏の思いは想像の範囲を超える、
このファイルを見て未だに全容を隠蔽しようとしている連中の人間性を疑うだろう、
「良心は無いのか!」など端から言う気はない、此の輩には世間一般で言う「良心」などと言うものは恐らく噴飯ものの存在なんだろう、
それが政府の人事権に対する対抗隠蔽(忖度とはあくまで思いやりである)であれば公人の人事を自らの権益に沿わせて権利を施行する政府そのものの罪である、
無論この連中に「良心」を期待するのは古い言い方だが「太陽を西から上がらせる」位馬鹿げた望みだ、
一切の良心良識を持っていないだろう輩に国と国民を丸投げしている状況を本当に何とかしなければならない、
それでなければ真の「赤木ファイル」の意味がなくなり赤木俊夫氏の自殺が犬死になってしまう
安倍内閣の功罪はこの間にあまりに多くの汚濁を残している、その為には野党は力を合わせて貰いたい、
政権を取ったらと言う事は取れそうな図式をこしらえてからしか言ってくれ、自民党政権の打倒が第一義だ、

池袋暴走事故、間違えたプライド

2021-06-22 14:35:38 | 雑記
池袋暴走事故の飯塚被告【元工業技術院院長】は頑として「自分は踏み違えていない、ブレーキを踏んだが加速した」と言い張っている、
しかしあらゆるデータを解析してもブレーキを踏んだ痕跡はなく、アクセルを踏み続けたと言う記録がある
それでも「絶対に誤動作をしないと話言えない」と言い立て、「こういう記録が残っている」と言う検察側に「いったんリセットするとデータは初期値に戻る」と言うが基本的に「アクセルと踏んだ」と言う記録は初期値ではない
被告の元の職歴は工業技術院院長と言う重責である、工業技術院は現在別の機関と統合されて別名称になっているが調べてみると
こうぎょうぎじゅついん【工業技術院】
産業技術政策の企画・立案・施行および工業化試験研究を実施し,産業技術の向上とその成果の普及を行い,日本産業の技術水準の向上と振興を図るために設けられた通商産業省の外局。1948年に工業技術庁設置法にもとづき,商工省(現,通商産業省)の外局としてまず工業技術庁という名称で設立され,52年工業技術院と改称。組織は,主として産業技術の振興と工業化試験研究の企画・立案・施行に関する業務を行う総務部と,JIS(日本工業規格)の制定に関する業務を行う標準部の2部で構成されている。
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版
となっていている、
被告が言い立てている「装置は誤動作をする」と言う様な事が無いように精査し厳密に指導して認可している機関の筈だ、この発言は被告本人の過去の職歴を全て否定する事にはならないのだろうか?
被告本人がその様な、或いはその程度の認識で日本工業規格(JIS)を制定認可していたのだとすれば日本の技術基準はその程度だったと言う事になるだろう、
人は記憶違いをする、自らに都合よく記憶を変える、心理学では過誤記憶と言うのが有る
過誤記憶(かごきおく)とは、英語の概念「False Memory」の日本語への訳語の一つ。同語のもう一つの訳語「虚偽記憶」に比べると、過去のエピソード記憶を叙述するクライエントに「嘘をつく」といった悪意がなく、「誤った記憶」を述べてしまったとするもの、という語義を持つのが特徴である。
しかし、被告の申し立ては余りに都合がいい、「牢屋に入る事は覚悟している」そうだからただ単に「プライド」の問題かもしれないが工業技術院が精査認可した世界に誇る日本の技術基準を「誤動作する事もありその為に記憶しているデータは時々全てリセットしてしまう装置である」とその期間のトップが言い立てるのは如何に優秀であっても老齢劣化は斯様に惨めな結果になると言う証左でしかない
「自分はそう思っているが装置はそういう結果になった、残念だが衰えたんだ」と自覚する事が本当の「自尊心」と言うものだろう、
「晩節を汚す」と言う言葉を紐解いてほしいものだ

モノクロームの想い出

2021-06-20 13:58:51 | 昭和の頃
「用があって出てきたが少し時間が余った、久しぶりに飲むか?」と故郷の友人から電話が有った、
コロナが問題になる少し前、三年位まえになるか
何の予定も無いので会う事にする、昼酒は苦手ではあるが70過ぎの爺さんが喫茶店でよもやま話と言うのもすわりが悪い、(まあいいか)とどこかで会う事にした
事務所の有る城南地域は結構朝からやっている飲み屋はあるのだがどうせならと昔からちょっと寄ってみようかと思っていた浅草の屋台通りに向かう、
場外馬券売り場の客目当てだが観光客も寄っている、今日はレースが無いので若いカップルや外国の観光客が多かった、
季節は暑くなく寒くなくテント屋台でも快適に飲める、しかし屋台なので丸椅子と折り畳みテーブルだ、定番の煮込みと焼鳥、漬物でビールを飲み直ぐサワーになった、
彼は中学からの友人だが自分は幼馴染と言うのが彼以外に付き合いが無い、
中学校を卒業するとすぐ東京に働きに出たが2年後に親父が卒中で死んで田舎と言うものが無くなった、
それから数年は正月休みは彼の家に世話になっていたが彼が結婚して世帯を持ってからはだんだん疎遠になっていた、
友人には5歳下の妹がいてちょくちょくと泊まっていたので兄妹のように親しんでいたのだがそれが彼の両親、祖母も含めてそのまま一緒になると言う暗黙の了解の様なものが出来た、
しかし自分の元来の為体でズルズルと時間が過ぎ、彼女は24の時に職場の同僚と一緒になたのだが10代の頃発症した膠原病で27歳で亡くなってしまった、
「お前が貰ってくれると思ってたんだが」と二軒目の小料理屋で彼がポツリと言った、
「お前をお兄さんと言うのが嫌だったんだよ」と胡麻化したがこれは彼の父親にも言われた記憶がある、何と答えたか覚えていないが彼女は「あまり幸せな結婚生活では無かった」らしい、
嫁ぎ先の墓に入っている彼女の墓参りは出来ないが時々思い出した時手を合わせている
人生のやり直しは出来ないから現在を有りのままに納得して生きているがこの事だけは「本当に良かったのか」と時々思い出して彼女に問いかけている、
恨みごとの一つも言うのか、「これでよかったのよ」と笑いそうな気もする、
36歳の時今の女房と一緒になった時連絡したら「お前は独身主義だと思っていたんだが」と少し不満げに言われた、
すこし酸っぱい思い出、埋め込んでおかなければかみさんが知ったら申し訳が無い、
若かりし頃の酸っぱい思い出は酸っぱいままだからさっぱりと沁みる、
古希になって話すものでもないモノクロームの思い出である