実家に行ったら、母がかぼちゃをくれた。
「友達から大きいかぼちゃをもらったけど、誰も食べる人がいないから捨てちゃおうかと思ったけど、子供に『かぼちゃのスープ食べる?』って聞いたら、『食べる』て言うからスープ作ったけど、まだ残っているのスープにしたら?」
「カボチャのスープ?」
「別にサラダでも良いけどね。」
私があなたの作る食事を食べていた時、かぼちゃは煮物以外出てこなかった。
てんぷらでさえ出てこなかった。
スープと言えば、缶詰のコーンスープか白菜とひき肉のコンソメスープだった。
私が小学校2年生の時から母はフルタイムで働いていた。
仕事に家事に育児にと忙しい毎日。
その上、自営の仕事の経理もしていた。
まあ、料理に手をかけるなんて無理。
子供は親の姿を見ているから「あれが食べたい、これが食べたい」なんて言わない。
出してくれるものはすべて美味しく食べる。
私の味音痴はここが原点。
いつも酔っぱらって愚痴をこぼしている親と一緒に食事をしたって楽しくなんかない。
食事は生きるための行為だった。
それなのに、最近実家に行くと母はいろいろな料理をしている。
それも、ずっと前から作っていたかのように。
それを見るたびに何だか悲しくなる。
家に帰ってかぼちゃのサラダを作った。
何だろうね、この気持ち。
「友達から大きいかぼちゃをもらったけど、誰も食べる人がいないから捨てちゃおうかと思ったけど、子供に『かぼちゃのスープ食べる?』って聞いたら、『食べる』て言うからスープ作ったけど、まだ残っているのスープにしたら?」
「カボチャのスープ?」
「別にサラダでも良いけどね。」
私があなたの作る食事を食べていた時、かぼちゃは煮物以外出てこなかった。
てんぷらでさえ出てこなかった。
スープと言えば、缶詰のコーンスープか白菜とひき肉のコンソメスープだった。
私が小学校2年生の時から母はフルタイムで働いていた。
仕事に家事に育児にと忙しい毎日。
その上、自営の仕事の経理もしていた。
まあ、料理に手をかけるなんて無理。
子供は親の姿を見ているから「あれが食べたい、これが食べたい」なんて言わない。
出してくれるものはすべて美味しく食べる。
私の味音痴はここが原点。
いつも酔っぱらって愚痴をこぼしている親と一緒に食事をしたって楽しくなんかない。
食事は生きるための行為だった。
それなのに、最近実家に行くと母はいろいろな料理をしている。
それも、ずっと前から作っていたかのように。
それを見るたびに何だか悲しくなる。
家に帰ってかぼちゃのサラダを作った。
何だろうね、この気持ち。