知られざる北斎 (幻冬舎単行本) | |
神山典士 | |
幻冬舎 |
新聞の広告ランで気になった本。
「モネ・ゴッホはなぜ北斎に熱狂したのか?」
浮世絵師は沢山いたのに、なぜ北斎が「世界の北斎」と呼ばれるのか。
私にも疑問であった。
その疑問が解けるのかと思い読んだが、疑問は疑問のまま残ってしまった。
ただ、浮世絵が海外に流れて行ってしまった理由がわかった。
西洋では「コレクショニズム」がある。
これは、世界中の価値ある物を自分たちの価値観で体系化し、世界を所有することであり、
それを一般に公開して、自分の立場と力が上位に立つことを誇示する事である。
そしてそれが資本主義である。
つまり、19世紀末に起きた「ジャポニズム」西洋人が日本の美を愛したのではなく、美を通して日本を飲み込もうとしていた。
始めは、鎖国時代だったので鎖国でも日本に入ることができた人が海外に持ち出した。
その時、陶器を包んでいたのが浮世絵だった事は有名な話。
ただ、これにはあまり価値はなかった。
もともと、浮世絵は大衆美術なので、日本ではつい最近まで価値のある物ではなかった。
それを大々的に美術品として海外に紹介したのが1867年のパリ万博である。
それに携わり、その後も海外に日本芸術を紹介し、仲介した画商が「林忠正」である。
日本では知られていないが、海外では有名な方だ。
彼はただ販売するのではなく、日本を紹介しながら、海外の作家に協力していた。
ピサロ、モネ、ドガなど、お金ではなくてブツブツ交換で渡していた。
ただ、ゴッホは彼の客ではなかった。
つまり、彼はゴッホは認めていなかったのではないかとのこと。
大物の作家たちが浮世絵を絶賛したのは、色使いと表現の自由さだった。
西洋美術では、神々や神話の英雄を描いたものが高貴であり、花や蝶、動物や昆虫をテーマにすることはあり得なかった。
北斎漫画で花や蝶や動物や昆虫を描いている北斎は崇める人だったのかもしれない。
さて、日本ではどうだったのか。
海外での浮世絵展や北斎展の成功に、日本人は驚いていた。
そこで色々な活動が広まった。
その中で、後年に北斎が過ごした小布施の街つくり。
そして、北斎が生まれた墨田に建てられた「すみだ北斎美術館」。
この二つの経緯や苦労が紹介されいた。
なぜ、今北斎なのかについて著者は「資本主義以降の社会」のシンボルが「北斎」だという。
資本主義が本来持っている「独占」と「欲望」ではなく「共有」
そして「収奪」ではなく「認め合い」
確かに、北斎は北斎漫画等で画法やお手本を作り「共有」した。
また、色々な宗派で学び、海外の画法や具材を取りこむところは「認め合い」をしていたのだろう。
ただ、やっぱりなぜ「北斎」なのかはわからない。
彼は長いこと活動をしていた。
そのため、多くの作品を残している。
多種多様な作品が色々な人を魅了するのだろうか。
この本では、北斎についてよりも、北斎を推し進めた人々について学ぶことができた。
「北斎」が独り歩きして有名になったわけではない。
2017年5月からは大英博物館、10月からは大阪・あべのハルカス美術館と上野の国立美術館。
ローマでも北斎展が開かれた。
国内でも多くの企画展が開催され、多く入場者があった。
また、今後も開催の予定がある。
「北斎」がみんなに好かれるのは、絵もそうだが生き方なのではないだろうか。
自分の仕事を常に向上させようとする力。
目的は「お金」ではなく「作品の出来」
自分の満足なのである。
読みやすい本ではあるが、時代の流れを追って行くのが難しい。
なぜ「北斎」なのかはわからなかった。
しかし、北斎のためにいや北斎だから動いた人々のことは良くわかった。