ひとり気ままに

バツイチ女のひとりごと。離婚した人も、離婚を考えている人も、そしてこれから結婚する人も、「気ままな話」を聞いてください。

栗まんじゅう

2022-09-20 08:00:00 | 長野の不思議

2022年7月18日(月)〜2022年7月22日(金)

 

3連休の最終日は午後からお出かけ。

同居人さんが善光寺のお土産物屋さんから仕入れた情報。

小布施の「松仙堂」の栗のペーストは美味しい。

 

わかりにくいところにあるお店だった。

小布施の栗菓子といえば「小布施堂」「桜井甘精堂」「竹風堂」などが有名。

そこよりもお勧めというのだから、美味しいのだろう。

栗まんは「栗餡」と「白餡」

皮は昔懐かしいしっとり皮。

中には大きな栗が1個まるまる入っていた。

白餡が栗とマッチして甘すぎない栗まんじゅうである。

気に入った。

オススメの栗ペーストは鹿のこを食べているような甘い栗の味だった。

お店の前は栗畑。

緑のイガイガがたくさん木についていた。

 

7月18日(月) 海の日

小布施をお散歩していたら、ぶどうもたくさん実をつけていた。

もうすぐ食べごろなのだろうか?

岩松院で見つけたもの。

紫陽花の花手水

仁王門の仁王像裏の三面大黒様

仁王像の修理した足。

これは片付けてください。

 

谷巖寺に紫陽花を見に行ったが遅かった。

近くの高社神社に行った。

蓮を見に稲泉寺に行った。

ここのハスは「大賀ハス」

「ハスの鑑賞は朝だよ」

広いハス畑に満開のハスを想像する。

散った蓮を見ながら、人生を考える。

散り際も美しくありたいな。

7月19日(火)

会社の帰りに夕食の買い物をする。

無性にアンドーナツが食べたくて買って食べた。

なんだか贅沢した気分。

7月20日(水)

めざましテレビのじゃんけんにボーナスプレゼントがあった。

ずっとハズレ続けたのに、今日は当たり。

キリンの生茶600MLを1本ゲット。

通勤中には10円玉を拾った。

徐々に願いがかなっている感じ。

7月21日(木)

今日も生茶を1本ゲット。

夕方同居人さんが怒って帰宅。

「体調不良はお前のせいだ」と社長に言われたとか。

完全なパワハラですから。

7月22日(金)

やりたいことをたくさん我慢している。

でも、それが本当にやりたいことなのだろうか?と考えた時、

まだ見つけられないのだ。

自分のやりたいことを。

コメント (2)

ブログまとめ書き

2022-09-19 08:00:00 | 日記・エッセイ・コラム

2022年7月16日(土)〜2022年7月17日(日)

 

ブログを始めてどれぐらい経つだろうか。

なぜブログを書くのかと問われたら、

自分と対話したいからなのだろうか。

それから、記録に残しておくと後で検索するのに便利なのだ。

 

昔は別のプロバイダーブログで、それが終了のため削除してしまった記事もある。

終わる前にこのブログに統合するべきだった。

色々な旅行の記録がわからなくなってしまった。

 

日々、書き留めたいことがある。

しかし、今の仕事がパソコンの前から離れることのない仕事のため、家に帰ってから目を休めたい。

それから手軽にパソコンを開けなくなったことも原因の一つ。

 

手帳に日々の気がついたことをメモしておく。

そして、休みの日にブログを書く。

言いたかったことがすっかり時代遅れだったり、メモの意味がわからなかったり。

でも、記憶に残す、記録に残す。

私の大切な時間なのだ。

 

7月16日(土)

久々に近所の食堂で外食。

すべての料金が上がっていた。

「仕方ないか」と思う反面、「来るのはランチだけだな」と思った。

 

7月17日(日)

友人からLINEが入る。

「松原湖でキャンプしている」

冬には「白馬にスキーに来た」と入った。

会いたいのに会えないな。

「早く言ってよ。昨日なら近くまで行っていたよ」

「今のご時世だから、また会えるときにね」

そうだよな、早くみんなでワイワイと飲みに行きたいな。

コメント (2)

【神社】旧御射山神社

2022-09-18 08:00:00 | スピリチュアル

2022年7月17日(土)

 

「霧ヶ峰自然保護センター」のパネルに気になるものがあった。

諏訪神社のお祭りに「御射山祭」は欠かせない。

説明では「中世、御射山社は源氏、北条氏などの武士から厚い信仰を受け、重要な祭祀の場所となりました。鎌倉時代には盛大な御射山祭が行われ、武士が集まって狩猟を行っていたと考えられています。・・・」

「なるほど、ここに行ってみたい。」

 

センターから車でわずかなところだが、入り口がわからずウロウロ。

神社までの道は一般車両進入禁止のため、路肩に車を止めて歩き出す。

曇っていた空もとうとう泣き出し、気温も下がる。

軽いドライブのつもりだったので、雨対策も考えていなかった。

小さな祠を見つけた。

御柱も立てられている。

ここが旧御射山神社。

かつてはここに御神体が降りてきて、下社の春宮と秋宮に住むと信じられていた。

江戸時代に里に近い場所に移されたので、今はここを「旧御射山社」という。

狩猟や祭祀を行っていた時に作られた階段状の桟敷き跡。

この山の中に、どれだけの人が集まったのだろうか。

磐座なのか大きな岩があった。

 

すぐそばに「ヒュッテみさやま」があり、若い男性3人が傘をさしながら散策していた。

今日は宿泊なのだろうか。

雨もひどくなってきたので、来た道を戻ることにした。

天気が良い時にもう少し散策してみたいところである。

コメント

【学ぶ】 霧ヶ峰自然保護センター

2022-09-17 13:58:19 | 長野の不思議

2022年7月16日(土)

 

テレビで霧ヶ峰のニッコウキスゲ満開だと言っていた。

「見に行こう」というわけで出かけてきた。

霧ヶ峰は長野県諏訪市にある。

 

ニッコウキスゲが咲いているのはビーナスラインの車山のあたり。

満開は少し過ぎている。

曇り空なので、半袖では少し肌寒い、気温20℃。

ビーナスラインの所々に黄色の花園があった。

 

霧ヶ峰スキー場の横に「霧ヶ峰高原自然保護センター」がある。

私たちのようにドライブできた人、ハイキングや登山、散策で訪れた人たちを受け入れている。

この保護センターは最近改装したようで、こじんまりとしているが綺麗であった。

手作り感がたまらなく可愛い。

羊毛フエルトで作られている鳥たち。

 

展示から色々なことを知ることができた。

元々「霧ヶ峰高原」は牧草地として使われていた。

そのため、常に草原でいるよう整備をしていた。

ところが、牧草地としての役目を終えて整備をしなくなった。

すると、草も伸びるが、木も生え出して自然環境が変化していった。

当然のことだが、高山植物などは絶滅の危機に・・・。

高山植物を守らなくては!!

ということで、牧草地ではなくなったが、高原の整備を今でも行っている。

 

ニッコウキスゲも若い時に来た時よりも咲いている場所が減った気がしていた。

それは間違いではなかった。

今は鹿が増えてしまい、ニッコウキスゲを食べてしまうとのこと。

確かに、今日見てきた場所にも高圧線らしき柵が周りに張り巡らされていた。

 

「自然」とは何だろうと考えてしまった。

理科の時間に習った。

小さな草から始まり、大きな草が生え、木が生え、林になり、森となっていく。

その間に環境が変わり、太陽を好む草たちは枯れていき、日陰でも生息できる草に変わっていく。

でも、その小さな草を守りたいから、大きな木が生えないように手入れする。

それって「自然」なのだろうか。

人間の都合なのではないのだろうか。

 

鹿が増えた原因は何なのか。

満開のニッコウキスゲを見たいのは誰なのだろうか。

「霧ヶ峰自然保護センター」に来て気がついたことである。

コメント (2)

楽しみにしていたのに

2022-09-07 23:52:06 | 日記・エッセイ・コラム

2022年7月11日(月)〜2022年7月15日(金)

 

己巳の日は弁財天を祀る日。

2か月に1回巡ってくる。

善光寺ご開帳で初めて知った。

善光寺宿坊の一つ「蓮華院」のご本尊は戸隠九頭龍神社の本地仏。

 

「今日は会社の帰りに参拝に行くから」

そう伝えておいたのに同居人さんは会社に迎えに来た。

「送っていくよ」

そこまではいいのだが、どこに車を停めるのだろうか。

 

祭事に参加していると、お寺の前に車が止まり、同居人さんが降りてきた。

路上駐車だ。

もう、それが気になって祭事どころではない。

「もういいから帰ろう」

「え、最後まで参加してもいいよ」

ダメなんだよ、ちょっとしたことが気になって繋がらないいだよ。

 

「今日は帰ります。」とペコッと頭を下げて帰った。

そのあとは気分が悪かったのは当然の事。

 

7月11日(月)

今朝見た夢は富士山の夢。

いいことありそうな予感。

7月12日(火)

久々に部長と面談。

社員の時のように目標や達成状況の報告がない。

思っていることを言ってみた。

ただ「給料を上げてくれ」とは言えなかった。

7月13日(水)

夕食後に同居人さんとお散歩。

こういうの好き。

7月14日(木)

同僚にきゅうりとズッキーニをいただいた。

新鮮な野菜は美味しい。

7月15日(金)

今日は己巳の日。

楽しみにしていたのに。

人のこと考えられないのは嫌なんですよ。

「邪魔にならないよ」は自分の物差しなのです。

コメント