”福寿会” じじばばちゃんしか出席を許されない、ひろととゆいちゃんの保育園の歌の発表会。
親の方が見たいだろうに、孫は目の中に入れても痛くないと言うじじばばちゃんへの日頃の感謝の気持ちをの意であろう。
夫は責任重大なビデオ係。
録画ボタンを押せばいいのだが、過去に液晶に撮るべきものが見えるので撮れていると勘違いし、肝心な孫たちが撮れてなかった苦い経験がある。
私はいつも写真係だけど、写真は静止画像だし声が聞こえる訳ではないので、親には一部始終が見られるビデオさえあればいいのだ。
結構年配の方が多く、私たちは若い方だ。
10時から始まった。
3番目にゆいちゃん。 私や夫を見つけてにっこり。 何度もカメラ目線。
元気いっぱい、習ったように一生懸命である。 私、何度手を振ったことか。 夫も後ろのビデオ席で同様だろう。
ひろとは年長さんなので6番目、最後の福寿会である。 1歳の頃、2、3、・・6年間。 色々な時があった。
まだ、かたことしかしゃべられなかった最初それでも4月生まれなので一番しっかり(ばばばか)していたようで、ちょっと鼻が高かった。
純粋に元気いっぱいのとき、どうしあtことかじっとして中々身体を動かさなかった時、歌に拍子がなかった年小さん、
年中さんになればぐっと違ってきていたし、年長さんは手話で歌っている、一生懸命だ。
歌いながら、いつも私たちの姿を探してはにこっと笑っていたのに、今回は私たちを探すことなく、同じ方向目線でずっと・・最後まで歌った。
ここまで来ると、照れくさいのだろうかと思いきや、そう言えば以前先生が、歌っている時には客席に手を振らないようにとか言われていたらしい。
一番大きいと思えるようなひろとの声。 ファインダーを覗きながら、今までの思い出がスライドショーのように頭を巡る。
1才直前から保育園に入った。 月の半分以上、人のがうつったりで小さい時は風邪だの熱だのでしょっちゅう我が家であずかった時があった。
どちらが保育園かわからないくらいだった。 同い年のなつめは3歳から行ったので、一緒に遊べて嬉しそうだった。
病院へも連れて行った。 女医さんが、仕事上自分の1人娘さんを0歳児から保育園にあずけて見てやれなかった悔いもあるのだろう、
「出来る事ならあずけっ放しより、週に2、3回でもおばあちゃんが見てあげて下さい、小さい時はその方がいいですよ」
そう言われた事が未だに頭から離れない。 だから、よけいに喜んで見ることが出来た。
ゆいちゃんは可愛さで涙が出たが、ひろとののときは思い出が甦り胸がいっぱいになって泣けた。 夫もそうだったかも知れない。
あと、ゆいちゃんはあと3年通う。 夫の出番あと3回。
帰り道スシローで早いお昼を軽く食べ、夫は会社へ出向いた。
夕方ビデオと、記事に載せている2枚のコラージュ写真を印刷しラミネートして愛ちゃんに届けた。 ゆいちゃんは大喜びだった。
「先生が、おじいちゃんがビデオ一生懸命撮ってましたよって言っていました」 笑っていた。
福寿会、じじばばちゃん、我が孫の時大抵は手を振っている。 その顔のなんと福々しい、えべっさん顔。
そして園児の歌に手ぶりや歌ったり拍子とったり、和やかないい雰囲気。
夜夫が「この写真、鹿児島へも送ってあげなさい」と言った。 私たちはいつも見せてもらって、本当に申し訳ない。 そうしよう。
健康チャレンジ、今日の私・・ メタボが歩く! * 買い物がてら・・と言うことは(3日目) *