今日は一日雨だった。
お彼岸さんは、もうすぐ、暑さ寒さも・・もうぼつぼつ涼しくなるのだろう。
次女一家が引っ越ししてからは雨の日の洗濯干しにしか入る事のない4階の部屋、置いてあった夫の栄光の軌跡、優勝の盾などを3階へ移動した。
3階とて寝るだけの部屋だが、せめて視野に入る所に置いてあげたいと言う気持ち。 いくつもある盾、メダルに至ってはかなりある。
夫は中学時代から卓球をしていて、私も入部した事があった。
砲丸投げで郡の大会へ出ることになったとき、卓球の練習に出ていなくて顧問の先生に呼び出された。 一緒に卓球をしていた夫のいとこと2人。
その彼女がやめると言うので、それなら私もやめますと言ったら、「お前は人が死ぬ言うたら死ぬんか。 そんな気持ちならやめてしまえ」
先生の方から言われた記憶がある。 あのときやめなかったら、高校もやってたかなぁ。 高校は親友のT美のいるバレー部に入った。
しかしバレーにしても卓球にしても、私はもともと体育系ではないしセンスもない。 文芸部の活動の方が性にあっているのでバレーはやめた。
日暮れの早い時期など帰りが遅くなると母は表で待っていたり、途中まで自転車で迎えに来た。 島を半周して帰る娘を持つ母親には、無理もないだろう。
帰宅途中夫と会って送ってもらった事があったりしたから、よけいに心配したのかも知れない。
夫と高校は違ったが、因島で試合があるときは来てくれと言われ応援に行った事がある。
大胆にも夫と同じ高校の仲良しH君の、バイクの後ろに乗せてもらって行ったりした。 必勝と刺繍した紫の鉢巻を縫ってくれと言われ、作ったことも。
私は大声を出して応援するようなタイプではない、じっと見ているタイプなのに、今思うと良く行っていたなぁと思う。
目立つような2人では無いのに、私たち・・ませてたんかなぁ。
中学の時、戦争体験もある年配の国語の先生が「君らは将来一緒になる」どんな事からそう言う発想だったのだろう。 聞いて見たかった。
結構真面目でおとなしめな(あくまでも自分の感想)私が、先生にもそう言われ田舎でそんな風だったなんて今更ながら不思議で仕方ない。
TVでなく小説で育った時代、純愛小説のヒロインにいつの間にかなりきり、夢見る夢子・・だったこともひとつの誘因だったかも知れないが。
夫が我が家に遊びに来て帰るとき、玄関で見送る母は必ず「清い交際をしなさいよ」そう言った。 夫はどんな思いで毎回聞いていただろう。
社会人になってからも続いたお付き合い、手さえ握った事がなかったのに、何度もそんな雰囲気になることはあったのに、母の言う清い交際だった。
夫に聞いた事がある、なんでって。
「お母さんに言われた言葉が耳から離れなくて、お母さんを絶対に裏切ってはいけないと思った」と言う。
「男って本当に大切な人には、手は出せないもんや」 返事は、あまりにも恰好良かった。 後、言葉が出なかった。
今思えば、そんな夫の思いが、今の夫自身、夫そのものなのだろう。
卓球とともに歩んできた44年間の夫の人生。
卓球そのものと、そしてそれを通じて関わる人との中に、命の次に大切とまで言った夫の生きる中での本当に大切な意味が含まれているのだろう。
昨年の区民大会の時、共に歩んできた卓友さんが「けんつくさんは、いつも先を見て上を目指して考えながら卓球していますよ」
世代の交代を認めながらも、まだまだ高見をめざそうとする夫の真摯な一面を教えられた。
まだまだ私は夫の本当の良さを分かっていない、理解していない。
これからの人生を思うと、一番大事なのはその本当の夫のやさしさに応える自分の言動でなくてはならないと言うこと。 (何度も思っているのだけど)
借りている”あなたへ”の小説の中に、主人公の妻が言った言葉がある。
「人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」と。
今まで2人で生きてきた長さよりも、半分くらいであろう短い年月を思うと、その言葉は未来への指針を提示されているような気がした。
いくつになるまで、ラケットが握られるだろう。
一度は病気で続けるのは困難かと思われた卓友さんが、「年をとってもやめられんなぁ、これをやめたら心に大きな穴があくやろうね」とも言った。
雨が降り続ける。
ここ2、3日膝ががくがくすると言う。 「卓球出来なくなったら困るよ」 とにかく病院へと勧めたばかりである。