夫は4時に仕事が終わったらしい。 車で帰宅した夫がシャワーをして、2人で家を出たのがちょうど5時だった。
夫人には恐らく6時くらいになるかもと言っていたが、その通りになった。
先月は不徳にも、カメラを忘れた。 今日はバッチリ!
助手席から撮るいつもの光景、しかし同じ空は無い。 ましてや夕方出るのは珍しく、雲が刻々と変化していた。
海遊館、観覧車、南港。
いつも目を凝らす、明石海峡大橋は見えないかと。 見えた! こんな時、メッチャ嬉しい、なぜか。
なぜか工業地帯のこんな風景、好き。
西宮ヨットハーバー。
6時過ぎの回転寿司は人がいっぱいだった。 1時間以上話をしながらゆっくり食べた。
食べてすぐに別れるのはなんだし、持参したお菓子でお茶でも・・と考えていたが、夫は夫人の家を通り越し車を走らせた。
「おかん、ドライブしよう」 夫人を喜ばせてあげようと言うやさしさと、話につきあうのは苦手と言うこともあってか夫が言った。
メリケン波止場に着いた。
「車からでええよ」と言う夫人に、「せっかくやから降りたらええやん」 いつも私がするのに、降りるとき夫が初めて介助した。
この場所へ来たのは2年前くらい。 暗くなった夫人の家から帰り、夫がU-ターンして行ってくれた、冬の頃だったかな。
観覧車、今までこれだけ色んな電飾だったかな、海遊館と偉い違うなぁ神戸の街には似合っている。
本当はもっと撮りたかった。 夫と夫人を撮っていたら、日本人でない若い女の子が、「トリマショウ、ナランデクダサイ」かたことの日本語で言った。
「モウチョット ミギヘヨッテ」 「モウ イチマイ」 3枚撮ってくれた。 若いので、やさしさがいっそう爽やかに思えた。
夫人は神戸タワーに登った事が無いと言う、私たちもだけど。
震災後メリケン波止場で帆船、”日本丸の”登檣礼(とうしょうれい)”があったとき、見に行った話は聞いていた。
「ごきげんよう・・には涙が出たわ」 私も、天保山やメリケン波止場で見た事があるが、あれには感激でうるうる来る。
今度あったら気をつけて、出来る事なら連れて行ってあげよう
夫人を部屋まで送り届けたとき、神戸のミントさんのところで買った服を着て見ると言う。
「ゆったりしてるなぁ」 「この生地の洋服は、ゆったり着るのですって」 「年やのに、もうええよ」 「女性はいつまでも、きれいでいなくては!」
午前中夫人に夕方行く事を電話した時、「お昼は甥っ子が来るねん」と言った。 (え? 甥っ子さんいたの?) 「来てもすぐ帰るから、来てよ」と言った。
そう言えば前にやって来て「おばさん写真はあるのか」と聞いたらしいが、その人だったのだ。 甥っ子と言っても、私らと変わらないらしい。
「みっちゃんが来るたびに撮ってくれて、アルバムにしてくれているよ」 アルバムを見て「これならいい」 そう言ったそうだ。
夫人が以前不安だったのだろう、私に自分の財産を話し、もし入院したらとカード番号も教えてくれた。 甥っ子さんにも話したのだろう。
「おばちゃん、現金おいといたら危ないから預けとき」って言われ預けたと話していた。
私の中には、写真を撮る事は想い出に・・はもちろんだけど、万が一のときに・・そう言う思いもなくはなかった。 甥っ子さんもその気持ちからだろう。
老いが増す様を見るにつけ、神戸から帰る時はもし入院でもしたら、寝たきりになったら、痴呆に・・悩みはつきない私たちだったが、
突然な甥っ子さんの出現に、(これって何?)ちらっとよけいな事が頭をよぎりもしたが、身内でない私たちには多少重くもあった事に安堵の思いだった。
何かのときには身内のハンコがいるようだから。 重かった肩の荷が、少しだけ、軽くなったような気がした。