ゆうべ『二度と原爆を使ってはいけない~ナガサキを見た 占領軍司令官~』
という番組がありました。
番組解説は、こうです。
『占領期の長崎に「もう二度と原爆を使ってはいけない」と訴えるアメリカ人がいた。長崎を統治した占領軍司令官、ビクター・デルノア。なぜ、占領軍の司令官が原爆を否定したのか? 取材を進めると、ヨーロッパと日本、2つの地で、人類が犯してしまった罪に向き合わざるを得なかった男の、人間としての苦悩が浮かび上がった。核と人間との関係が改めて問われる今、原爆の非人道性を訴えた男の足跡を追った。』
軍人さんが、自国に対して原爆投下を否定するというのは、
かなり勇気がいったことだそうです。
そういえば、そうですよね。
実際、当時のアメリカでは、まったく受け入れられなかったらしい。
それでも、長崎の現状を見た彼は、
「これは、ナチスの虐殺と同じだ・・・」と感じて、
声を上げずにはおれなかったのです。
この番組を見終えて思いました。
こういう人こそ、もっと話題にされ、讃えられるべきだと。
現代になっても、一般には、
自分の国や宗教、会社・集団などが優位に立つようなことが
その中では、評価され脚光を浴びたりしますが、
客観的に観れば、
それは、ほんの『一面』だけのことであって、
ほかの面や立場から見れば・・・。
これからの時代は、そういう狭い考え方や観方は、
「未熟で遅れている」、となっていくのではないでしょうか。
飛躍するかもしれませんが、
最近自分の周りのことでも考えさせられることがあって、
それは『保身』というようなことなんです。
人が、なんとか自己弁護しようとしたりするのが目にとまったりね。
でも、
こういうのが私のアンテナにとまる、っていうのは、
自分自身も、そういうタネがあるんですよね。
たとえば、
自分がミスをして、人に気づかれる前に気づいて対処できたら
「マシだったね」って、ホッとしたり。。
こういうのって、なんなんでしょう。
そんな小さな小さなことから始まっていくんじゃないかしら。