その、前にいた職場では、
内々の機関誌のワープロ入力など、手分けしてっていうか、
やれる人が自主的に進めていたんです。
入力メンバーそれぞれに、お知らせが届いた時点で、
「私、今だったら、少しやれるわ」となったら、
指定の引き出しに取りに行き、
自分がやれるだけの原稿をもらってくる。
そして、入力終えたら、
フロッピー(その頃は、そんな時代)と共に編集者に渡し、
もっとやれそうだったら、さらに原稿をもらってくる。
そんな形だったので、自分のその時の仕事量や体調・やりたい気持ちなど
「どうかな?」と、自分で見るわけ。
そんなことで、純粋に、
「私って、こういうワープロやりたいんだねぇ、ほんっと、好きなんだね~」
っていう自分がハッキリ見えてきたんです。
おもしろいものですねぇ、
割り振られて、いわゆる<仕事>としてだったら、
こんなに好きには ならなかったかも。
それは、難聴とも関係がありそうです。
当時は、軽度~中度だったと思うんですが、
数十人の話合いでも、対面しての話でも、
聴き取るのが困難になってきてました。
それが、原稿だったら、ひと言ひと言、全部聴ける(読める)んですよね。
「わぁ~あの人って、こんなことに取り組んでる最中なんだ」
「こういうこと思いながら いつもやってくれてたの~?」
入力しながら、共感したり、共に考えたり――。
一人ひとりの話を聴かせてほしい。もっと近くなりたい。
そんな願いを、入力作業は、かなり充たしてくれたんです。
そして、書いた人の伝えたいことや、想いなど、
読む人に、そのまん-ま伝わるようにするのが、
入力者としての自分の役割(編集者と共にね)。
そこに徹していると、さらに究めていきたくなるんですよね。
ワープロっていっても、ほんっと色んなものがありましたけど、
どれも、気を入れて入力すれば、それが結構伝わるようで喜んでもらえた。
何日も夜なべになっても、苦にならないんですよね。
電話番も出来ないし、あれもムズカシイ、これもタイヘンという自分でも、
これだったら、一応お役に立てる、自分を活かしてもらえる。
そんなのが、今に至るまで、ずうっと続いているのを感じるんです。
なのに、現実には、未だに入力ミスがあったり。
チャンと2回・3回と確認してても…。
まだまだですねぇ~。