先日、ある講演会があった。
行きたい気持ちはあったけれど、
聴こえるワケがない。
(Netに記録として動画がアップされても、
蚊の鳴くようにしか聴こえないものも )
誰か、パソコンを使って通訳を
お願いしてみようかとも思ったけれど、
自分の気持ちをよく見てみたら、
「そこまでして、どーしても、是非ぜひ参加したいってほどじゃないよね」
という感じなので、参加しなかった。
行った人の感想を聞かせてもらうと、有意義だった様子。
やっぱり頼むだけ頼んでみたら良かったかなぁ~。
でもね、、
その講演やイベントなどに参加する人は、
難聴者の通訳のために参加するわけじゃなく、自分が参加したいから行くんですよね。
それを邪魔したくない。
それって、遠慮とはちがう。
純粋に、その人が存分に味わってほしい、って思えてくるんです。
書くにせよ、パソコン打つにせよ、
講演など聴いたものを同時通訳で文字や文にするって、
すっごく集中してエネルギーがいるらしい。
これ、当然だと思う。もし自分がやると想像してみたら分かります。
そして、正直に言うと、
それを読ませてもらう側も、結構エネルギー要るんですよね。
で結局、少しずつ、
聴こえることを前提にしたような集まりからは
遠ざかっていくことに。。
私は、目に見える形になったもの(netや、掲示板・新聞etc...)を
じっくり読ませてもらってる。
また、身近な人で、難聴に理解のある人と、1対1で(ナントカ)話をしたり。
そういうものでいこうかと思ってるけど、
ずっとこれで良いのなぁ――っていう気持ちもあるのよね。。