michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護8年。 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

感じる世界、あれこれ

2015-05-06 07:44:17 | 聴こえ

きのうのづづきです。

『触手話』での会話って、「言葉を全部訳して手で表現する」というよりは、

「丸ごと伝える」、それを「全体的に、総合的につかみとる、感じる」

というような世界かな、って思ったんですが、どうなんでしょう。

 

私はつい「言ってもらったことを、何らかの形で全部知りたい」

「ちゃんとキャッチボールしたい」

みたいな感じ、、かな?

でも現実的にはうまく出来ず、モタモタ…。

どうもそんな辺りが習得しきれてないんですね。。

 

 

 

 

          

 

久代さん、お料理はどうするのかと思ったら、

すべて触って確認する。

そこまでは想定内だけど、

ソーセージを焼くとき、そのソーセージを一つ一つお箸で抑え気味にして、

なんと、そのお箸から伝わってくる振動で焼き具合を確認するという

そこまでいけるんですね!

もちろん、匂い、鼻も動員するのでしょうね。

(何でも熱が充分に伝わると、その素材の良い匂いがしてきますね。)

家事の全てをそんな風にこなしておられる姿は、素晴らしいと思いました。 

 

           

 

私だったらね、

例えば

プリンターで印刷するとき、始まるのにチョット時間かかりますよね。

たぶん音がするんでしょうけど、何にも聴こえないので(家では補聴器してない)、

プリンターに手を触れると、作動が始まれば振動するので分かる。

 

職場に色んな人が出入りしてても、自分は目の前の仕事に集中してて、

声では誰か分からないことが多い

(声がしてるのは聴こえるけど、何の話してるかなどは、すぐそばでも全く分からない)。

視野ギリギリくらいに気配、『何か大きなもの』を感じると、

「背の高いNさんかな」と思い、そちらに目を向けてみると、

「ああ、やっぱりね」となる。

 

道を歩いていて、後ろから来る人の足音が聴こえないことが時々。

マイペースで歩いていて、突然サッと横に風を感じる。

追い越されることを、まず風で感じて、その次の瞬間に人が目に入ったり。

 

  聴こえてた頃もそうだったのかもしれないけど、

  この頃なんだか、そんな風に 感じる世界 が、面白いナって思うんです。

 

 

ある会合では、いつも最後に『みんなで歌いましょう』のコーナー。

季節の唱歌とか、誰でも知っている曲だし、歌は大好きなんだけど、

基準の音の高さが掴めない。そして、

前奏を聴いていても出だしのタイミングが分からない。

 

それで懸命に曲についていこうとしていたら、ふと、

テーブルにおいていた手に振動が伝わってきた。

隣りのテーブルに置いたキーボードで伴奏を弾いてくれている、

その振動が、床を伝わって、隣りの自分のテーブルまできているらしい。

これは大発見で、嬉しかった。

 難聴のお陰…かな。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする