先日、DVDで『西の魔女が死んだ』を観た。
とても素晴らしいおばあちゃんと、多感な少女「まい」との触れ合い。
おばあちゃんは、いつだって、
「ほんとうにそうですねー」と、
人の心を100%受けとめることができる。
そして、少女の持てるものを自然に引き出していく。

あるとき少女は、おばあちゃんに訊ねた。
「死んだら、どうなるの…?」
おばあちゃんは、静かに、やさしく答えていく。
その中で、こんな話をした。
「まいは、魂と体が一緒になって、まいなんですよ。」
「魂は、成長したがっているんです。
草や木が光に向かって伸びていくように――。」
(わたしも、そういう風に想っている。)


(2色になったミツマタ、挿し木してありました)
****************
****************
先日、ある仕事で、ちょっとしたトラブルがあった。
私の負担は、数倍になった。
なんとなく話しているうちに、原因が分かった。
Aさん、「あっ、私がうっかり!!」
そのとき、私の口から出た言葉は、
「そっかぁ~♪」
彼女を責める気持ちは無かった。
いつも忙しく、色々やってくれているんだもの。

それは、いつもはBさんがやっている仕事。
彼女に出会ったとき、そのことを話した。
すると、「なんてこと…」という表情。
そのときも私の口から出た言葉は、
「原因が分って良かったよ~。次回、気をつければ良いんだから♪」

これ、本心だった。
で、帰宅して一人になって振り返ってみた。
あれは、100%純粋な気持ちだったのかな?
――なんとなく頼りなくなってきた。
良い人になろうとしている訳じゃない。
心からそう思える。
それは、
本能的に、
そういう優しい、大きな心でいたい、という願望が、
無意識の底にあるのかも・・・。

いろんな人と話してて、
どんなことも常に良く解釈して、広く受け止める人を、
素直に見れないこともある。
良い人と認めてほしがっているように見えて・・・。
ふうむ、これは
自分の宿題かな。。
こういう日常の積み重ねが、
けっこう大きなことのような気がしてきた。
とても素晴らしいおばあちゃんと、多感な少女「まい」との触れ合い。
おばあちゃんは、いつだって、
「ほんとうにそうですねー」と、
人の心を100%受けとめることができる。
そして、少女の持てるものを自然に引き出していく。

あるとき少女は、おばあちゃんに訊ねた。
「死んだら、どうなるの…?」
おばあちゃんは、静かに、やさしく答えていく。
その中で、こんな話をした。
「まいは、魂と体が一緒になって、まいなんですよ。」
「魂は、成長したがっているんです。
草や木が光に向かって伸びていくように――。」
(わたしも、そういう風に想っている。)


(2色になったミツマタ、挿し木してありました)
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先日、ある仕事で、ちょっとしたトラブルがあった。
私の負担は、数倍になった。
なんとなく話しているうちに、原因が分かった。
Aさん、「あっ、私がうっかり!!」
そのとき、私の口から出た言葉は、
「そっかぁ~♪」
彼女を責める気持ちは無かった。
いつも忙しく、色々やってくれているんだもの。

それは、いつもはBさんがやっている仕事。
彼女に出会ったとき、そのことを話した。
すると、「なんてこと…」という表情。
そのときも私の口から出た言葉は、
「原因が分って良かったよ~。次回、気をつければ良いんだから♪」

これ、本心だった。
で、帰宅して一人になって振り返ってみた。
あれは、100%純粋な気持ちだったのかな?
――なんとなく頼りなくなってきた。
良い人になろうとしている訳じゃない。
心からそう思える。
それは、
本能的に、
そういう優しい、大きな心でいたい、という願望が、
無意識の底にあるのかも・・・。

いろんな人と話してて、
どんなことも常に良く解釈して、広く受け止める人を、
素直に見れないこともある。
良い人と認めてほしがっているように見えて・・・。
ふうむ、これは
自分の宿題かな。。
こういう日常の積み重ねが、
けっこう大きなことのような気がしてきた。
失敗した話を聞くと、じゃぁ この後どうしようか?と。
失敗したことを責める心は、ありません。
自分も失敗だらけだからでしょうか?
自分が成功だらけだったら、ねたみ心も無いのかもしれませんね。
成功を繰り返すようにしなくては!
(失敗も成功と思えればいいのかな?)
人の心理って、おもしろいものですねー。
ふと気づいたんですが、
今回の、責める気持ちが、全く、ゼンゼン無かったのは、
そのAさんが、自分の失敗を純粋に認めて、受け止めていたこと。
さらに、誠意をもって、
出来る限りの手伝いをしようとしてくれたこと。
この2つが、後押ししていたような感じがします。