michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護で 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

『人にモノ言う』とき    〔ふれあい〕

2012-06-18 06:32:00 | Weblog

私がインターネットを始めたのは、難聴になってしばらくの頃。

日々辛いと感じることが多く、

「他の難聴の方々の色んなお話を聴かせてもらいたい」

と思ったのが、一番の理由でした。

パソコンの前でモタモタしながらも、その一念で、

難聴関係の掲示板に毎日参加していました。

そんな中で、私の発言に反応して、

ふつうなら「〇〇すれば良いじゃない。」と言うようなところを

   「〇〇という選択肢はないのですか?」

と言ってもらったことがあったのです。

ビックリしました。

私の人格を認めてくれている。

私が自分なりに

一生懸命考えたりやったりしていることを認めて、その上で、

 「このことは知っているのかなぁ? 

 念のために確認しておこうかな」

と思えたことを提示して下さっているらしい。

ネットだけの繋がりで、お顔も本名も知らないけれど、

すぐ横に優しく座っていてくれるような感じがして、

こころがフッと軽く弛んだようになったのを、

今でも折に触れて思い出します。

          

又、ある話し合いの中で、Aさんが

「こういう人たちは、なんで◇▽せえへんのやろ。」

と言っていて、その場全体がそういう雰囲気になった時、

Bさんは

 「どうしてしないのか、純粋に聴いてみたいと思うんやわー」

と穏やかに言ったんです。

これも心に残る一場面。

自分の意見や、

その社会では当然となっているようなことは一旦おいといて、

本人に、まっすぐ純粋に聴いてみたい、という姿勢。

――これだ、と思った。

          

人のことを言ったり、人にモノ言ったりするとき、

なるべく正確に言っていきたい、って思うんです。

(話題にもよりますが)

 「◇□は、◆■だよ。」ではなく、

 「私には、◇□は、◆■だと思えるんだけど…?」とかね。

 

 「これ、〇〇して!」

と注意するように言う場面はよくあるけれど、

言われた側は、キメツケとか、一方的・威圧的な印象を受けたりする。

 「〇〇してもらえたら助かる(嬉しい)んだけど、どうぉ?」

ということだとしたら、そのまんま伝える。

 

一緒にやっていて戸惑ったり困ったりすることがあったら、

どうしてそんな風にしているのか、こちらが分からないだけかも。

そこは、

「なにか…理由(事情)でもあるの?」っていう風に聴いていきたい。

 

  でも、

  自分の実態は・・・、

  そんな風にスッと聴いていけないことがよくあるんです。

 

  自分のこれまでの体験では、

  素直な気持ちになって、一応聴いてみたら、

  (自分にとっては)思いも寄らない事実が分かったりして、

  やっぱり聴いてみるもんだねぇ、と思ったことが何度もあります。

  勝手にキメつけたりして申し訳なかったわねぇ…と。

 

もちろん、率直に思ったまんまを言ったら良い場合もあるでしょうし、

こういうのが正しい、みたいなのは無いでしょう。

それぞれの場合や状況などに応じて、ということでしょうね。

 

 

          

 

きのうは、相手の立場に立ってみたり、

もし自分が関係者だとしたら、と置き換えてみる、

ということの大切さが思えてきました。

人と接したりするときの、自分の姿勢を、

時々でも良いから 省みていきたいと思うんです。

 これ、自戒をこめて書いてます――。

 

 

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