minga日記

minga、東京ミュージックシーンで活動する女サックス吹きの日記

安らかに眠れ・・・。

2011年09月23日 | 環境
ベースの是安則克さんが急逝された。朝起きたらもう冷たくなっていらしたそうだ。心臓発作だろうか??・・・・信じられないよぉ。

先月NYから帰国した小笠原みゆきさんのバンドで2日間ご一緒したばかりだった。

若い頃の是安さんはジャコ・パストリアスに少し面影が似ていて彫りの深い顔立ち。噂によるとロシア人の血が1/4少し混じっているって・・・本人から聞きそびれたので真偽はわからないけど。

チャーリーへイデンのような太い音で、演奏スタイルもゆらゆらと体とベースを揺らしながら演奏する。若い頃は本当に近寄りがたい雰囲気を持ったベーシストだったが、近寄ってみるともの凄く優しいお兄さんのような存在。一緒にヨーロッパツアーで大型バスに乗ってあちこち回ったり(あちらは林栄一さんのバンドで)した事もあり、あまり多くは競演していないのにたまに会うと「オッス、永田は元気?」と親しみ易い笑顔で挨拶してくれた・・・。

「是安さんって、もの凄く優しい人ですね。仏様みたい~。」
「え?俺?そんなことね~よ。」

最後となってしまったあけたの店での何気なく言った私の一言。自分がいつもあけたの店の専用駐車場を使っているのに、「今日はさっちゃん、停めていいよ、俺、コインパーキングに入れてくるから。」とわざわざ私の車を停められるようにして下さった。前日も方向が全く違うくるみさんを家まで送り届けてあげた。なんて優しい人なんだろう!と感動していたのに、本当の仏様になってしまうなんて・・・。あまりにも突然過ぎるよ、是安さん。どうぞ天国で安らかにお休みください。

★通夜式9月25日18時より19時/告別式9月26日11時より12時 東都アールホール
〒191-0062東京都日野市多摩平6-25-2 
tel 042-583-6565 (生花、花輪のご用命、その他お問い合わせ) fax 042-584-6565


是安さんの事を考えながら下北沢Lady Janeへ向かった。車を運転しながら、突然、涙が溢れてきた。なんでこんなに次々と素敵な人が亡くなって行くんだろう。自分たちが生きている事も不思議な事なのかも知れない・・・。こうなったら好きな事をどんどんやってしまおう。そんな気になる。いつ死んだって悔いのないように。


「映画芸術」という雑誌で「原田芳雄追悼特集」を企画、その中で歌手としての芳雄さんについて語る、という事で宇崎竜童さん、山崎ハコさん、そして私の3人が選ばれたのだ。レディジェーンの大木さんが進行役を勤めて下さって話はあちらこちらに飛びつつも盛りだくさん。3時間に渡る座談会になってしまった。

宇崎さんと芳雄さんとの縁、ハコさんと芳雄さんとの縁、全てがあまりに偶然のような、それでいて目にみえない赤い糸のようなもので結ばれていた。

「芳雄さんは「縁/えにし」というものを凄く大事にしていましたよね」と宇崎さん。
「そう、私の歌を演歌と書くなら縁歌、って漢字を使うといいぞ。ってアドバイスを下さったの。」とハコさん。

もの凄く興味深いお話が沢山聞けて有意義な時間を過ごさせて頂きました。

「来年の229(芳雄さんのバースデイライブ)で競演できるのを楽しみにしています!」座談会は無事終了。「映画芸術」は10/30に発売される。


武藤類子さんのスピーチ@さようなら原発5万人集会

2011年09月23日 | 環境
みなさんこんにちは。福島から参りました。 今日は、福島県内から、また、避難先から何台ものバスを連ねて、たくさんの仲間と一緒に参りました。
初めて集会やデモに参加する人もたくさんいます。
福島で起きた原発事故の悲しみを伝えよう、私たちこそが原発いらないの声をあげようと、声をかけ合いさそい合ってこの集会にやってきました。

 はじめに申し上げたい事があります。
3.11からの大変な毎日を、命を守るためにあらゆる事に取り組んできたみなさんひとりひとりを、深く尊敬いたします。
 それから、福島県民に温かい手を差し伸べ、つながり、様々な支援をしてくださった方々にお礼を申し上げます。ありがとうございます。
 そして、この事故によって、大きな荷物を背負わせることになってしまった子供たち、若い人々に、このような現実を作ってしまった世代として、心からあやまりたいと思います。本当にごめんなさい。

 皆さん、福島はとても美しいところです。東に紺碧の太平洋を臨む浜通り。桃・梨・りんごと、くだものの宝庫中通り。猪苗代湖と磐梯山のまわりには黄金色の稲穂が垂れる会津平野。そのむこうを深い山々がふちどっています。山は青く、水は清らかな私たちのふるさとです。
 3.11・原発事故を境に、その風景に、目には見えない放射能が降りそそぎ、私たちはヒバクシャとなりました。
大混乱の中で、私たちには様々なことが起こりました。
すばやく張りめぐらされた安全キャンペーンと不安のはざまで、引き裂かれていく人と人とのつながり。地域で、職場で、学校で、家庭の中で、どれだけの人々が悩み悲しんだことでしょう。 毎日、毎日、否応無くせまられる決断。逃げる、逃げない?食べる、食べない?洗濯物を外に干す、干さない?子どもにマスクをさせる、させない?畑をたがやす、たがやさない?なにかに物申す、だまる?様々な苦渋の選択がありました。
 そして、今。半年という月日の中で、次第に鮮明になってきたことは、

・真実は隠されるのだ
・国は国民を守らないのだ
・事故はいまだに終わらないのだ
・福島県民は核の実験材料にされるのだ
・ばくだいな放射性のゴミは残るのだ
・大きな犠牲の上になお、原発を推進しようとする勢力があるのだ
・私たちは棄てられたのだ

 私たちは疲れとやりきれない悲しみに深いため息をつきます。

でも口をついて出てくる言葉は、「私たちをばかにするな」「私たちの命を奪うな」です。

福島県民は今、怒りと悲しみの中から静かに立ち上がっています。
 

・子どもたちを守ろうと、母親が父親が、おばあちゃんがおじいちゃんが・・・

・自分たちの未来を奪われまいと若い世代が・・・

・大量の被曝にさらされながら、事故処理にたずさわる原発従事者を助けようと、労働者たちが・・・

・土を汚された絶望の中から農民たちが・・・

・放射能によるあらたな差別と分断を生むまいと、障がいを持った人々が・・・
・ひとりひとりの市民が・・・ 



国と東電の責任を問い続けています。そして、原発はもういらないと声をあげています。

私たちは今、静かに怒りを燃やす東北の鬼です。

私たち福島県民は、故郷を離れる者も、福島の地にとどまり生きる者も、苦悩と責任と希望を分かち合い、支えあって生きていこうと思っています。

私たちとつながってください。私たちが起こしているアクションに注目してください。政府交渉、疎開裁判、避難、保養、除染、測定、原発・放射能についての学び。そして、どこにでも出かけ、福島を語ります。今日は遠くニューヨークでスピーチをしている仲間もいます。思いつく限りのあらゆることに取り組んでいます。私たちを助けてください。どうか福島を忘れないでください。

 もうひとつ、お話したいことがあります。

それは私たち自身の生き方・暮らし方です。 私たちは、なにげなく差し込むコンセントのむこう側の世界を、想像しなければなりません。便利さや発展が、差別と犠牲の上に成り立っている事に思いをはせなければなりません。原発はその向こうにあるのです。 人類は、地球に生きるただ一種類の生き物にすぎません。自らの種族の未来を奪う生き物がほかにいるでしょうか。 私はこの地球という美しい星と調和したまっとうな生き物として生きたいです。 
ささやかでも、エネルギーを大事に使い、工夫に満ちた、豊かで創造的な暮らしを紡いでいきたいです。
どうしたら原発と対極にある新しい世界を作っていけるのか。誰にも明確な答えはわかりません。できうることは、誰かが決めた事に従うのではなく、ひとりひとりが、本当に本当に本気で、自分の頭で考え、確かに目を見開き、自分ができることを決断し、行動することだと思うのです。ひとりひとりにその力があることを思いだしましょう。
私たちは誰でも変わる勇気を持っています。奪われてきた自信を取り戻しましょう。そして、つながること。原発をなお進めようとする力が、垂直にそびえる壁ならば、限りなく横にひろがり、つながり続けていくことが、私たちの力です。
 たったいま、隣にいる人と、そっと手をつないでみてください。見つめあい、互いのつらさを聞きあいましょう。怒りと涙を許しあいましょう。今つないでいるその手のぬくもりを、日本中に、世界中に広げていきましょう。
私たちひとりひとりの、背負っていかなくてはならない荷物が途方もなく重く、道のりがどんなに過酷であっても、目をそらさずに支えあい、軽やかにほがらかに生き延びていきましょう。

さよなら原発 「ハイロアクション福島」・武藤類子

この映像の37分くらいから登場です。