minga日記

minga、東京ミュージックシーンで活動する女サックス吹きの日記

ミュージックキャンプ in 片品村「ゆうらぎ舎」vol.1

2005年10月17日 | 
 15日(土)東京は曇り時々雨
 群馬県片品村に到着したのはお昼過ぎ。芝生にドーム型のテントや、一人用の赤やグレーや緑といった色とりどりのテントがぽつり、ぽつりと立ち出していた。朝からの雨が嘘のように止み、テントを建てるときは汗ばむくらい。やっぱり晴れ女だね、といいながら尾瀬の仲間たちと再会を喜び合う。みんな今日のイベントのために一ヶ月も前から準備でがんばってくれたのだが疲れた顔ひとつせず、きらきらした目でとても楽しそうに働いている。ステージは広い芝生の上から私たちが夏にテントをはった木々の間に作られていた。雨が降っても支障のないように、木々の間をビニールの屋根がびっしり貼ってある。これなら大丈夫。絶対、いいコンサートになると確信する。
 
 東京から一緒に行った友人たちも場所を確保し、各々好きな場所にテントを張り、ゆうらぎ舎の中に入って腹ごしらえ。ゆうらぎ舎の土間に入ると真っ先に目についたのが白いかわいいカボチャの山。わ~、このカボチャに絵が書きたいよ~という衝動を抑えつつ、温かいすいとんを頂くうちにだんだん人が増えてきた。お餅つきも始まってアブドゥも知らないうちに参加している。(ワガンは車の中で熟睡中。)遼介もからみもちやおしるこがおいしくて何杯もおかわりしている。そしてなんといっても圧巻は石釜でせっせとオーナーの星野さんが焼いてくれるピザ。ここの畑でとれたバジルのペーストとトマトのジャムのピザがめちゃくちゃおいし~。焼けるたびにわっとみんなが群がってあっという間になくなってしまう。それにしても、お料理の上手なMちゃんが一ヶ月も前から何を用意しようか、と畑の野菜を利用して食べ物を次から次に出してくれているのだ。本当に感謝。もちろん、とれたてのゆうらぎ舎のりんごも丸かじりさせて頂く。ここは本当に天国。
(つづく)

「Sachi hayasaka は及びかき混ぜる」

2005年10月14日 | 家族の日常
 う~ん、すごいな。これは私のCDを外国版Amazonで見つけ、翻訳機能というボタンを押してみたらCDタイトル「Sachi Hayasaka & Stir Up!」がこういう翻訳になっていたのだ。何も、CDのタイトルとかグループ名まで訳してくれなくても・・・。Stir Up!って確かにかき混ぜるって意味だけど、好奇心をかきたてる(スラング)、って意味でつけたものです、ちなみに。面白そうなのでついでにTzadikのページもチェックしたところ、ジョンゾーンが書いてくれた推薦文がはちゃめちゃな訳になっていてました。「Minga はであるSachi 動的及び満足 の音楽的な声明」ってわけわかんない(苦笑)。CDshopなのに、「Artist によって拾い読みしなさい」「ブックマークに入れなさい」「このCDを買いなさい」って全部命令系で書かれていたりして結構笑えます。確かに数秒で翻訳してくれるのは凄いと思うけど、この翻訳機能って本当に役にたっているのでしょうか?

 さて今日は渋谷アクタス(saxの一流ブランド、セルマーの輸入元)でセルマーのアルトサックスの新作発表会がありました。マーク7から全くその後の進化を知らないので、会話には殆どついていけず、ただただ、「彫刻きれい・・・」くらいしか感想が言えないおまぬけな私。今度遊びに行って吹かせてもらおうっと。今回の楽器はチャーリーパーカーに捧げるというテーマで作成し、名前も「ハミングバード」というそうだが、わざわざアメリカやフランスからのお偉いさんが登場して楽器の説明をしてくれたのだが私の印象に残ったのは「このサックスの彫刻は普通、20分~30分かけて職人が一つ一つ作るのだが、今回の彫刻はなんと4時間もかけてます。」って事。でも、彫刻って音質とは関係あるの?と彫刻なしの安いマーク7を使っている私は多少ひがみつつ説明を聞いてました。ま、一度吹いてみんことにはなんとも言えませんけど。
 「サックスってバイオリンやベースと違って消耗品だから(だいたい3.40年が限界?)オールドとかを100万円以上で売る事事態が間違っているよね。」などと恩師の淵野氏のお言葉に同感!ちなみに恩師はヤマハで中古のオットーリンクのマウスピースがボロボロな状態なのに¥70,000もしていたので「こんなもん、?70,000で売ってどうするの?もう終わってるじゃない。」と喧嘩になったそうです。素人のサックス吹きをなめんなよ~~!
(注:淵野さん/淵野繁男マルチサックスプレーヤー・・・私が大学生時代、土岐さんのトラで教えに来てくれた2ヶ月間にブルース講座をやってくださり、そこで開眼、ブルースが吹けるようになったので今だに恩があります。)

ニホンゴキトク

2005年10月12日 | 映画、本、芝居関係
 今、図書館から借りて来た久世光彦著「ニホンゴキトク」という本を読んでいる。向田邦子さんや幸田文さんの文章なども引用されて現在はあまり使われなくなった日本語について作者が語るエッセイ集。「辛抱」「じれったい」「強情」「きまりが悪い」「時分どき」・・・etc. 確かに使わなくなっているなあ。こういう言葉はニュアンスに色っぽさ、艶っぽさがあったりして会話に出てくると(小津安二郎あたりの映画などですね。)大人の女性の色気などを感じます。私もさりげなく使ってみたい~~。「ってゆうかあ。」とか「なにげに」なんて言葉を無理に使わなくても、もっと美しい言葉が日本には沢山あるんだわ。あなたも使ってみては?意外によくってよ。(やっぱ無理があるな。)

ミュージックキャンプ 楽しみ~!

2005年10月10日 | 家族の日常
 雨が心配だ。でも晴坂としてはなんとかせねば!横浜ジャズプロだって私の出番あたりは晴れたじゃないか。なんとかなる!と全く根拠のない自信だが・・・。
 尾瀬の若者たちと出会ったのは昨年の秋だったと思う。ぺーぱーむーんでワガンのライブをやったときに出会った男の子たちが、私のライブにも来てくれ、彼らが尾瀬になぜか魅せられて・・・。「紗知さん、ぜったい尾瀬でライブやってください。」と約束してあれよあれよ、という間に今年のお正月、4月、と尾瀬のスキー場でライブをやってしまったのだ。
 尾瀬は大自然をそのまま守り続ける貴重な場所。でも歌で知ってはいるものの、行った事もなければどこにあるのかも知らなかった。尾瀬に魅せられて住み着いた若者たちはもともと神奈川のサーファーだったり、東京出身だったりする者も少なくない。でも山や自然をこよなく愛し、沢山の山に登るうちに尾瀬という理想郷と出会ってしまったようだ。今回、キャンプ&コンサートを企画した若者たちも尾瀬に魅せられ、そのまま家族と共に移住した。尾瀬のガイドをやったり、尾瀬の木道を修理したり、スノーボーダーとしても活躍するかっこいい30代だ。
 尾瀬、尾瀬といっても、厳密に言えば、今回コンサートを行う場所は片品村の農家「ゆうらぎ舎」。あたり一面畑、畑(写真参照)。沢山の野菜がとれ、芝生の上でなにやってもいいよ、という有り難い農家のおじさんが一緒になって計画してくれた。当日は尾瀬太鼓の若者も集い、こちらはセネガル太鼓で対抗する(ってシャレじゃないよ)。雨さえ降らなければ、夜の松明とスクリーンまで作って遅くまで音楽と映像のコラボレーション、とれたて野菜のおいしい食事が堪能でき、満天の星空を見ながら・・・という計画なのだ。翌日も朝からアブドゥ・バイファル(dance,vo,djembe)によるダンス教室やみんなで一緒に太鼓をワガンに習ったり、私はサックスの生徒も連れていくので、サックス教室もやってしまおうという無謀とも言うべき計画。これがたった3000円でできてしまうなんて、本当?さてさてどんな人たちと出会えるのやら。興味ある人はまだ間に合いますので、問い合わせしてみてくださいね。とにかく、今週末、晴れてくれる事を祈りつつ楽しみにしている今日この頃。

ぺーぱーむーんと新譜のお話

2005年10月09日 | 音楽&CD
 夜、久々に池袋の丸いの裏の「ぺーぱーむーん」へ飲みに行った。このお店は私たち夫婦にとってなくてはならない大切な店。私が今あるのもここのマスターのお陰と言っても過言ではない。20代、ミュージシャンになりたての私たちを常に叱咤激励し続けジャズの本当の意味などを熱く語るマスターの一樹(いっき)さんとは本当に長いつきあいだ。
 昔は常に新しいレコードががんがんかかっていて、私たちは東京に居ながらにしてNYの若手のミュージシャンたちの新しい息吹を感じる事ができた。ディビッド・マレイやスティーブ・コールマンにキップ・ハンラハン、オーネット・コールマンを知ったのもこの店だった。
 NYやヨーロッパからやってきた若手ミュージシャンたちと知り合いになって「じゃあ、一緒に演奏しようよ!」という事になると「ぺーぱーむーん」に連れて行き、入り口の狭いところでいきなり演奏、海外のミュージシャン達との「出会いの場」でもあった。演奏後に一樹さんがごきげんになってウォッカをご馳走しつつ、そのミュージシャンの新譜をかける。「OH,my God!!」とっても驚く。「どうしてこんな小さいお店に俺のCDがあるんだ?イッキ、ありがとう!」とみんな大満足で帰っていく。古い名盤といわれるようなレコードやCDはあったにもかかわらず、その頃は殆どかけなかった。

 でも最近は年のせいなのか、あまり新譜を買わなくなったようだ。その代わり、懐かしいロリンズやモンクのレコードをジャリジャリと雑音の混じった音でしんみり聴かせてくれる。あれ、こんなレコードもあったの?なんて、20年以上も通っていても知らなかったレコードやCDをかけてたりする。そんな中で今日かけてくれたのが、モンクとコルトレーンのカーネギーホールでのライブ盤。あれれ?初めて聴くぞ。「いっきさん、これってコルトレーンでしょ?モンクとのライブなんてあったっけ?」と聞くとにやっと笑って「最近でた新譜だよ。秘蔵テープが出て来たらしいんだよね。1958年のこの半年くらいだけモンクとコルトレーンはヴィレッジバンガードで演奏していたんだけど、このCDはそのときのものだって。録音がすごくいいね。」ラジオ局が録音していたらしく、この頃の音源にしてはものすごく良い音だ。しかもコルトレーンが若くてイキのいい音でばりばりとモンクと好対照に吹き捲くっている。ふう、やっぱり巨匠たちは凄いです。このCD、私も買いに行こうっと。
 家に戻って「今日ぺーぱーむーんで凄いCD聴いたよ~」と報告すると、あけたの店から戻ってきたばかりの利樹が「俺もそのCD今日聴いたよ。」ってこんな偶然ってあるんだなあ。

満員御礼~Minga at 関内小ホール~

2005年10月08日 | ライブとミュージシャンたち
 横浜ジャズプロムナード、関内小ホールは早朝(ってお昼だけど)にもかかわらず、満員御礼でした。入場できなかった方も100人ほどいらっしゃったと関係者の方々が大変残念そうにおっしゃってました。本当に入場できなかった方、ごめんなさ~い。来年はもう少し広いホールがいいですね。(って毎年言ってるような気がする)
 それにしても、出番が一番だと本当に慌ただしくって、演奏時間も約50分ってあっと言う間ですね~。ま、じっくり聴きたい人はドルフィーとかピットインにいらして下さい。特に横浜のドルフィーは生音でやってますのできっと伝わるものがあると思います。それにしても毎年来てくれる人がいて嬉しいです。今年はおおたか清流voはいなかったけど、スカパラの北原君やピアノの中島徹ちゃん、そして大義見元per、アブドゥ・バイファル(dance,vo,djembe)、ワガン・ンジャエ・ローズ(per)といった豪華なメンバーだから楽しいのは当たり前。ラストはいつものようにQuimbara で全員歌って盛り上がりました。スリーツークラーベ(ルンバの基本の拍子)もお客様と一緒にできてちょっと感動。また来年もお会いしましょう!

アンコールでおひねり!

2005年10月05日 | ライブとミュージシャンたち
 昨日に引き続き、今日は吉祥寺のサムタイム。いつもは黒田京子さんとのトリオが多いのだが、彼女は多忙の為、今月、来月は違ったメンバーでやる事になった。今日のピアニストは吉田圭一。彼は立教大学のジャズ研出身なので利樹の後輩にあたる。殆ど私とは初めてで知らない曲をやってもらうので一度我が家でリハーサルをした。彼のピアノはリズムのキレもよく、一音一音がとても誠実に音を出しているという印象(私が一番見習わなくてはいけない事)。本当に素晴らしいピアニストだった。
 雨の火曜日とあってお客様も少ししかいなかったけれど、来ていたお客様も大満足だったようで、最後のステージは体がへとへとだったのにもかかわらず、アンコールがきてしまった(苦笑)。でもこの疲れが心地よい。演奏後にお客様からおひねりまで頂き・・・ありがとうございま~す。

 このおひねりで思い出したのだが、10年前だったかな、横浜にヒルトンホテルがオープンした時に最上階のラウンジで毎週木曜日に私と黒田さんで演奏していた事があった(なんと一年間も!)。そのときは静かにスタンダードナンバーばかりを演奏するのだが、時々リクエストなどもあって「Take5」「MoonRiver」だとかをよく演奏させられた(苦笑)。
 いつものようにイケメンのウェイターが「リクエストでございます。」って紙を渡され開いてみると「ゴッド・ファーザー愛のテーマ」と書いてあった。おお、久々だなあ、この曲の名前を聞くのは、と思い客席を見回すとあきらかに893と見られる貫禄のあるおじさんが一人でぽつんと座っているではないか。きっと自分のテーマ曲にでもしているのだろうな、と思いつつ彼に向かって思い切り吹いてあげ・・・すると演奏後に5千円のおひねりをウェイターが持ってきてくれたのだ。893はこういう時本当に気前がいい。お礼を言おうと思って客席を見ると美しい女性2人に囲まれて席をたっていく後ろ姿が石原裕次郎のようだった・・・。昔横浜エアジンでも演奏後に女連れでやってきた893が「せっかく来たんだから1曲やってくれ」というので断れずに1曲演奏したら、ポンと3万円を置いて帰った事もあったっけ。山下洋輔さんたちを育てたのも阿部譲二だって話もあるくらい、893と横浜とジャズマンは密接な関係があるのかも知れないな。

バレルハウス10周年おめでとう!

2005年10月04日 | ライブとミュージシャンたち
 このところ、ライブがなかったので久々のライブはやっぱり楽しい。池袋ジャズフェスティバルで初めて聞いた若者たちがバレルハウスを探して来てくれたり、7年ぶりの横浜のファンの人が突如現れたり、中学の同窓会で久々に会った友人が来てくれたりスイスからコスマス・カピッツァperの友人が日本にやってきたので、と来てくれたり・・・なかなか面白いお客さんたちが揃って本当にうれし~!
 10周年を迎えたバレルハウスはもともとロックバー。ローリングストーンズの大ファンというソンちゃんがやっている飲み屋さんだが、7年くらい前に利樹がベース弾いて歌っているのを聞いて(ぺーぱーむーんで酔っぱらって勝手に演奏してただけなんだけど)「ぜひ、うちでも演奏してもらえませんか?」となって、鬼怒無月(g)とデュオで始まったのがきっかけ。それから毎月一度、ライブをやるようになって私もだんだん参加して・・・・今に至っている。10周年記念ライブでは鬼怒無月(g)がカルメン・マキvoをゲストに呼んで盛大にライブをやったようだ。
 私たちもパーティで、2曲ほど演奏したが、ここのお陰で面白いミュージシャンと出会うとライブをやらせてもらえる、実験の場にもなっているので本当にありがたい。
 ロック好きの若者たちが「ジャズって面白いんですね。」と言ってファンになってくれる。そういう瞬間が最高に幸せなときだ。これからも末永く、20周年めざして頑張ってね。バレルハウス万歳!!

秋の運動会

2005年10月02日 | 家族の日常
 最近、うちわネタばかりで音楽から遠ざかっているなあ、と思いつつまたまた今日も息子の話ですみません。
 朝から弁当作っていそいそと小学校へ。昨年まで、全校生徒が100人程の学校だったのだが、今年から合併し新学校での初めての運動会だ。新しい学校は前学校より校庭が狭く、いつものペースで学校に行ったら、人、人、人で溢れているではないか。朝の6時くらいから陣地をとるためにお父さんやお母さんが並ぶなんて全く知らなんだ私たち(旧小学校組)はあきらかにあぶれてしまっている。仕方ないので「敬老席」の後ろに日陰を求めつつ立つ事になった。

 昨年までは運動会の最初の歌(赤、赤、赤、白、白、白っていう歌)を聞いただけで涙が出て来て困ったものだったが、今年は最後の運動会だというのに涙が出ない。なんで・・・・?そうか、あまりに知らない子供が多すぎて感情移入できないのだ。しかも自分の子供がどこにいるのかよくわからなかったりして、じっくり演技に集中できない。去年までは一年から六年生まで、だいたいの名前と顔が一致していたのに、今年は息子のクラスの子の名前と顔すらわからないでいる。このまま卒業かと思うととても淋しいなあ。少しでもクラスの子供達の顔を覚えたいと思って息子にいろいろ聞いても「るせ~」といってとりあってくれないし、頼りは他からの情報だけ。「○○ちゃんが遼介の事好きらしいよ。」「遼介は●●ちゃんが好きなんだって。」そういう話がだ~い好きな姪っ子(同じ学年で隣のクラスにいる)から教えてもらうしかない。と思ったら、姪っ子には遼介から前の晩にメールが入っていたそうだ。「ぜったい、母ちゃんに女の子の名前とか聞かれても教えるなよ。」ひどい~~!!この年頃の男子ってみんなそうなのでしょうか?