あの日がということでテレビなどでもまた阪神大震災のことをチョコチョコやってます。
私は当時は阪急電車の仁川駅を降りて阪神競馬場の前に住んでました。
阪神淡路大震災からこの記事をアップした時間5時33分、明日で22年になります。
阪急仁川駅前から阪神競馬場へ行く道路。
今の開発された綺麗な雰囲気とは違います。
この左側にあったお店
その道路を阪神競馬場へ向いて駒の道へ出たところ
駒の道を宝塚方面へ向いたところ
家の中。食器棚とかが倒れてしまってます。
結婚して住み初めてすぐのことだったので使わずに割れたものばっかりでした。
あーあ、て感じです。
この日の前日に友人が遊びに来ていて泊まっていったら?と言っていた。
友人は帰りましたが
寝るときはここに寝てもらわないといけなかったのでもし、泊まっていたら絶対にこの下敷きになって怪我をしていたと思う。
民家の壁が全部倒れてます。
地震が起きたとき周りがこんな状態でしたから古い実家はもうないと思って公衆電話から実家に電話しました。
地震後すぐは電話もすぐに繋がりました。
そのあとは全く繋がらなくなりました。
アパートが倒れてます。今住んでいるアパートがこんな感じの建物ですが、ここの方は無事だっただろうか。
怖かったやろうなぁ。
当時仁川に住んでいたときの建物は無事でしたが私は嫁に布団を被せてその上に覆い被さって二人で「わぁー!わぁぁぁ!」と叫んで天井が落ちてもないなに「天井が落ちるぅ!」とか叫んでました。
そのとき嫁さんは「キヨトも入って!キヨトも入って!」と言ってから二人で抱き合ってギャーギャー言うてました。
この地震のとき私はトイレに起きてベッドの縁に座っていたとき揺れ始めました。揺れはじめたときは雷のように外がピカピカっ!と光りました。
この建物も倒れてます。
嫁さんの友人が一駅向こうに住んでいたので歩きながら倒れた家に「誰かいませんかぁ~?」と言いながら歩いてました。
仁川の土砂崩れがあったところです
自衛隊の車も来てますがこのときはまだ人が埋まっているのを知らずに写真を撮ってました。
地震が起きて間もないから自衛隊も一台だけやし、もちろん報道陣など人もほぼ誰もいない状態だった。
阪急今津線の線路の上に新幹線の高架が落ちている所です。
地震後すぐに職場の上司に電話して「電車が動いたら出勤します」て伝えたけど、電車が来るはずもない。
こんな状態だったのを知らずにその時は電話で伝えました。
電車が西宮北口までは走るとわかったとき、18日に実家に帰るため西宮北口駅まで歩いて行きました。道すがら公衆電話を探しながら行きましたがあるマンションの前の公衆電話がに鮮血が付いているのを見てなんとも言えない気持ちになりました。
ビルの一階が潰れてます。
西宮北口駅前の商店街。めちゃめちゃに壊れてます。
阪急電車にも家が倒れかかってます。
怖かったのは外に出てたとき立ち話をしていたら余震が来て揺れたときにザザァーンと砂ぼこりを立てて家が崩れたときでした。
このときはデジタルカメラなどなく、フィルムカメラに入っていた残りのフイルムで撮りました。
今回のものは紙焼きのスキャンではなく紙をスマホのカメラで撮ってます。
天災は防げないけど災害の備えはしておきたいと思いながら持ち出し袋は用意してない。
あきませんね。