ART COMMUNICATION IN SHIMANE みるみるの会の活動報告

島根の美術教育関係者が集まって立ち上げた対話型鑑賞の普及に努める「みるみるの会」の活動情報をお知らせするブログです。

小学校図工研修会の報告です!!

2014-08-18 20:34:10 | 対話型鑑賞
小学校図工研修会の報告です!!


みるみる会員の金谷さんが県主催の小学校図工の研修会に参加しました。さっそくレポートが届いたので、UPします!!

みるみるの金谷です。
先日、8月11日に浜田教育センターで開かれた、小学校図画工作科教育講座~子ども達の中での「立体」と「工作」/ねらいを明確にした授業づくりについて~に参加してきました。1日の研修の中に、創作活動(演習)あり、鑑賞あり、講義や実践紹介ありの、たっぷりお得な(!)講座でした。わが身を振り返り、身につまされることも多かったのですが、図工ってやっぱり楽しい!行為からイメージが生まれるって本当だ!などという、うれしい気づきもたくさんありましたので、レポートします。講師は、聖徳大学の奥村高明先生です。

演習(1)ガガ・ハット(工作・針金とアルミホイルを使った帽子作り)
ガガ・ハットの導入は、「アルミホイルでパック!」。鍵や硬貨などなど、身近なものをアルミホイルでかたどっていきました。ホイルって、意外に細かい模様も写し取れたり、手のような立体までかたどれたりできて、目から鱗です!でも、顔や全身をパックした作品(画像)を、紹介された時には、ちょっと鳥肌が立ちました。恐るべし、アルミホイル‼

 さて、ガガ・ハットです。ガガとはもちろん、レディ・ガガ様!題材名から、ワクワクしてしまいます。太いアルミの針金を手にしながら、とりあえず頭の大きさにしようと、頭に巻いてねじる。それから、それから、…と切って、つないで、ねじって、手を動かしながらテーマが浮かんで、奥村先生の言葉かけにうれしくなって、またまた、手を動かし考え試して…と、あっという間に時間が過ぎました(面白くって、もっとやりたくて、家に帰ってからもガガ・ハットを作り、今、玄関に飾っています)。

 ガガ・ハット制作後のお話の中で、奥村先生の「(僕は、みなさんを)ほめてないよね」の言葉に一瞬「?」でした。私も制作中に声をかけていただいて、うれしい気持ちになって、より手を動かすことができていたからです。「『ほめる』のではなくて『認める』、『聞く』が大事」「作品を手に取ったり、かぶったりしてみるのもいい」とおっしゃって、なるほど!と思いました。確かに、私もほめられてはいないけれど、「星があるね」とか、「複雑になってるね」と声をかけられたり、先生が作品を手に取り、ひらひらしているところを楽しそうに指でつつかれるのを見て、うれしかったし、もっとやろうと思ったからです。「認める」ことは、「言葉」で伝えたりすること以外にも、触れたり、一緒に楽しんだりするなど「身体」でもできるんだなと思いました。このうれしい気持ちを、子どもたちにも味わわせたいです。2学期の授業が、楽しみになってきました。

 それと、制作中の奥村先生の言葉かけはとても、さりげないのです。私が針金の扱いでうまくいかなかったときにも、さらーっとポイントをおっしゃる。「ん?私のこと?」というくらい、さりげない。でも、そのようにしたら、すっと、うまくいった「まじっ!?」。
そのような、演習の合間の言葉かけからも、教師としてのスキルや在りかたまでも学ぶことができました。

演習(2)では、島根県立石見美術館学芸員の廣田さんと作られた、アートカード「じろじろみてね」セットを使って、グループで鑑賞をしました。「協力しなさい」「よく見なさい」なんて言われてないのに、ゲームを楽しみながら、カードをよく見て、グループで協力している。もう、ありとあらゆるところに仕掛けや手だてが打ってあるのでした。「発達に応じた必要な手立てを打たずに、子どもが描けない・できないのを、子どものせいにしていないか?」という言葉には、たいへんドキリとしました。図工の時間だけではなく、特別支援教育にも当てはまることです。2学期に向けて、自分の子どもとのかかわり方を見直していこうと思いました。

 そうそう、島根の先生方、「じろじろみてね」セットが教材室や図工室の隅で眠っていませんか?カードを出して、「3つのヒント」や「共通点みつけ」から、アートカードゲームをはじめてみませんか?職員研修でやってみるのもいいですよ!鑑賞&チーム力がアップすること間違いなし!(…たぶん)

演習(3)では、「粘土でアニメ!」(立体)。土粘土のかたまりを練る、つまむ、押し込むなどなど、粘土とかかわる行為の中から発想が生まれる!ということを体験しました。形作っては、カメラでパシャリ。また変化させては、パシャリ。と「7枚くらいあれば(アニメが)できますよ」ということでしたが、私は面白くなってしまい、微妙に変化させながら合計60枚くらい撮っていました。粘土を触りながら、「次はこうしてみようかな」「いいこと考えた!」や、じっと静かに「どうしようかな」や、まわりを見て「なるほど」などなど、手も使うけれど、脳みそもフル回転するという体験をすることができました。

講義や質問コーナーでは、次のようなお話もありました。
・立体と工作の違い:目的があるのが工作(ガガ・ハットは、あくまでも帽子)。
・評価:エビデンスが大切、1年間や学期で考える。
・表現は道具とともにある:ねらいにあわせた、道具や材料を選択する。
・描けないのは手だてのせい。その子らしい発達に応じた手だてを打つ。
(例、画用紙の大きさなど。子どもにとっての4つ切りは、大人にとって模造紙の半分)

この研修会で、「なるほど!2学期、挑戦してみるぞー!」というようなアイデアや、モデルとなるものをたくさんいただきました。それとともに、制作しながら「うちも、なかなかやるじゃん」と思ったり、好きなものや遊びがアイデアのもとになっていることに気づいたりと、自分の中にあるパワーに気づいて元気が出たりと、ダブルで元気になりました。

2学期は、スケッチ会や作品展、学習発表会などの図工美術にかかわるイベントも多い学期です。子どもたちが、わくわくしながら活動できるか、それとも、どんよりとやらされ感を漂わせるのか…。もちろん、子どもたちとともに、わくわくしながら学習活動を展開していきたいです。そのためにも、子どもたちとのかかわり方や、ねらいにあわせた手だてについて、見直そうと思います。できていることは続けながら、うまくいかなかったことは違う手を打ちながら、わくわくして2学期をむかえたいですね。

「2学期が、まちどおしい!」そう、言えるようになりたいです(と言いながら、去りゆく夏休みを大変惜しんでいる、今日この頃です)。
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上坂レポート第3弾!長編力作ですよ!!ご覧あれ!!!

2014-08-13 17:32:01 | 対話型鑑賞
平成26年6月22日(土)14:00~
浜田市こども美術館 「はまだの美術」    ナビ  上坂 美礼
会場 伊藤 素軒(いとう そけん)の部屋
来場者  高校生2名 
 浜田市内から「みるみるの会」を求めて来場した女性 3名くらい
 描く連のみなさま 4名
 みるみるの会員 4名
 市内学芸員 2名
 大阪より  1名

 さて、鯉を描いた作品を2点見て、感じたことや考えたことを述べあった後、来場者のみなさんへ、三つめの作品に視点を移すように促した。
「何が描かれているでしょうか。」と、皆で注視している作品について、改まって問うた。
挙手をした方からは「鶏が見えます。」という発言があった。「鶏だと思ったのは、どうしてですか。」とナビである私は問い、「鶏冠があって、くちばしが見えます。」と根拠を述べてもらった。このような、当たり前に見えているようなことを、あえて言い表す問答に一体どのような意味があるのか。この時点で、その意義は定かではないが、とりあえず、「何が見えているか。」「この絵の中で何が起こっているか。」言葉にすることから、みんなで見ることは出発するのだという信念だけは確かにあり、始めた問答である。後の反省会で分かったことだが、共に鑑賞したある人から、この最初のやりとりについては不可思議であるという疑問も抱いたが、もしかしたら、その後の思考につながる一石になっていたのではないかという意見を伺った。このことから、あえて言葉にすることが、いかに思考を整理するか、改めて考える機会となった。
目の前に鶏が横たわっている、という発言に後、間もなく「その鶏は息絶えている。」という発言があった。眼に白い膜がかかっているようで生気が感じられないから、という根拠も述べられた。画面の左上に陶器が描かれているという気づきも語られた。横たわっているこの鶏は、お祝いか何かで食べるために絞められた鶏ではないかという発言もあった。そして、この作品からは、お祝いで嬉しいという感じより、何かもの悲しさを感じると青年は述べた。そのような感じ方に、ナビである私もすっかり鑑賞者の一人となって、ほうっと絵に見入っていた。人間が生きるために、食肉用に絞められている鶏の絵であるということは理解していたが、「もの悲しさ」まで語られると、そうであろうことには違いないが、その「もの悲しさ」をいったい自分はどのように感じ取っているだろうかと改めて逡巡したい気持ちにもなった。うむ、と鑑賞者の一人となり、作品を見て、また、鑑賞者の様子に目を向けると、後ろの方に座っている十代の男性が挙手をした。さきほどの青年よりも、さらに若い。高校生だと後に分かったのだが、彼の発言にも感銘を受けた。
「僕もこの鶏は息絶えていると思います。それは、周囲に描かれている枯葉の様子から伺えます。また、左上の器の中は水も入っていない、空っぽの状態に見えることからも、もうすでに生きてはいない様子が伺えます。」と述べた。彼の発言は、どこか「もの悲しさ」を起因させている要素について述べられているのでは、と改めて感心する。咄嗟にそのような判断をする術もなく、ナビである私も、それから来場者一同も、彼の読み取りに感嘆し、ただただ、おおっと息を飲んだのだった。
その後、横たわる鶏の絵は、先ほどの鯉の絵を描いた画家が描いた油彩であることなども鑑賞者から明言された。描いた年代をキャプションで確認すると、鯉の絵は戦後の作品で、鶏の屍を油彩で描いたのはもっと以前のことであることが指摘された。この画家が本当に描きたかったのは、頼まれて描いた鯉の絵ではなく、この油彩のように、自分の内なるものを表す作品ではなかったかという視点も述べられた。
ナビである私は、伊藤素軒は鯉の絵も楽しんで描いていたのではないかと考えていたが、私見は述べるべからずと、ふむふむ、とうなずくのみ。
津和野近くの日原出身で、森鴎外とも通信していたということから、津和野の鯉を実際に目にして育った画家ではないかという憶測もある。何より、2点の鯉の絵から、生きているような鯉の躍動感を描ききった画家は、鯉に自分の生命を投影させていたのではと考えるのだが、今回の3点を見て抱く勝手な感想である。暮らしのために頼まれて鯉を描いて生活をしていたそうだが、若き日に渡米して油彩画を学び、アメリカでも教壇に立ったという青年期を鑑みても、画で生計を立てようと志した伊藤素軒の画業を語るにあたり、鯉の絵だって彼の生命を削って描いたものではないだろうかというのが、私の見解である。日原歴史民俗資料館に、スケッチなども残っているそうなので、今後、改めて拝見したいところだなぁと考えた。
40分の鑑賞会のリミット時間になったので切り上げた。私の切り上げ方が唐突だったこともあり、続けて学芸員の神さんの解説が始まった。今回の展覧会開催に向け、伊藤素軒をはじめ、展覧会の作品を調査して、多くの人に見てもらいたいと展示につなげ、奔走した学芸員の神さんの話は興味深かった。伊藤素軒が欅に描いた鯉の絵が浜田市内のとある場所から借りてきた作品であることや、絹本に描いた鯉の作品が浜田市からの委託で描かれた名誉ある作品であること、また、油彩の鶏の絵から伺えることは、若き日に日本画を学んだ後に渡米して油彩画を学び、画家として身を立てようと苦心した伊藤素軒の生涯なども述べられた。「伊藤素軒といえば鯉の絵」という固定化された評価は未だ脱却され得ず、伊藤素軒の油彩画についてはあまりに評価されなさ過ぎる現状について神学芸員は憂いた。インターネットオークションで伊藤素軒の油彩画を見つけたら、ぜひ落札するようにと勧めることも忘れなかった。
みるみるの会の鑑賞会を始める数分前に、森鴎外と伊藤素軒の関係について私は神学芸員に質問していた。事前に、伊藤素軒は『ミレエ伝』というテキストを残しているようで、森鴎外がその著述に対して序文を記したとかしないとか、そのあたりのことを題材にした研究が国立国会図書館におさめられているようだ、とネット検索から見つけ、気になったためだ。その話をすると、一次資料に触れたことのある神さんは、森鴎外は序文を書かず、伊藤素軒の著述に添削を施して返したことから、二人の人間関係が伺えると教えてくれた。
そのことについて、みむみるの鑑賞会で私は触れなかった。
神さんは鴎外とのエピソードにも触れ、伊藤素軒の画業人生について語った。
神学芸員の見解では、鶏の油彩画は生活のために請われて鯉の絵を描かざるをえなかった伊藤素軒が、洋画家である自分のプライドを封じ込め、食べるために売れる絵を描かざるを得なかった自分自身をなぞらえた自画像のように見えると述べた。
私は鑑賞者の一人として、鯉も自画像ではないかと述べたい気持ちはあった。鶏の絵は、売れるとか鑑賞者に受け入れられるといった他者へおもねる視点ではなく、心に留まった一瞬を描きたいという欲求が描かせたものだとは思う。鯉の絵は、描いてほしいと請われ、対価を約束されて描いたものかもしれない。みるみるの鑑賞会の前に、神学芸員からそっと教わったことだが、後年の伊藤素軒は鯉のうろこがクロスステッチのようにおざなりな描き方をしているものもあって、そこが残念と述べていた。それにしても日原の歴史民俗資料館が所有しているスケッチがスゴイ!と絶賛し、今回は残念ながら公開できなかったと悔しそうに語っておられたのだった。
どうして伊藤素軒の作品が気になったのか。
みるみるの会で、みんなで鑑賞して分かったことも多かった。
鑑賞会が始まる前に私が緊張した面持ちで欅の鯉の絵を見ていると、いつもみるみるの会の鑑賞会に参加してくださっているある方が、「今日の鑑賞会は、売るために描かれた絵と、売るために描いたわけではない絵の違いが、どのように絵のなかに表れているかが明らかになるかどうか、そこが問題かもしれないね。」と、そっと声をかけてくださった。
売れるか売れないか、画題の選び方もあるだろう。鯉は立身出世を示唆する画題としても古くから親しまれていたし、みるみるの鑑賞会でも話題になったように、富の象徴でもあったと考えられる。古来からの画題である鯉を、図式的にではなく、生命力あふれる写実的な表現で人気を博したのだとしたら、もしかしたら洋画を学び、写生を繰り返した伊藤素軒だからこそ、描き得た表現だったからではないだろうか。趣味で絵を描くのではなく、生涯をかけて、生業として絵を描くことを選んだ人生に敬意を払いたいという気持ちもあり、気になったのだと考え至る。直感的に選びはしたが、鯉の作品の魅力について様々な視点が得られたのは、みるみるの会で多くの人から感想をいただいたからだ。
伊藤素軒は川端龍子よりおよそ10年早く生まれている。渡米し、西洋画で身を立てようと志したところに二人の共通点がある。川端龍子はボストン美術館にて鎌倉時代の絵巻「平治物語」を見て感動し、帰国後、日本画へ転向したとか。「床の間芸術」から脱却し、「会場芸術」としての日本画を主張した川端龍子の華々しい画家人生に影響を与えた「平治物語」絵巻。伊藤素軒は二十代の頃に日本画を学び、三〇代で渡米し、ボストン美術館で「平治物語」絵巻を模写した後に、本格的に洋画を学んだという。
伊藤素軒の画業について、もうちょっと詳しく知りたくなった。日原の歴史民俗資料館にも足を運んでみたいし、森鴎外との関係も気になる。ボストン美術館の「平治物語」も目にしてみたい。
日原に残っていた伊藤素軒の生家は、二、三年前に取り壊されたそうである。残された作品や伊藤素軒のことが書き記されている文献などからも画家の足跡が伺えるのではないかなと、好奇心は尽きない。

いつも作品に対して熱い想いをもって臨んでいることがわかりますね。想いが熱いから、きっと鑑賞者の発言に納得したり感心させられて、ナビ忘れちゃうんでしょうね・・・。そういうのがひしひしと伝わってくる「伊藤素軒」作品のレポート完結編でした。
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道徳と美術

2014-08-09 08:10:06 | 対話型鑑賞
5日に県の道徳教育夏季研修会に参加しました。講演講師は秋田公立美術大学の毛内嘉威(もうない よしたけ)先生でした。演題は「道徳教育の充実を目指して」~特別の教科・道徳の動向を踏まえて~というものでした。毛内先生は小学校教員の経験もお持ちで文部科学省「学習指導要領の改善に関する調査研究協力者会議委員」でもあります。その豊かな経験を踏まえて、午後の睡魔に襲われる時刻に研修者が集中を切らさない工夫も盛り込んだ実に有意義な講演でした。(この講師先生の配慮も道徳的といえるのではないかなあ・・・。などと考えていたのは私だけでしょうか???)
また、最初に私が「?」と思ったのは、美術大学の先生なのに「道徳?」というところです。実際のところ先生も「うちの大学で美術を教えないのは私だけです。あとの人はみんな美術の先生。」と講演の中で話されました。もちろん美術大学だって一般教養はあるだろうから道徳の先生がいるのは不思議でもないことですが、美術大学に在って、道徳を専門としているというところに異色な感じと美術と道徳になにか特別な関係があったりするのではないかと思い、講演に興味をもちました。
道徳の「教科」化については世間を賑わしています。確かに近年の「いじめ」問題やSNSなどを利用した誹謗中傷事案や出会い系による殺害事件等は後を絶ちません。日本人の道徳性を問われるような出来事が社会問題となっていることは憂慮すべきことだと思います。また、地域の教育力が衰えていることも事実です。近隣の方との交流は街が都会化するにつれて希薄になり、躾に厳しいおじいさんやおばあさんの姿も見られなくなりました。このような状況にあって、子どもたちの道徳心を育んでいくことを考えた時、「学校で教える」ことが求められるのは致しかたのないことなのかもしれません。毛内先生が講演の中で「家庭や地域で教えられないことを教えるのが学校です。」とおっしゃられました。都会だと学校外でいくらでも学力を伸ばすことができます。大学入試があるから高校へ行っている生徒も少なくはないでしょうが、高校に意味を感じない子どもはいわゆる大検(現在は高等学校卒業程度認定試験)をパスして大学入試に臨み、難関校に合格するという実態があることからもわかります。他にも公立学校よりも私立学校に人気があるのがなぜなのかを考えた時にも、公教育の果たす役割が都会であるほど「基礎的な学力を身に付ける」場所からシフトしていることがみえてくるのではないでしょうか・・・。
私はこの講演を聴くまで、道徳の「教科」化については大きな不安がありました。しかし、子どもたちを取り巻く環境の中で道徳心を喚起させることができないのであるならば、現状の教育システムを変更していかなければならないのではないかという発想は起るだろうと考えられます。従来の在り様では不十分だと言われても反論のできないような社会的事象がひっきりなしに起こっているのですから・・・。確かに地域格差はあると思います。私たちの住む島根県では一部の地域を除けば3世代同居も珍しいことではないですし、近所付き合いもまだまだ残っています。高齢の方から様々なことを学ぶ機会にも恵まれています。しかし、私たちが子どもの頃と大きく違っていることは情報量と情報伝達速度です。どんなに田舎に住んでいても都会でいや世界で起きていることを瞬時に入手できるし、その情報量も入手先も多岐に渡れます。そこが大きな違いで、子どもたちは情報の波にさらされながら、目の前にある暮らしとのギャップに折り合いをつけながら生きているのかもしれません。そんな中で道徳心を養うとしたら、従来の道徳では不十分だから「教科」にして、「評価」もして、という動きになることを否定できない側面があるということがわかりました・・・。本当に「教科」になるのかは文部科学省の最終判断を待たなければなりませんが、そういう時代が来ているのかもしれないと感じました・・・。
また、一方で、「?」の謎も解けたような気がします。「美術」は「美しいと感じる心」を養う教科です。「感性」とも呼ばれます。「美しい」ものには様々なものがあります。それは作品のみに限りません。美術作品の鑑賞を行えばその作品の表面的な美しさのみならず、内面に込められた意味の奥深さに気付かずにはいられません。それらを含めてその作品の持つ美しさであったり、感動をよぶものであったり、価値であるから、人の心を揺さぶるのであるということに気付きます。私たちの実践する「対話型鑑賞」は根拠をもとに語り合います。そしてナビゲーターは「どこからそう思うのか?」「そこからどう思うのか?」を繰り返し尋ねることで鑑賞者に揺さぶりをかけます。道徳の授業でも「揺さぶり」が大事であること。自分の考えの根拠や真意を確かめながら問題意識や本音を引き出すような工夫が必要であると毛内先生は話されました。私たちは作品を生徒と鑑賞しながら、美術作品を通して道徳教育も行っている感覚によくとらわれます。松本竣介の「立てる像」を鑑賞すれば、生徒は戦争について語り、未来に向かって決意している姿を感じ取ります。そこには美術の価値のみならず道徳的な価値にも気付いているという手応えがあります。
道徳も美術と同様にひとの感情に訴えることが重要です。心が揺さぶられるから道徳的な価値が自分の中に落ちていくと思います。美術で作品を鑑賞する時も心が揺さぶられ、感じることがあるから感動するのです。それを「感性」と呼ぶのであれば、「感性」の教育として「道徳」と「美術」は共通項をもっていると思いました。
最後に、何の因果か、いや、上記のような根拠からでしょう、出雲市中学校道徳部員には美術の先生がなんと3分の1も占めていたことを申し添えてレポートを終えたいと思います。
がんばろう!!美術教師!!
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夏季研修会の再度のご案内

2014-08-03 14:30:50 | 対話型鑑賞
みるみるの会の夏季研修会を以下のように開催します。1日だけの参加もOKです。参加希望の方は、下記アドレスまで申し込んでくださいね。
指導講師は京都造形芸術大学 アートコミュニケーション研究センター研究員兼講師の北野 諒氏です。北野氏は京都造芸大とみるみるの会が協力して作成した「みる・考える・話す・聴く」の執筆を担当してくださった方です。お若いですが、研究熱心な方で、たくさんの引き出しをお持ちです。お話の中に学ぶことがたくさんあると思いますので、多数の方の参加をお待ちしています!!

みるみるの会 夏季研修会案内

1.日  時  平成26年8月19日(火)  14:00~16:30
                  20日(水)   9:00~12:00

2.場  所  1日目 島根県浜田市総合福祉センター(浜田世界子ども美術館駐車場隣接)
          2日目 島根県江津市立青陵中学校

3.研修内容  1日目 
         14:00~14:10  開会行事
         14:15~15:00  美術科における評価についての実践報告
                      (みるみる会員より)
         15:10~16:00  評価についての協議
         16:10~17:00  これからの評価について
          17:00~17:10  閉会行事
         18:00~       懇親会(浜田市JR駅前:神楽)参加自由 会費:5,000円

        2日目

          8:30 ~  9:00  受付
          9:00 ~  9:10 開会行事
          9:15 ~ 10:15 ブラインド・トーク ワークショップ
         10:15 ~ 10:30   休憩 
         10:30 ~ 11:30 ヴィジュアル・シンキング・タイム
         11:30 ~ 11:50 研修会についての質疑応答 
         11:50 ~ 12:00 閉会行事
         13:00 ~        昼食会(浜田市銀天街:ケンボロー) 参加自由 昼食代

4.申し込み   ①氏名
          ②性別
          ③参加する日(1日だけの参加もOKです)
          ④連絡先(携帯番号や携帯メールでお願いします)
          ⑤懇親会参加の有無(予約の都合上明記願います)
          ⑥参加の動機(差支えなければ簡単にお書きください)

5.申込締切   8月17日

6.申込先    みるみるの会代表 春日美由紀 u-marine1115@docomo.ne.jp 
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