ART COMMUNICATION IN SHIMANE みるみるの会の活動報告

島根の美術教育関係者が集まって立ち上げた対話型鑑賞の普及に努める「みるみるの会」の活動情報をお知らせするブログです。

「まちとアートと古い家と」での対話型鑑賞ワークショップの様子をお伝えします②(2019,3,24開催)

2019-04-27 17:26:50 | 対話型鑑賞
みるみるの会の金谷です。3月24日に松江市の村松邸にて、高嶋敏展 福井一尊 二人展(ゲスト石上城行)「まちとアートと古い家と」の鑑賞ワークショップでナビゲーター(ナビ)をさせていただきました。ナビのふり返りを中心にお伝えします。


日時:平成31年3月24日 14:30~15:15
場所:登録有形文化財 村松邸(島根県松江市新雑賀町)
 ナビゲーター:金谷直美  参加者:4名

 みるみるの会について少し紹介をさせていただいた後、鑑賞会をはじめました。
 この「まちとアートと古い家と」では、3つの部屋それぞれに高嶋さん、福井さん、石上さんの作品が展示してあります。はじめに、入り口に近い部屋の石上さんの作品からスタートしました。

〇 1つ目の部屋 石上さんの作品「記憶の景色―山―」2018年 他  
<ナビとして、作者にどうつなぐ?つながない?それとも?>

 早い時点で、この作品(3点)はこの展示に合わせて作ったのか、それとも既に作られたものを組み合わせて展示しているのか?という問いが参加者からありました。それを一緒に考えたいという思いと、作者に聞いてみたいという思いが自分の中に両方あり、思わず作者である石上さんに「どうなのですか?」と聞いてしまいました(この部屋での鑑賞の最後、一区切りついた後にお話しいただきました)。今思うと「なんでやねん!違うやろ!」と自分に強く突っ込みたいのですが、とっさにそう判断していました。改めて考えると、作品のどこからそう思ったのか(問いが生まれたのか)、もう一度作品をよく見て、色や形など目にみえる事実を丁寧に出していき、それらをもとに話す中で、参加者一人一人の中に「~かもしれない」というところまで行けたのではないか。その上で、「お時間があれば、鑑賞会後に作者にそっと聞いてみるのもいいですね」と一区切りつけることもできたのではないかと思いました。

〇 2つ目の部屋 福井さんの作品「freedom」2018年 他 
<鑑賞者の思いを汲むことの大切さを感じた一間>


 形も色も大きさも様々な作品が部屋中に展示してあり、とても不思議な空間なのですが、じわじわと病みつきになるような一間(お庭も見えます)です。
 「和室の落ち着いた色合いと蛍光色の奇抜な色合いなのに、見慣れたのかもしれないが、なぜが馴染んでくる」「もしかすると、着物の金襴緞子や長襦袢にもかなり派手な色が使われていた、それらが和室に掛けてあるような感じもする。日本人のDNAの中に何かしらつながるものがある感じ」という意見や、「子どものころ使っていた蛍光ペンの様に色が立ち上がってくる感じ」といった、色からイメージが広がるようなお話がありました。その中から、ふとガラス瓶に糸が入った作品に目が留まり、話題が移っていきました。ナビとしては、ガラス瓶や中に入っている糸の色合いを近くでじっくり見ていただきたい、また糸が瓶の外に垂らしてあるものにも気づいてほしいとの思いから「この部屋の中に瓶はいくつあるのでしょうね」と、声をかけてみましたが空振りでした。もっと直接的に「瓶に近づいて見てみませんか」など言えばよかったです。空振りと言えば、この部屋に入った際に「たくさんの作品があるので、気になるものを何か選んでそこから話してみましょうか」と提案したのですが、鑑賞者のみなさんの関心とずれていたようでこちらも空振りでした。
 鑑賞者の興味や関心よりも、ナビ自身の思いで引っ張っていこうとしてもうまくいかないし、そうかと言って発言を待ちすぎていてもテンポが悪くなり停滞する(それ以前に、話したくなるようにナビが繋げていないなぁと反省)、ナビとして鑑賞者のみなさんの思いを汲むことの大切さや、その難しさを感じながら「次こそは!」と最後の部屋に移動しました。

〇 3つ目の部屋 高嶋さんの作品「小泉八雲へのオマージュ」2016年 他
<追体験・体感する鑑賞>

 「(お茶室の)炉として切ってあるところに、(壺があり)水が張ってある。本来、火があるところに水がある」「よく見ようと覗き込むけど、よく見えなくてもどかしい」などと話しながら、暗い部屋の真ん中の炉の中にある壺の水に浮かぶ写真を、5~6人で頭をつきあわせるように眺めました。作者の高嶋さんから、今回の作品は小泉八雲をテーマにしているとのお話しがありました。見えなくてもどかしい感じや、見ようとして覗き込む、至近距離で見ようとすることは、じつは作品を通して小泉八雲がやっていたこと、感じていたであろうことを追体験しているというお話もありました。八雲がはじめて怪談を聞いたのも松江のお寺であったというお話もありました。まさに暗い部屋で車座になっている私たちは、八雲も体験したかもしれない百物語の場と重なるかもしれない、今回は3つの部屋で作品を鑑賞し話す中で、古代から明治などの「昔」と「今」をそれぞれの部屋で行き来するような体験もできたのではないでしょうか、と言って鑑賞会をしめくくりました。

 参加された方から「楽しかった」「どんどん見方が変わっていった」というお声をいただきました。鑑賞会を楽しんでいただけたようで、ほっとしました。私自身としましては、参加のみなさんがもっと発言しやすいように、ナビとしてもう少し場をあたためることができたらよかったなぁ。また、なるほど!というご意見がたくさんありましたので、もっと話をつなげて深めることができたら、より豊かな時間にすることができたのになぁ。と反省しながら、もっとナビとしての力を高めようと思いました。至らぬところの多い私ではありますが、これからも精進いたしますので、また作品の前でお会いしましょう。ご参加いただき、ありがとうございました!
 主催の「どこでもミュージアム研究所」のみなさま、鑑賞ワークショップという貴重なお時間を頂きまして、たいへんありがとうございました。ぜひ、また「みるみるの会」にお声がけくださいね!一緒に楽しく豊かな時間をつくっていきましょう。


【みるみるの会からのお知らせ】

安来市加納美術館「特別企画展 平和運動開始70年 画家加納莞蕾大回顧展」で対話型鑑賞会を予定しています。
1回目 4月28日(日)13:30~
2回目 6月2日(日)13:30~
ご来館、お待ちしております
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安来市加納美術館「愛しき島根」での対話型鑑賞会の様子をお届けします(2019,3,31開催)

2019-04-09 22:00:32 | 対話型鑑賞

愛しき島根 細田育宏+細田和子 
加納美術館 2019年3月31日(日)14:00~
鑑賞作品:木精の祭典 細田育宏作
ファシリテーター:春日美由紀
鑑賞者:4名(うち1名はみるみるメンバー)


 前回の鑑賞会の時から気になっていた作品だったので皆さんと鑑賞したいと考えていました。鑑賞者の皆さんも気心の知れた方ばかりだったのでどんな意見が飛び出るか期待感MAXでした。また、タイトルは「木精の祭典」と表示されており、キャプションには「貝」をイメージしたとあるので、それらを読んで鑑賞したとして、どんな意見が出てくるのかも楽しみでした。


 最初に、「ラッパ」みたい。という発言があり、「春を感じさせるような音が聴こえてきそう。」と続きました。ラッパは外形から、春は「木で作られている」ところから温かみを感じるというところと、曲線の柔らかさから「春」を感じたと話されました。ラッパで楽しい音楽を奏でて、春を祝うような「祭典」とタイトルとも関連付けた発言になりました。また、ベルの部分と思われる当たりの木目が音が外に広がって行くような形状であることも語られました。
そして音楽つながりで「マンドリンみたい。」という発言が続きました。マンドリンをイメージしたのはやはり外形からで、細長く伸びた部分がネックで、丸みのある形が「抱きかかえたい」気持ちにさせると話されました。同様に「マンドリン」に賛同する発言がありました。やはり形状からその楽器を連想するようです。しかしキャプションには「貝」とあるので、「どこが貝なのだろうと疑問に感じる。」とも発言されました。
 皆さんが外形から楽器を連想されているようだったので、「視点を変えて、外形以外の形から何か感じるものはないか」と視点をシフトする促しをしました。そうすると美術館関係者で展示にも携わった方から「この作品はとても重たいです。大人が2~3人で抱えないと動かせないような重さがあって、それを彫っていかれたと思うのですけど、この真ん中の穴は、渦巻いていて奥までよく見えなくて、どうしてこんな穴があるんだろう?」という疑問が出されました。作家の存在は意識されているので「穴は勝手にできたのではなくて、何か意図があって作家が彫ったのだと思いますから、そこを考えてみましょう。」と促しました。「重くて硬い木だから彫るのも大変だったと思います。だから、無理な形はできないのではないかと思うのです。木の気持ちを聴いて彫っていったらこの形になったのではないのかなあ。」という発言になり、「木の気持ちを聴いて?」とファシリテーターが復唱すると「だから、ああ、耳か?渦巻きのような穴は耳?」そして「タイトルが木精とあるので、木精はやはり木の真ん中に宿るものだと思うのでその声を聴いて彫っていったらこの形ができたのではないかと思います。」とつながっていきました。

 曲線と直線が融合したフォルムには「木目の美しさを引き立たせる効果がある」や、丸みの部分には「赤ちゃんを抱っこしたときのお尻のような柔らかさを感じる」などの発言も出てきました。できるものなら「触りたい。」「すべすべしてみたい。」などとも語られたので、先の美術館関係者に「この美術館の所蔵作品なので、触ってもよい作品にしてはどうですか?」とファシリテーターが要求してみたところ「考えてみます。」との回答。「視覚に障がいのある方が触って鑑賞するという試みもなされている美術館があるので、ぜひ、前向きに検討してほしい。」と依頼しました。
 抽象形の木彫作品でタイトルやキャプションも参考にしながら限られた人数ではあったのですが、逆に気兼ねのない会話ができたために、途中からファシリテーターも鑑賞者の一人として楽しく鑑賞できました。
 「木の精の声を聴いてこの形が生まれた」というのが今回の作品鑑賞の収穫だったと思います。鑑賞に参加してくださった皆様に感謝します。ありがとうございました。

振り返り(鑑賞会の参加者から)
○彫刻は難しかったけど、最初に「ラッパ」発言があって、入りやすかったです。発言しやすくなりました。自分だけで鑑賞していたら絶対にできないことで、他者と一緒に鑑賞することの意味は大きいと感じました。
○注目してみてほしいところをファシリテーターにあらかじめ提示していただけると話しやすくなるのかなと感じます。大人は「変なこと」や「間違っているのではないか?」と思われるは嫌だから発言しないと思うから、焦点化してもらうと話しやすくなるのかなと思います。

みるみるメンバー(金谷さんから)
○テンポがよく、話しやすい雰囲気でした。返し(パラフレーズ)が端的。訊き返されることでまた考えることができるファシリテートでした。

自己の反省
○後半はファシリテーターとしてではなく、一人の鑑賞者として他の4名の方と思い思いのことを語り合っていました。それが是か非かは意見の分かれるところでしょうが、全員で5名の鑑賞会で気心も知れている方たちばかりだったので、ファシリテートの必要性を感じなくなって、最低限のパラフレーズとサマライズを時折はさむだけで会話がどんどん進んでいきました。それはとても楽しいひと時でした。
○鑑賞会を行うことで来館者数増につながることがベストなのですが、なかなか実績は上がりません。しかし、美術館理事が「次回展でも楽しみにしています。」とおっしゃってくださっているので、引き続き加納美術館で対話型鑑賞会を続けていただきたいと思います。興味を持たれた方は、次回展のチラシ等を参照にご来館いただけると幸いです。


安来市加納美術館の次回展「特別企画展 平和運動開始70年 画家加納莞蕾大回顧展」でも対話型鑑賞会を予定しています。

1回目 4月28日(日)13:30~
2回目 6月2日(日)13:30~
ご来館、お待ちしております。
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「まちとアートと古い家と」での対話型鑑賞ワークショップの様子をお届けします①(2019、3、21開催)

2019-04-01 18:51:30 | 対話型鑑賞
まちとアートと古い家と
平成31年3月21日(木)14:00~ 旧村松邸
作家:高嶋敏展・福井一尊・石上城行
ファシリテーター:春日美由紀 鑑賞者 約10名



 最初にこの展覧会の主催である高嶋さんから「対話型鑑賞」についての簡単な説明がありました。それを受けて、今回のファシリテーターである春日が鑑賞会を始めました。
 鑑賞会は最初みんなが集まった部屋に展示されている石上城行さんの作品から始めました。山のような形のテラコッタと女性像が並べて展示されており、背景には大きな雲が二つ浮かんだ青空の絵が掛かった作品です。(画像参照)



 じっくりみてもらってから、各々が感じたことや考えたことを発表してもらいました。対話型鑑賞初体験の方ばかりだったので話しやすさを大事にファシリテートしようと心掛けました。
 最初発言した方が山のような形のものと女性像が並べてあることが「分からない」、「別々のものとみてしまう」と言われたことから「並べてある」ことに「意味を見出そうとする」方や「並べてあるから、そこに意味があるだろうと考える」方がいらっしゃることが分かりました。また、作品がテラコッタであることから、埴輪のように感じる方が多く、「いにしえ」「天平」「奈良」「三輪山」などのワードが出てきました。また、背景の空の絵から「雄大な自然」を感じ、「モンゴル」「草原」などのイメージも語られました。置かれた作品は決して大きなものではありませんが、その形状と背景の絵とで「壮大さ」「広がり」を作品から感じている方が多いことが分かりました。
 1作品目で皆さんが積極的に語ってくださることが分かったので、この作品でまだまだ語ることは出来たのですが、残り2名の方の作品も鑑賞していただきたいと考えていたので、次の作品に移ることにしました。



 次の作品は隣の部屋に大きな作品群が展示してある福井一尊さんの抽象的な立体作品です。(画像参照)この作品群もまずはじっくりとみていただきました。
 作品が複数あり、鑑賞者が思い思いの作品について語ると話題が散漫になると考えたので、どれかに焦点を絞りたいと思いました。鑑賞者に鑑賞作品にリクエストはないか尋ねましたが、特に希望が無かったので、リーフレットに採用されている緑色に塗られた横長の作品について語っていただくことにしました。
 色に対する衝撃(ショッキングな色で塗られたものが多いことから)が語られ、「3Dのように見えた。」という発言から始まりました。しかし、抽象的な形状なのに下を支えている部分が生き物の脚のようにみえる「グロテスクさ」「生き物的」などの意見が出され、隣の桃色の縦長の作品の下部も「脚」にみえて「動き出しそう」にみえるとも語られました。また、和室になじんでいる。違和感がない。など、部屋と作品の関係について語られたり、銀色に塗られた半月上の作品がキッチンにある包丁にみえた瞬間に残りのものがキッチン用品にみえてきたりなど、様々な受け止めが鑑賞者の中で起きていることが分かりました。難解そうな抽象作品もみんなで語っていくとみえてくるものがあることを感じさせました。ここまでで1作品に対して10分程度の鑑賞時間でした。


 最後に少し離れて奥まった部屋にある高嶋敏展さんの作品を移動して鑑賞しました。


この部屋には2つの作品がありましたが、自由にみていただいて、どちらの作品から発言が始まるかファシリテーターは様子見をすることにしました。そうしたら、炉に埋め込まれた作品からお話が始まったので、この作品について鑑賞することにしました。お茶の心得の有る方から「お茶の仕様と違っている。炉には炭があって釜があるものなのに、これはそうではない。」という発言から鑑賞が始まりました。「炉に火鉢が埋めてあって、その中に水が張ってある。なぜなんだろう。」「浮かべてある写真には何か文字のようなものが書かれているがよくみえない。覗き込んでしまう。」「井戸?」「炉の四角な形状と中に水があることから井戸を連想する。」「でも、中にある物をよくみようと覗き込むと、危険。」「ちょっと妖しい。」「小泉八雲の妖怪の世界みたい。」「このライトが吊るされているのが釣瓶にみえるから、余計に井戸みたいにみえるのだろうか?」「ライトも吊るされているけれど、風や人の気配で揺れるから、照らされているところが微妙に動いて、余計に妖しさが増す。」などの意見が次から次に出ました。炉にはめ込まれた作品を鑑賞するだけですでに10分が経過していましたので、床に飾られた作品については、24日に鑑賞するかも知れないと告知して3作品約30分の鑑賞会を終えました。

 
 鑑賞を終えて
 鑑賞会が終わってもみなさんその場を去りがたいのか、それぞれが固まって作品について語り続ける姿がみられました。市内から参加の陶芸家の方は「とても楽しかった。作家さんには、あまり突っ込んで訊くと失礼かな?と思うこともあるので、こうやって自由に好き勝手に話し合えるのはとてもよかった。」と話してくださいました。
 また、作家の福井さんは鑑賞会に鑑賞者として参加してくださり「見方が変わりますね。ほんと、最初にみえていたものから変わっていくのが面白かった。」と語られました。参加者の女性から「正解がなくていい。感じたことを勝手に言っていい。人の話にはその人の個性が感じられる。同じ空間にいるのに全然違う受け取り方。いろんな発見を体験しました。押し付けないファシリテーターの口調がリラックスした雰囲気を作ってくださって抵抗なく発言できました。静かな部屋なのに、イメージが渦巻き始めると見えないけれど面白い世界の存在を感じました。」男性の参加者からは「名ファシリテーターでした。楽しかったです。」とお褒めの言葉をいただきました。作家の方からは「なかなかよい空気が流れていたと思います。続けることの大切さを感じました。」主催の方からは「島根でアートイベントに人は来ません。」と言われていたのですが、蓋を開けてみるとたくさんの方に参加していただけて、自分としてもアートイベントに手応えを感じた一日でした。

(みるみるメンバー参加者:金谷さんのコメント)
 テンポが良くて、どんどん話したくなるような空気感が終始ありました。お互いに聴き合い、話していくなかで、だんだんと仲間意識というか親密度が増していくような感じを受けました。始めの部屋での雰囲気と最後のお茶室での鑑賞者のみなさんの雰囲気が何だか違うようにも感じました。鑑賞会に参加された皆さんの間に、あたたかなつながりが生まれ、そこに作品の魅力も相まって、会が終わっても作品について語り続けられる姿があったのではないかと思います。

 最後に
 対話型鑑賞に参加するのは初めての方がほとんどだったので、「話しやすさ」「何を話してもよい」「正解はない」という基本姿勢が鑑賞者に伝わっていたようで安心しました。
 大きな美術館の展示室で行う鑑賞会とは一味違った鑑賞を体験する事ができました。この機会を与えてくださった「どこでもアート研究所」の皆さんに感謝します。

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