特別展 安部朱美ふたたび ~明日へのまなざし~
島根安来市加納美術館 8月24日(土)14:00~
初回の対話型鑑賞会 14:00~
鑑賞作品 或る夏の日
ナビゲーター:春日美由紀
今回の鑑賞作品は画像からも分かるように、夏の縁側で切ったスイカを食べている人々の群像です。像は淡い色で彩色されているので、手に持ったり、頬ばったりしているスイカの赤く熟した色が際立ちます。私の過去の記憶ともリンクするこの作品を皆さんと共有したいと考えました。
最初、時間になっても、積極的に参加しようとする方の姿はなく、会場にいた複数のグループに向けて、鑑賞会への参加を呼びかけました。ギャラリー・トークとは違って、参加者が話さないといけないというのは、大人にとってはハードルが高いようです。前回の県立美術館での実践でも感じましたが、大人は人前で「何かを話す」ということへの抵抗感が強いように今回も思いました。
鑑賞作品をアナウンスし、半ば強引に、「面白くなかったら、途中でやめても構わない」ことや「みて感じたことを、自由に話してくださるだけでよい」ことを伝えたところ、バラバラと10名くらいの方が作品の前に集まってくださいました。
いつもなら対話型鑑賞のやり方を説明してから始めるのですが、集まってくださった参加者の皆さんを逃したくなかったので、難しい講釈はせずに、「まずはじっくり作品を鑑賞してください。」と声をかけました。「すでにみた方も、もう一度、この作品をよくみてくださいね。」と再度みてもらうように促しました。
ほどよい時間の経過を見計らって、「みて、感じたことや、思ったことをなんでもいいので、話してください。」と声をかけました。このタイミングで、房野会員が椅子を配り、座るように促してくれたのは助かりました。作品が少し低い位置に展示されているので、立っていると、後ろの方の人には作品がみえづらいからです。皆さんが着席されるのを待って再開しました。
鑑賞会の流れ◆ナビゲーター ●参加者
◆自由に「感じたことや、思ったこと」を話してもらう。※①
●お爺さんに注目して「こんなお爺さんがいた。懐かしい。」
●全体像から「こんな風にスイカを食べたよねえ。今はもう食べられないけど…。」※②
●「スイカの種を飛ばしながら食べた。今はもうそんなことができる場所がない。」
●昔のスイカは種が多くて食べるのが大変だった。現在は品種改良もあって種が少ない。現代の子どもは、スイカの種がうまく吐き出せないよ。
●お爺さんの隣の男性をみて「ご近所さんが野良仕事帰り通りかかった。お爺さんが、スイカ食べていけ。って言って、スイカをごちそうになっているところ。幼馴染じゃないかな。」
●時刻は夕方。昔は、夕ご飯の前に、水分を取って、疲れをいやしてから、夕ご飯を食べた。スイカは水分補給。みんな食べているから、この後、夕ご飯を食べる。
●だから、お爺さんの隣の人も、野良仕事帰り。首にタオルを巻いている。
◆話しやすい雰囲気ができてきたので、表現されている人物の関係を訊ねてみた※③
●家族、でも、近所の子どもや親せきの子もいると思う。お爺さんの隣もご近所さん。
◆詳細に人間関係をみていく流れにならない。概観して終わる感じ。
そこで、さらに、人物の置かれている位置について考えてもらうことにする。※④
●偉い人が一番前にいて、一番後ろにお嫁さんが控えている。お婆さんも真ん中で控えめ。団扇で、みんなを扇いでいる。お婆さんのスイカはお皿に乗せられている。でも、手を付けていない。後で、足りなかった孫に食べさせるのでは?
●真ん中あたりに板状のものがあり、そこにスイカが並べられているのをみて、「昔はまな板でスイカを切って、お盆なんかに乗せずに、そのまま出した。そのまな板がある。」「まな板は、切った物が滑って落ちないように、縁がついていた。このまな板にもそれがある。」※⑤
●一番奥にお嫁さんがいて、赤ちゃんをみている。
◆赤ちゃんは、男の子?女の子?
●青い掛物を掛けているから、男の子。髪も短い。
◆この家の二人目の男の子ですかね?男の子一人しかいないみたいなんだけど?
●この男の子の持っているスイカが大きい。跡取りだ。昔は、男の子が先に取った。一番いいところを跡取りが取った。そこに違和感もなかった。そんなものだと思っていた。現在とは違って…。
「参加者の皆さんが懐かしさを感じる作品を共にみられてよかったです。私もこの作品と同じような思い出があるので、今日は皆さんと一緒にこの作品を鑑賞することができてよかったです。」と、話して締めくくりました。(対話時間約20分)
振り返り
まず、※①~⑤について
※①発言に対して「どこからそう思ったのか?」と始めから細かく追及すると、発言が消極的になってしまわないか、危惧したため。
※②「食べられない」について、「食べられない」と話した意味について。「できない」と感じたのはなぜか?こんな風に食べられる「庭」や「スペース」がなくなった。とのこと。
※③子どもはどういう関係の集まりなのかを考えてほしいと思ったが、人間関係を詳細にみていこうとするより、自分の思いついたことを話したい空気感が強かった。
※④人物の並び方に注目することで、昭和の家の在り方みたいなものが話題にあがるとよいと考えた。
※⑤縁側に腰掛ける人たちとお婆さんの間に板状のものがあり、何なのか不思議に思っていたが、「まな板」ということが分かった。縁のあるまな板らしい。
房野会員より
※③の投げかけが「秀逸だった。」とのコメントを頂いた。こちらとしては、話題があちこちする中、どうしたら、みんなで「一つのことについて語りあえるか」という悩みながらの投げかけだった。
今回の作品は、「古き良き昭和」を彷彿とさせる作品だったが、「懐かしい」「こんな時代があったよね」で終わらず、「失ってしまったもの」は元には戻らず、失ってしまった後を、私たちはどう生きていくのかということについても考えていけたらよかったのですが、そこまで深めることができませんでした。話しやすい雰囲気ができてきたころに、ナビが「どこから?」「そこから?」を意識的に問いかけるギア・チェンジが※③のところあたりでできていたら、深まったのではないかと反省するところです。
半ば強引な誘い掛けに応じていただき、たくさんの発言をしてくださった参加者のみなさまに感謝します。ありがとうございました。
島根安来市加納美術館 8月24日(土)14:00~
初回の対話型鑑賞会 14:00~
鑑賞作品 或る夏の日
ナビゲーター:春日美由紀
今回の鑑賞作品は画像からも分かるように、夏の縁側で切ったスイカを食べている人々の群像です。像は淡い色で彩色されているので、手に持ったり、頬ばったりしているスイカの赤く熟した色が際立ちます。私の過去の記憶ともリンクするこの作品を皆さんと共有したいと考えました。
最初、時間になっても、積極的に参加しようとする方の姿はなく、会場にいた複数のグループに向けて、鑑賞会への参加を呼びかけました。ギャラリー・トークとは違って、参加者が話さないといけないというのは、大人にとってはハードルが高いようです。前回の県立美術館での実践でも感じましたが、大人は人前で「何かを話す」ということへの抵抗感が強いように今回も思いました。
鑑賞作品をアナウンスし、半ば強引に、「面白くなかったら、途中でやめても構わない」ことや「みて感じたことを、自由に話してくださるだけでよい」ことを伝えたところ、バラバラと10名くらいの方が作品の前に集まってくださいました。
いつもなら対話型鑑賞のやり方を説明してから始めるのですが、集まってくださった参加者の皆さんを逃したくなかったので、難しい講釈はせずに、「まずはじっくり作品を鑑賞してください。」と声をかけました。「すでにみた方も、もう一度、この作品をよくみてくださいね。」と再度みてもらうように促しました。
ほどよい時間の経過を見計らって、「みて、感じたことや、思ったことをなんでもいいので、話してください。」と声をかけました。このタイミングで、房野会員が椅子を配り、座るように促してくれたのは助かりました。作品が少し低い位置に展示されているので、立っていると、後ろの方の人には作品がみえづらいからです。皆さんが着席されるのを待って再開しました。
鑑賞会の流れ◆ナビゲーター ●参加者
◆自由に「感じたことや、思ったこと」を話してもらう。※①
●お爺さんに注目して「こんなお爺さんがいた。懐かしい。」
●全体像から「こんな風にスイカを食べたよねえ。今はもう食べられないけど…。」※②
●「スイカの種を飛ばしながら食べた。今はもうそんなことができる場所がない。」
●昔のスイカは種が多くて食べるのが大変だった。現在は品種改良もあって種が少ない。現代の子どもは、スイカの種がうまく吐き出せないよ。
●お爺さんの隣の男性をみて「ご近所さんが野良仕事帰り通りかかった。お爺さんが、スイカ食べていけ。って言って、スイカをごちそうになっているところ。幼馴染じゃないかな。」
●時刻は夕方。昔は、夕ご飯の前に、水分を取って、疲れをいやしてから、夕ご飯を食べた。スイカは水分補給。みんな食べているから、この後、夕ご飯を食べる。
●だから、お爺さんの隣の人も、野良仕事帰り。首にタオルを巻いている。
◆話しやすい雰囲気ができてきたので、表現されている人物の関係を訊ねてみた※③
●家族、でも、近所の子どもや親せきの子もいると思う。お爺さんの隣もご近所さん。
◆詳細に人間関係をみていく流れにならない。概観して終わる感じ。
そこで、さらに、人物の置かれている位置について考えてもらうことにする。※④
●偉い人が一番前にいて、一番後ろにお嫁さんが控えている。お婆さんも真ん中で控えめ。団扇で、みんなを扇いでいる。お婆さんのスイカはお皿に乗せられている。でも、手を付けていない。後で、足りなかった孫に食べさせるのでは?
●真ん中あたりに板状のものがあり、そこにスイカが並べられているのをみて、「昔はまな板でスイカを切って、お盆なんかに乗せずに、そのまま出した。そのまな板がある。」「まな板は、切った物が滑って落ちないように、縁がついていた。このまな板にもそれがある。」※⑤
●一番奥にお嫁さんがいて、赤ちゃんをみている。
◆赤ちゃんは、男の子?女の子?
●青い掛物を掛けているから、男の子。髪も短い。
◆この家の二人目の男の子ですかね?男の子一人しかいないみたいなんだけど?
●この男の子の持っているスイカが大きい。跡取りだ。昔は、男の子が先に取った。一番いいところを跡取りが取った。そこに違和感もなかった。そんなものだと思っていた。現在とは違って…。
「参加者の皆さんが懐かしさを感じる作品を共にみられてよかったです。私もこの作品と同じような思い出があるので、今日は皆さんと一緒にこの作品を鑑賞することができてよかったです。」と、話して締めくくりました。(対話時間約20分)
振り返り
まず、※①~⑤について
※①発言に対して「どこからそう思ったのか?」と始めから細かく追及すると、発言が消極的になってしまわないか、危惧したため。
※②「食べられない」について、「食べられない」と話した意味について。「できない」と感じたのはなぜか?こんな風に食べられる「庭」や「スペース」がなくなった。とのこと。
※③子どもはどういう関係の集まりなのかを考えてほしいと思ったが、人間関係を詳細にみていこうとするより、自分の思いついたことを話したい空気感が強かった。
※④人物の並び方に注目することで、昭和の家の在り方みたいなものが話題にあがるとよいと考えた。
※⑤縁側に腰掛ける人たちとお婆さんの間に板状のものがあり、何なのか不思議に思っていたが、「まな板」ということが分かった。縁のあるまな板らしい。
房野会員より
※③の投げかけが「秀逸だった。」とのコメントを頂いた。こちらとしては、話題があちこちする中、どうしたら、みんなで「一つのことについて語りあえるか」という悩みながらの投げかけだった。
今回の作品は、「古き良き昭和」を彷彿とさせる作品だったが、「懐かしい」「こんな時代があったよね」で終わらず、「失ってしまったもの」は元には戻らず、失ってしまった後を、私たちはどう生きていくのかということについても考えていけたらよかったのですが、そこまで深めることができませんでした。話しやすい雰囲気ができてきたころに、ナビが「どこから?」「そこから?」を意識的に問いかけるギア・チェンジが※③のところあたりでできていたら、深まったのではないかと反省するところです。
半ば強引な誘い掛けに応じていただき、たくさんの発言をしてくださった参加者のみなさまに感謝します。ありがとうございました。