ART COMMUNICATION IN SHIMANE みるみるの会の活動報告

島根の美術教育関係者が集まって立ち上げた対話型鑑賞の普及に努める「みるみるの会」の活動情報をお知らせするブログです。

越後妻有大地の芸術祭の作品をオンラインで鑑賞しました

2021-11-18 20:10:38 | 対話型鑑賞

オンラインみるみるの会 11月例会

鑑賞作品「たくさんの失われた窓のために」内海昭子作 2006年制作

鑑賞したもの:動画と静止画(春日撮影のものと越後妻有大地の芸術祭HPより)

ファシリテーター:春日美由紀

鑑賞者:みるみるの会会員・山口みかんはなきのメンバー・これらのネットワークからの方々9名

作品は下記にアクセスしてほしい。

たくさんの失われた窓のために - 作品|大地の芸術祭 (echigo-tsumari.jp)

 

今年度、私が所属する京都芸術大学アート・コミュニケーション研究センターに来年度開催される4年に一度の本祭(本当は今年だがコロナで延期)を迎える越後妻有大地の芸術祭の運営に携わる方から、ガイドスタッフに向けて対話型鑑賞のファシリテーターを育成できないかとのオファーがあった。オンラインでのファシリテーション練習や講義を踏まえながら、現地での研修、実践に伴走してきた。現地実践での最終作品が今回の作品である。自身は現地ガイドがファシリテーションを行うのを観察し、助言を行う立場だったので、ファシリテーションをすることが出来ない。現地でファシリテーションしてみたかったと思うとても魅力的なこの作品で、オンラインではあるがぜひ仲間と鑑賞したいと思い、今回の実践となった。

  鑑賞にあたっては、現地に赴くことは困難なことから、どうやったら、現地にいるかのように鑑賞できるかを考えた。幸いにも動画を撮影していたので、その動画と静止画を両方鑑賞してもらうことを思いついた。しかし、みんなで同じ動画を幾度もみるのは時間が無駄になると考え、動画はスマホなどで各自が手元で好きなだけ再生して鑑賞してもらえるようにし、画面共有する作品は静止画像とした。それは、一応、同じ画面をみながら話すということと、その話していることをポインティングで確認するのに都合がよいと考えたためである。

  作品はFBにUPしたものをQRコード化し、共有画面から読み取ってもらった。しかし、ここに若干の落とし穴が・・・。FBで友だちになっていない方はQRコードを読み取っても、動画視聴が出来なということが、今回やってみて分かった。幾人かの参加者と、その場でFBの友だちになってから、という、ひと手間がかかったので、スタートが少しもたついた。その間、早く動画にアクセスできた方を若干待たせることとなった。また、途中からの参加者があると、QRコードを読み取ることが出来ないので、チャットにリンクを貼れるような準備も必要であることも今回の収穫である。YouTubeなどに動画をUPすれば簡単にシェアできたのだろう。その手間を惜しんだのは反省・・・。今後のためにも、そのあたりをクリアしていきたい。

 

  さて、鑑賞会の様子だが、スタートでもたついた時間を除いて約45分、途切れることなく発言が続いた。▶は鑑賞者の発言:F)はファシリテーター

▶窓枠のようなものの「こちら」と「あちら」を意識する。

▶手前と奥で自分の存在を隔てるものとしての「鳥居」を連想する。

▶枠のようなものがあることにより、一体感を感じる。

▶カーテンのようなものの揺らぎに非日常(解放)を感じていたが、全体が映し出されることによって現実(閉塞)、枠があることと布に向こうが遮られていることから閉塞感を感じる。

▶空のさわやかさの中にもどこか切なさを感じるのは「枠」だけしかない、「枠」しかない、生活の場ではない、生活の基盤が失われていることに由来するのかもと話す。

▶普段の日常の美しさに気づかされる、ふだんなら意識しない「風」がカーテンのようなものがあることで「気づかされた」と話す。

▶最初は心地よさ、揺らぎ、静止しているものと、動いているもの、カーテンのようなものがあることで、みえると、みえない、が意識されて、そこに心地よさを感じると話す。静止画と動画を見比べることによっても生じる心地よさ。

▶枠のあちらとこちら、何か隔てるようなもの、と思っていたが、引いてみると、そんなものは無くて、向こうからもこっちがみえるし、そもそも、枠や隔てるものは無いんだということに気づかされたと話す。

 

F)窓のような枠とカーテンのような布があることから気づかされることについての話が続いていたので、少し視点を変える問いを投げた。「ここにこれがあるということについても考えていきたい」と、そして、静止画像の別バージョンを2点追加した。

 

▶枠の中にみえるものについて考えるとすると、山がみえるので、山の存在。やっぱり神様が気になるので、風の揺らぎもあって、隔たっているのではなく、行き来がある感じ。

▶自然は一様ではないので、好天の日もあれば荒天の日もあって、そう思うと、枠だけなのはどこか心許なくて不安、ここにあることの意味についてはまだ考えが及ばないが、山と自然なのかなあ・・・。

▶自然のよさと厳しさ、枠があると、その枠の中をみる、でも、カーテンがあってみえなくされている。でもそのカーテンも締まりきらない。みえなくされているけど、みなさいよ。というメッセージ。自然のよさ、また、枠しかないことから東日本大震災で根こそぎ持って行かれた家の残骸を想起する。自然のよさと厳しさ、みたいなものを目をそらさないでちゃんとみてよということかな。

▶自然は厳しいけど、でも、美しい、自然は大事、自然は怖いけど、美しいよね、ということを、連想した。

▶電線が無粋、枠が額のようにみえて、カーテンがあることで目線が誘われて特別なものに思えてくる。ただのいつもと同じ風景の中に電線が3本あっても、特別に思えてくる。電線には人の営みがあるので、それも含めて美しくみえる。

▶枠、額、フレーム、人それぞれにフレーム(解釈)があって、それでみている。ここにフレームが置かれることによって気づくことがある。それは人それぞれ。何もないと「きれいな風景だね。」で終わるけど、フレームがあることでフォーカスされて、考えることにつながるのではないか。

▶電線のあることの意味を考えた。電線から電気つながりで、水力発電、風力発電、で、もしかしたら、その山の向こうに原発?

▶川がある、神様の通り道、そういったことを自分の住まいの近所にある神社と関連付けて考えた。

 

F)さらに、枠の中にみえているものについて考えるように促す。人の暮らしを感じさせる電線とか、話題に出たが、では、川は?山に霊的な神聖なものを感じる、などと発言されたことを追加する。

 

▶みなさんの発言にいちいち納得。あっちとこっちとか、ここにある意味は最大の謎。今、神様の通り道で、川って、水って、神様というか、神秘的なもの、超自然的な偉大な存在、運ぶとか、向こうの山もなだらかで落ち着いた山容。川も、自然に対する畏敬の念、ここにフレームがあることによって考えさせられるなあって思う。

 

F)鑑賞会のまとめを締めくくる

山、川、田んぼ、日本人の原風景、で、川があるのはすごい大事なのではないか。水が無いと人は生きていけないし、農耕にも欠かせない、昔は川も神様だった、でも川は暴れるから、美しいけど時に猛威を振るう、っていうことにも通じる。で、水の源は山にある。山が無かったら川は流れてこない。というふうなことも考えたときに、なんかこの場所からみえるものは日本人にとって欠かせないようなもの、で、現代の日本人の生活を支えている電力も無粋なようだけど、きちんと切り取られてここに収められていることを「みなさい!」って言っているのではないか?枠が無かったら気づかず通り過ぎる。「きれいねえ~~。」で終わり。でも、ここにこれがあるから、切り取られるから、気づかせるためにあるのか?で、カーテンがついているのは、普段は意識しない「風」をカーテンの揺らぎによって、どっちから吹いているのか?どのくらいの強さなのか?今日は風が無いのか?などということまでも感じてもらえるように「みえる化」する、より「顕在化」させるために、布をカーテンのように付けているのか、などと、皆さんのお話を聴きながら考えました。ありがとうございました。

 

振り返り

  ファシリテーションに関する意見は参加者からは特になかった。動画と静止画のハイブリットの鑑賞に関する感想が中心となった。静止画を共有しながら手元で各自が動画再生することについては好評だった。ただ、手元で動画再生する際の情報提供には課題が残った。

  一人だと「ふ~~ん」で終わりそうな、よく分からない現代アートを複数人でみると各人の見方を得ることができ、有意義な時間が過ごせたという感想もあった。また、こうやって鑑賞することで、現地でこの作品をみたいという気持ちになったと話される方もいた。

  ACOPの対話型鑑賞については原点回帰で基礎基本を大事にしながら鑑賞していくことを心がける一方で、新たな鑑賞法についても模索していきたい。巨大な屋外作品やインスタレーションは静止画像だけでは限界があるので今回のような動画視聴も併用した鑑賞やさらに革新的な鑑賞にも挑戦していきたい。私の個人的な興味に付き合ってくれるみるみるの会のメンバーやみかんはなきのメンバーに感謝したい。

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9月のオンラインみるみるのレポートをお届けします!会員外の参加も続々!

2021-11-03 16:25:29 | 対話型鑑賞


オンラインの強みを生かし、県外や会員以外の方の参加者も増えてきました。
今回は山口県の「みかんはなきの会」の渡邉さんがナビに挑戦です!

2021.9.24 20:00
オンライン鑑賞会
作品「せのひくいおれんじはまんなかあたり」元永定正 1984年 シルクスクリーン
ナビゲーター:渡邉貴之


1 はじめに
 私は、令和元年に、浜田市世界こども美術館で行われた本会例会でナビをして以来、2回目のナビであった。
 8月に山口市のYCAMで開催されたナビゲーターキャンプに参加して対話型鑑賞について学ぶことができ、ここでの学びを生かしたいという思いもあって、今回手を挙げた。

2 対話型鑑賞の様子
 以下に、鑑賞の様子を箇条書きにして記述する。
・ 自分のPC上のzoomの設定方法が分からず、画面共有で作品を提示したものの数分間は設定に関するやりとりの声が飛び交ってしまい、鑑賞者が静かに見るのを妨げてしまった。このあたりは、オンライン鑑賞会の難しさだと感じた。
・ ナビとしての最初の質問は「何が見えるでしょうか」であった。これについては、後の振り返りで、「この質問では、見えるもの『だけ』を答えさせることになる」と指摘を受けた。
・ 作品の中ではいくつかの「立っているもの」(仮にこう呼ぶ)が存在する。これらが人のようだとの声が上がった。画面中央には「立っているもの」2体が、まるで口を開けて火を噴いているようだとの声も上がった。
・ 画面をよくみると、「立っているもの」が描かれているように見えていたのが、逆にそれらは「図」ではなく「地」であり、ベージュ色に塗られた壁のようなものに穴が開いていて、「立っているもの」は壁の向こう側が見えているのではないか、という発言があった。地と図の逆転が起きたという訳だ。これについては後の振り返りで、ナビの自分は「なるほどー」とすぐに了解してしまったが、鑑賞者全体の理解ができたかどうかを今一度確かめてもよかったのではないか(さらに深掘りして聞いてみるなど)と反省している。
・ 右から2番目の「立っているもの」の頭部の中に、丸い穴のようなものがあるとの発言があった。これについては、会の前の自分自身の鑑賞不足で気付いていなかったため、発言に応じた対応ができず、焦ってしまった。
・ 画面下部に、青い帯状の形がある。「立っているもの」はそれらの上につながって立っている。これが実は海であり、海洋汚染についてのメッセージを発しているのではないかとの発言もあった。このことも自分にとっては想定外の見方で、そこを起点とした対話の広がりをつくることができなかった。
・ 一番右側の「立っているもの」は口を大きく開いているように見えて、先述の「地と図の逆転」をもとに考えると、開いた口が屋根の形に見え、複数の「立っているもの」は実は「家の中の家族」という意味合いがあるのではないか、という発言が出た。思いがけず、鑑賞者の前の発言が後の発言のきっかけをつくった形となった。ナビとしては、コネクトによって発言と発言の接続が成立するのが理想なのだろうが、この時は、鑑賞者同士の発言の積み重なりが、豊かな見方を生み出すこととなった。

3 振り返りの様子
 30分程度の鑑賞を終え、振り返りの中で出た指摘を反省も織り交ぜて記述する。
・ 中盤までポインティングをしていなかったとの指摘があった。これは、画面共有中の自分のカーソルが鑑賞者にも見えることが分からなかったためである。オンラインでナビを行う際には、このことも含めてzoomの操作や設定等を事前に確認しておく必要があると感じた。
・ 自分としては、パラフレーズとフレーミングはできるだけ丁寧に行おうという気持ちで臨んだ。これは、YCAMのナビゲーターキャンプでの学びを実践に生かそうという意図である。極力おうむ返しでない言い換え(パラフレーズ)で、また「今○○さんは描かれているものの見え方についてお話ししてくださいましたが…」というふうに鑑賞のフレーミング(枠組み)にも目を向けつつ進めることができたと感じた。
・ 「ナビ自身が、この会を行う前にどれだけ作品を鑑賞しましたか?」という参加者の声が、自分自身の未熟さを痛感した指摘であった。私自身が勤務している小学校の担任学級(2年生)において、一度この作品で鑑賞を行った。子どもたちの食いつきがよく、それなりに多様な感じ方も出たため、自分自身もこの作品をしっかりと鑑賞したつもりになっていた。しかし全く鑑賞が不足していた。それは、ナビの私自身が鑑賞中に「へえー、そんな見方があるんですねー」と驚く態度を見せたことから分かったようだ。ナビは作品についてあらゆる要素を見て感じて考えておく必要がある、ということだろう。
・ 上記の指摘に続き、同じ参加者から「ナビとしての基本を実践しようとするなら、このような抽象画ではなく、スタンダードな具象画などから始めるべきだ」との指摘も受けた。なるほど、その通りだと後から感じた。私はまだまだナビとしては初心者である。その初心者が基礎を忠実に行うという観点で、作品選びを行う必要があると感じた。

4 おわりに
 どこをとっても、ナビとしては反省点ばかりが残る会であったが、「自分は未熟である」ということが痛感させられたことは大きな収穫であった。
 これを機に、さらに対話型鑑賞について楽しみつつ深く学び、ナビとしても、またアートを愛する一鑑賞者としても成長できるよう、研鑽を積んでいきたいと思っている。

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