4月28日(日)安来市加納美術館
特別企画展 平和運動開始70年「加納莞蕾大回顧展」
対話型鑑賞会「みるみるとみてみる」 鑑賞作品「暁靄(あさもや)」1947年
ナビゲーター 春日美由紀
1作品目の「かくれんぼと魚」に続いての鑑賞です。参加してくださったのは1作品目の時に参加してくださったご夫婦と思われる男女のペアでした。1作品目の鑑賞が楽しかったのか、声をかけると、男性の方が積極的に動いてくださいました。
細かく描写されている作品で、アクリルガラスで保護されているので照明の関係もあり、やや光ってみえるので、近くによってじっくりとみていただきました。1作品目の鑑賞でやり方も少しは分かっていただけているかと思いましたが、「作品をみられて感じられたこと、思われたこと、考えたこと、何でもいいので、気付かれたことをお話しいただけると・・・。」と始めました。
男性が「真ん中が明るくて、希望。手前の梅は老木で、戦争で働き手がいなくなってしまったので、頑張らないといけないということで、花が咲いている。鳥は子どもで、老人と子どもが戦後、頑張っていかないといけないということを表している。」
と、キャプションに書かれたことや、制作年代も参考にしながら話してくれました。
「鳥が子どもだと思ったのは?」と訊ねると「体が小さい。作家自身の子どもという訳ではなくて、子どもを象徴している。」と話され、「真ん中が明るくて希望とおっしゃいましたが、明るい方へ行くのですかね?」と問い直したら「明るい未来が待っている。という感じかな?」と答えられました。「手前の老木と枝にとまった鳥との間が明るくて、でも、そこに何も描かれていない空間がある、老人と子どもの間の世代が抜け落ちていて、でも、そこが明るいということはどういうことなのでしょうか?」と再度尋ねたところ、「なるほど。そうかも知れない。抜け落ちているけど、決して無駄ではない。戦争で戦って亡くなった方たちの死も無駄ではなかったということなのかな。」と語られました。
このやり取りを静かに聞いていた妻と思われる方が、「真ん中の明るいところに奥行きを感じる。梅は花がポツポツ付いていて、これから咲く、生命力?そういうものを感じる。」と話されました。「奥行きを感じるのはどこから?」と訊ねると「手前がしっかり描かれている、奥の枝はぼんやりとしか描かれていないところからかな。」と答えてくださいました。「花はいっぱい咲いているのではなくて、この絵のようにポツポツと咲いているのが良いですか?」と訊き返すと「つぼみがいっぱいで、これから咲くという方が期待感があって好きです。」と言われました。
また、男性が作品の向かって右側にある枝を指しながら、「この枝だけは若い。茶色いから、若い枝。その枝にも花が咲いている。」と、花が咲いていることに込められた思いのようなものをつなげてくれました。
女性が、「この作品はリアルに描かれていて分かりやすい。写真で撮った一場面のように精密に描かれていて・・・。」と話すと、男性が「想像でしょう?こんな場面はないよ。」と、画面構成について話題が移っていきました。そして、1作品目から2作品目までの制作年代に13年の間があることから「13年間でこの人の芸風が変化している。」とも語られました。そこで「先ほど、想像でしょうとおっしゃいましたが、本当に、こんなに運よく鳥が二羽、こんな風に枝にはとまらないと思いますね。」とナビも鑑賞者の一人としての見解を話させていただきました。すると男性が「老木の梅の描写は写真みたいにリアル。複雑に絡み合っていて混乱を表している。戦争中の混乱。そこにも花が咲く。戦争も無駄ではなかった。という意味かな?でも、なぜ、雀なのだろう?鳩ではないのか?ツバメじゃないのか」と語られました。一般の参加者がこの2名だけだったので、「私は雀がしっくりくるというか、梅だと鶯が一般的だけど、それだと高尚すぎるというか、この絵に合わない。雀のような庶民的な鳥の方が、この作家自身の市井を大事にした生き方に合う気がする。」と私も話させてもらいました。
この時、この美術館の理事で加納莞蕾の孫にあたる方が鑑賞者として参加しておられ、「雀には実は訳があるのです。」と言われたので、「ネタバレは最後に。」とお願いして、雀がとまっている数、「二羽」について話題にしました。「梅の咲くころはまだ寒さが厳しいので、二羽が身を寄せ合っているような、温かさを感じる。」と、金谷さんが話され、「きょうだい?」「一羽が前を向いていて、もう一羽は横を向いて、前を向いている方に話しかけているみたい。」「どちらも前を向いているよりも、こちらの方がしっくりくる。このポジションがいい!!」と女性が話され「考えて描いている?」と男性が訊いたので、思わず「そうじゃないですか?私だったら、絶対に考えて描く。数も向きも!」と言ってしまいました。そこで、しまったと思って、「でも、一羽じゃない、三羽でもない、二羽なのは?」と問い直しました。そうすると女性が「三羽だともう一羽は別のところにとまっている気がする。だから、やっぱり、この枝には二羽がしっくりくる。」と言い、男性が「惹きつけられる。」と語られました。「真ん中を明るくして何も描かず、その先に雀が二羽描き、そこに目が行くように画面を構成したのでしょうね?」とまとめました。そして、この時に、孫である鑑賞者が「靄が立ち込めた日はお天気が良くなるんですよね。そんなことも想像して描いているのかな。また、雀は幼鳥のようなので、さあ行きますよ。そうね。飛びますよ!と、声をかけあっているのかも?」と話され、「梅には鶯が一般的だけど、本当にそれだと高尚すぎる気がします。」とも語られました。
そろそろ予定していた30分を迎えるころになったので、ナビ自身がこの作品を鑑賞作品に選んだ理由について「この作品をみた時に、洋画なのですけど、どこかに日本画的な要素があり、この後、莞蕾さんが、書画、日本画を描いていくことを示唆している作品なのではないかと思い、皆さんと一緒に鑑賞したいと思いました。キャプションや制作年も手掛かりにしながらたくさんのメッセージをいただいたような気がします。それは、やはり、皆さんがしっかりと作品をみてくださったからでもありますが、作品に力があるから、私たちはそのメッセージをしっかりと受け取ることができるのだと改めて思いました。ご参加いただきありがとうございました。」と話して締めくくりました。
そして、その後、お孫さんから「雀にしたのは、この作品は近所にある布部小学校の講堂にかけてあって、子どもにも分かりやすい作品。で、雀は豊作の象徴で、この辺りは農村で雀は稲穂をついばむことから、雀が来るほどに実れよと言う願いが込められていて、それで、雀なのですよ。」とネタバレしていただき、「これは、とてもよくみてきた作品なのですが、それでも、今回も新たな発見や気づきがあり、よかったなと思いました。そして、作品をみるだけなのだけど、(作家が)伝えたい思いが伝わるのだなと、思いました。」と締めくくっていただきました。
ふりかえり
みるみるの会メンバー金谷さんから
Q雀の数を「一羽でもなく、三羽でもなく、二羽?」と訊ねたのが秀逸。「三羽は考えなかった。」どうしたら、そういう「訊き返し」ができるのか?
A「二羽」が問題なので、「一羽でもなく、三羽でも、四羽でも、・・・十羽でも・・・なく、二羽、ということの例示として挙げただけ。二羽の意味についてより強調させるための数として挙げた。」と考えた。
Q画面の真ん中が明るく抜けていることと、働き手などの真ん中の世代が抜け落ちていることを結び付けた訊き返しは、どうだったのか?
Aこれについては、「男性がそこに気付いていないので、結び付けて訊き返すことで、気付いていただいて、彼の手柄にしていただこうと。」そう考えて伝えた。
千葉さんから(加納美術館理事:加納莞蕾の孫)
〇オープンエンドな問い。それに徹されている。
ナビ自身
1作品目に続いて、同じ鑑賞メンバーでの鑑賞となり、親和的な雰囲気の中で対話が進んだことが、より話しやすさを醸していたように思います。男女のカップルはおそらくご夫婦だと思うのです。ご一緒に鑑賞に来られるくらいなので、仲はよいのだと思うのですが、互いに主張はそれぞれしっかりされる感じで、相手の意見に流されることなくご自分の意見を話してくださったので、少ないメンバーでしたが、実りの多い豊かな時間になったと思います。
対話型鑑賞の実践を繰り返すたびに、作品に対するリスペクトが増します。作家が精魂込めて制作し、時代を経てもなお評価されるものであるということはどういうことなのかということがつくづくと分かります。これからも多くの作品を皆さんとともに語り合いながら鑑賞していきたいと思います。
貴重な時間を設定してくださった加納美術館の皆様に感謝します。ありがとうございました。
【みるみるの会からのお知らせ】
安来市加納美術館
平和運動開始70年 画家加納莞蕾 大回顧展
関連イベント 対話型鑑賞会「みるみるとみてみる?」
6月2日(日)13:30~15:00(予定)
みるみるの会メンバーとともに、豊かな時間を過ごしてみませんか?
6月2日加納美術館でお待ちしております。
特別企画展 平和運動開始70年「加納莞蕾大回顧展」
対話型鑑賞会「みるみるとみてみる」 鑑賞作品「暁靄(あさもや)」1947年
ナビゲーター 春日美由紀
1作品目の「かくれんぼと魚」に続いての鑑賞です。参加してくださったのは1作品目の時に参加してくださったご夫婦と思われる男女のペアでした。1作品目の鑑賞が楽しかったのか、声をかけると、男性の方が積極的に動いてくださいました。
細かく描写されている作品で、アクリルガラスで保護されているので照明の関係もあり、やや光ってみえるので、近くによってじっくりとみていただきました。1作品目の鑑賞でやり方も少しは分かっていただけているかと思いましたが、「作品をみられて感じられたこと、思われたこと、考えたこと、何でもいいので、気付かれたことをお話しいただけると・・・。」と始めました。
男性が「真ん中が明るくて、希望。手前の梅は老木で、戦争で働き手がいなくなってしまったので、頑張らないといけないということで、花が咲いている。鳥は子どもで、老人と子どもが戦後、頑張っていかないといけないということを表している。」
と、キャプションに書かれたことや、制作年代も参考にしながら話してくれました。
「鳥が子どもだと思ったのは?」と訊ねると「体が小さい。作家自身の子どもという訳ではなくて、子どもを象徴している。」と話され、「真ん中が明るくて希望とおっしゃいましたが、明るい方へ行くのですかね?」と問い直したら「明るい未来が待っている。という感じかな?」と答えられました。「手前の老木と枝にとまった鳥との間が明るくて、でも、そこに何も描かれていない空間がある、老人と子どもの間の世代が抜け落ちていて、でも、そこが明るいということはどういうことなのでしょうか?」と再度尋ねたところ、「なるほど。そうかも知れない。抜け落ちているけど、決して無駄ではない。戦争で戦って亡くなった方たちの死も無駄ではなかったということなのかな。」と語られました。
このやり取りを静かに聞いていた妻と思われる方が、「真ん中の明るいところに奥行きを感じる。梅は花がポツポツ付いていて、これから咲く、生命力?そういうものを感じる。」と話されました。「奥行きを感じるのはどこから?」と訊ねると「手前がしっかり描かれている、奥の枝はぼんやりとしか描かれていないところからかな。」と答えてくださいました。「花はいっぱい咲いているのではなくて、この絵のようにポツポツと咲いているのが良いですか?」と訊き返すと「つぼみがいっぱいで、これから咲くという方が期待感があって好きです。」と言われました。
また、男性が作品の向かって右側にある枝を指しながら、「この枝だけは若い。茶色いから、若い枝。その枝にも花が咲いている。」と、花が咲いていることに込められた思いのようなものをつなげてくれました。
女性が、「この作品はリアルに描かれていて分かりやすい。写真で撮った一場面のように精密に描かれていて・・・。」と話すと、男性が「想像でしょう?こんな場面はないよ。」と、画面構成について話題が移っていきました。そして、1作品目から2作品目までの制作年代に13年の間があることから「13年間でこの人の芸風が変化している。」とも語られました。そこで「先ほど、想像でしょうとおっしゃいましたが、本当に、こんなに運よく鳥が二羽、こんな風に枝にはとまらないと思いますね。」とナビも鑑賞者の一人としての見解を話させていただきました。すると男性が「老木の梅の描写は写真みたいにリアル。複雑に絡み合っていて混乱を表している。戦争中の混乱。そこにも花が咲く。戦争も無駄ではなかった。という意味かな?でも、なぜ、雀なのだろう?鳩ではないのか?ツバメじゃないのか」と語られました。一般の参加者がこの2名だけだったので、「私は雀がしっくりくるというか、梅だと鶯が一般的だけど、それだと高尚すぎるというか、この絵に合わない。雀のような庶民的な鳥の方が、この作家自身の市井を大事にした生き方に合う気がする。」と私も話させてもらいました。
この時、この美術館の理事で加納莞蕾の孫にあたる方が鑑賞者として参加しておられ、「雀には実は訳があるのです。」と言われたので、「ネタバレは最後に。」とお願いして、雀がとまっている数、「二羽」について話題にしました。「梅の咲くころはまだ寒さが厳しいので、二羽が身を寄せ合っているような、温かさを感じる。」と、金谷さんが話され、「きょうだい?」「一羽が前を向いていて、もう一羽は横を向いて、前を向いている方に話しかけているみたい。」「どちらも前を向いているよりも、こちらの方がしっくりくる。このポジションがいい!!」と女性が話され「考えて描いている?」と男性が訊いたので、思わず「そうじゃないですか?私だったら、絶対に考えて描く。数も向きも!」と言ってしまいました。そこで、しまったと思って、「でも、一羽じゃない、三羽でもない、二羽なのは?」と問い直しました。そうすると女性が「三羽だともう一羽は別のところにとまっている気がする。だから、やっぱり、この枝には二羽がしっくりくる。」と言い、男性が「惹きつけられる。」と語られました。「真ん中を明るくして何も描かず、その先に雀が二羽描き、そこに目が行くように画面を構成したのでしょうね?」とまとめました。そして、この時に、孫である鑑賞者が「靄が立ち込めた日はお天気が良くなるんですよね。そんなことも想像して描いているのかな。また、雀は幼鳥のようなので、さあ行きますよ。そうね。飛びますよ!と、声をかけあっているのかも?」と話され、「梅には鶯が一般的だけど、本当にそれだと高尚すぎる気がします。」とも語られました。
そろそろ予定していた30分を迎えるころになったので、ナビ自身がこの作品を鑑賞作品に選んだ理由について「この作品をみた時に、洋画なのですけど、どこかに日本画的な要素があり、この後、莞蕾さんが、書画、日本画を描いていくことを示唆している作品なのではないかと思い、皆さんと一緒に鑑賞したいと思いました。キャプションや制作年も手掛かりにしながらたくさんのメッセージをいただいたような気がします。それは、やはり、皆さんがしっかりと作品をみてくださったからでもありますが、作品に力があるから、私たちはそのメッセージをしっかりと受け取ることができるのだと改めて思いました。ご参加いただきありがとうございました。」と話して締めくくりました。
そして、その後、お孫さんから「雀にしたのは、この作品は近所にある布部小学校の講堂にかけてあって、子どもにも分かりやすい作品。で、雀は豊作の象徴で、この辺りは農村で雀は稲穂をついばむことから、雀が来るほどに実れよと言う願いが込められていて、それで、雀なのですよ。」とネタバレしていただき、「これは、とてもよくみてきた作品なのですが、それでも、今回も新たな発見や気づきがあり、よかったなと思いました。そして、作品をみるだけなのだけど、(作家が)伝えたい思いが伝わるのだなと、思いました。」と締めくくっていただきました。
ふりかえり
みるみるの会メンバー金谷さんから
Q雀の数を「一羽でもなく、三羽でもなく、二羽?」と訊ねたのが秀逸。「三羽は考えなかった。」どうしたら、そういう「訊き返し」ができるのか?
A「二羽」が問題なので、「一羽でもなく、三羽でも、四羽でも、・・・十羽でも・・・なく、二羽、ということの例示として挙げただけ。二羽の意味についてより強調させるための数として挙げた。」と考えた。
Q画面の真ん中が明るく抜けていることと、働き手などの真ん中の世代が抜け落ちていることを結び付けた訊き返しは、どうだったのか?
Aこれについては、「男性がそこに気付いていないので、結び付けて訊き返すことで、気付いていただいて、彼の手柄にしていただこうと。」そう考えて伝えた。
千葉さんから(加納美術館理事:加納莞蕾の孫)
〇オープンエンドな問い。それに徹されている。
ナビ自身
1作品目に続いて、同じ鑑賞メンバーでの鑑賞となり、親和的な雰囲気の中で対話が進んだことが、より話しやすさを醸していたように思います。男女のカップルはおそらくご夫婦だと思うのです。ご一緒に鑑賞に来られるくらいなので、仲はよいのだと思うのですが、互いに主張はそれぞれしっかりされる感じで、相手の意見に流されることなくご自分の意見を話してくださったので、少ないメンバーでしたが、実りの多い豊かな時間になったと思います。
対話型鑑賞の実践を繰り返すたびに、作品に対するリスペクトが増します。作家が精魂込めて制作し、時代を経てもなお評価されるものであるということはどういうことなのかということがつくづくと分かります。これからも多くの作品を皆さんとともに語り合いながら鑑賞していきたいと思います。
貴重な時間を設定してくださった加納美術館の皆様に感謝します。ありがとうございました。
【みるみるの会からのお知らせ】
安来市加納美術館
平和運動開始70年 画家加納莞蕾 大回顧展
関連イベント 対話型鑑賞会「みるみるとみてみる?」
6月2日(日)13:30~15:00(予定)
みるみるの会メンバーとともに、豊かな時間を過ごしてみませんか?
6月2日加納美術館でお待ちしております。